「従軍慰安婦」問題とは何か

慰安婦問題については、今日でもさんざん取り上げられており、いまさら説明することはないのかもしれない。

しかしながら、この問題が当初どのようにはじまったのか、どのように誤解されていたのかについて知らない人はむしろ年々増えているように思える。

そこで、従軍慰安婦問題を初期から見てきた人間の一人として、私はこの問題の正確な経緯をここに記しておきたいと思う。

今日の慰安婦論争というのは、「女性の人権」「軍による強制連行があったか否か」といったところが主な争点となっている。

しかし1990年頃この問題が表舞台に登場したときには、そのような話ではなかった。 まったく異質の話だった

まず実際の慰安婦がどういう存在だったか、から確認しよう。 それは次のようなものであった。

(イ)軍施設の周辺に花街が作られていた。(そこでは日本人を含むたくさんの女性が春を売っていた)
(ロ)働いていた女性のなかには「身売り」などの問題があった。 そこには拉致誘拐の被害者も紛れていた。
(ハ)軍の一部で女性を強制連行する事件もあった。(白馬事件など。ただし被害者は朝鮮人ではなく外国人)

慰安婦とは、要するに、戦地で営業されていた(民間の普通の)売春宿=遊郭で、春をひさいでいた女たちのことである(→イ)。 もちろん当時も「娘の身売り」という社会問題はあったし(→ロ前段)、一部では犯罪もあった(→ロ後段+ハ)。 そうした悲劇はあったものの、しかし慰安婦の大半は(イ)のような普通の戦地売春婦にすぎなかったのである。

ところが、1990年代の「従軍慰安婦」は、このイロハとはまったく別の概念だった。 とくに(イ)が念頭になかった。
どういうことかというと・・・

(Ⅰ)まず当時の筆者は、朝鮮人は日本人に「植民地支配」されている一種の奴隷階層だと思っていた。
朴慶植以来の「強制連行」「植民地支配」という言葉によって、日本人と朝鮮人の関係は同胞ではなく非同胞(≒奴隷階層)という社会構造上の誤解を生じていたためである。(→「強制連行」問題とはなにか

(Ⅱ)また当時の筆者でも、戦地に歓楽街(花街)が造られていたことは、言われればすぐに理解できるくらいの常識はあったと思うが、当時の筆者はそういう話を聞いたことがなく、戦地に花街があったことをまったく知らなかった。つまり≪戦地の花街≫(イ)という発想自体を欠いている状態にいた。その中で出てきた話がこの「従軍慰安婦」だった。

こうして1990年代の筆者は、朝鮮人は奴隷階層であるという世界観(誤解)および戦地の花街(イ)という発想を欠いたまま、当時のメディア報道などから、従軍慰安婦を次のような存在だと思い込んでしまっていた。

すなわち従軍慰安婦とは、各地を転戦するために性処理が必要なので、そのために、日本軍によって拉致誘拐などされて取ってこられ、戦地を連れ回されていた、奴隷階層である朝鮮人女性たちの悲惨な人生のことである、と。

○日本軍が性処理のために、女性を拉致誘拐などしてつれてきて、部屋に閉じ込めて強姦していた
○その数は20万人規模にものぼった。

ここで注意してほしいことは、この「20万人」という数字は、人数ではなく、それが日常・合法だったというところに意味の重心があるということである。

つまり1990年代の「従軍慰安婦」とは、女性の人権や事件(先程のロハ)のような次元の話ではまったくなく、日本軍が「植民地」の朝鮮人女性に対して20万人規模で、すなわち日常的(合法的)に、このような行いを働いていた、という話だったのである。

このような慰安婦をここでは「20万人説」と呼ぶことにしよう。

(本稿をはじめて読む人は、この「20万人説」がどのような世界観なのか、ここで立ち止まってよく意味を掴んでほしい。20万人説の慰安婦は金銭が支払われる売春婦ではない。無給の「性奴隷」である。つまり1990年代の「従軍慰安婦」問題とは、社会問題(娘の身売り等)のことなどではまったくなく、正真正銘の国家犯罪(性奴隷)のことであった――このイメージを掴んでほしい)

(ちなみに正しい歴史知識があれば、「20万人説」のような話を信じるはずはない。なぜなら当時朝鮮人は日本人の同胞(味方)だったのであり、20万人説など、日本軍が日本人女性(同胞)を拉致誘拐して連れていくというのと同じくらい、荒唐無稽な話だからである。※このことを説明しているのはこちら→朝鮮半島を「紀伊半島」に置き換えるとわかる「従軍慰安婦」問題のおかしさ

ところでこの20万人説のような嘘話を信じていたのはあなただけだと思う人が居るかも知れないが、そうではない。
たとえば『蒲田行進曲』で有名なつかこうへいも、筆者同様、朝鮮人=非同胞≒奴隷階層というを誤解していたことがわかっている。(→つかこうへいの歴史観

当時のつかこうへいは、これまた筆者と同様に戦地の花街(イ)という発想がないままに(*1)「20万人説」を信じてしまっていた。その結果つかこうへいは1997年、この「20万人説」を基調とした「従軍慰安婦」(性奴隷)の物語を出版してしまうのである。

まず、性欲処理のための女性を戦争に連れていったというのは日本だけだと言われています。戦地に元兵隊さんたちの慰みものとしてだけ連れて来られた女性の存在は世界の各地を探してもほとんど見つからないとのことです。(『娘に語る祖国 満州駅伝―従軍慰安婦編』(1997)より→つか1前半)

※つかこうへいの「従軍慰安婦」作品の解説については次頁を見てください。↓↓↓

*1) つかこうへいに発想(イ)がなかったことはつか2を読むとわかる。つかは作品を書くために、慰安所の管理者だった人に取材をするのだが、戦地の花街(イ)という発想なかったからこそ、従軍慰安婦(慰安所)というものがどのような存在(施設)であったのか、あたかも未知のものを探るような聞き方をしているのである。
またつか1前半からも、「従軍慰安婦」は花街の遊女などではないことがわかる、すなわち金のために身体を売る存在(遊女)ではなく、単に一方的に性的搾取される存在(=性奴隷)であることがわかる。このときのつかこうへいの念頭には普通の花街(イ)という発想がまったくなかったのである。