朝鮮人はほとんど抵抗運動をしていなかった。抵抗運動についての誤解〔創氏改名〕

「創氏改名」によって日本名が強制されたため、朝鮮人は激しく抵抗した――これが創氏改名の一般的認識だろう。

創氏改名に反対して逮捕されたとか、抗議の自死をとげた等々、創氏改名について説明されるときには枕詞のように語られてきたものである。

ところが最近の研究によると、総督府が創氏改名でもとめていたのは日本名ではなく朝鮮風の「氏」「名」であったことがわかっている。(→前頁参照)

!?創氏が届け出制で、しかも朝鮮風氏名が推奨されていたのに、自死を含む激しい抵抗運動が起きた??
・・・なにやら話が矛盾しているように思える。
じつはこの矛盾は、朝鮮人の「抵抗」の原因を次の2タイプに分類することで解くことができる。

A) 自分の氏が、自分の思いどおりにならないことへの不満
B) 他人の氏が、自分の思いどおりにならないことへの不満

まずAタイプというのは、たとえば、創氏改名を一般朝鮮人に説明する側にいた(立場がやや上の)朝鮮人が、その立場上、範を示すために二文字創氏(姓とは異なる二文字の氏をつくること=非姓創氏)してしまったとか、案内が不行き届きで、結果的に意に沿わぬ創氏をしてしまい、それに対して憤りを感じた、といった種類の話である。*1
もちろんこれも創氏改名にまつわる不幸な話には違いないが、それは「抵抗運動」というよりは、個人的な後悔あるいは手続き上の瑕疵の問題だろう。そしてそのような場合には創氏手続きの訂正を訴えることができ、実際に許可された例もある。*2
ともあれ、このように「自分の氏が自分の思いどおりにならなかった」という種類の話がAタイプである。

一方、我々が創氏改名について抱いている、自死を含む「激しい抵抗運動」というイメージは、じつは構造としてはBタイプなのである。

じつは創氏改名当時、民族派の朝鮮人ですら「姓」そのままを「氏」とすることは容認しており、それをまわりの朝鮮人にもすすめたりもしていた。(→詳しくは次頁

ところが、二文字創氏(非姓創氏)する朝鮮人が存外多く、そのことが民族派の感情を刺激した。 そのとき民族派の朝鮮人が、二文字創氏しようとした他人の創氏手続きを妨害しようとしたのが「抵抗運動」なのである。(→下のロハが典型)

イ)氏の決定権は戸主にあり、子は親が決めた氏に従わざるを得ない。親子で意見が対立し役所で揉めた。(他人=父親)
ロ)自分(長老)は姓そのままを氏にしようとしたが、一族会議が非姓創氏を決定してしまい、それに抗議して長老が自死した。(他人=一族内の他家)
ハ)民族派が、一族で非姓創氏しようとした(とくに有力な)他家に対して不満を抱き脅迫した。(他人=他家)
ニ)面長(村長*)へ書面郵送したりビラまきで創氏反対を呼びかけた。(他人=役人・一般人) *面長は朝鮮人

要するに、総督府が創氏制度を導入したところ、創氏の仕方について朝鮮人の間で路線対立が起きてしまった。 とくに問題視せずに創氏した一般朝鮮人に対し、頑固(過激)な民族派が二文字創氏(非姓創氏)させまいと妨害しようとした。

これが創氏改名にまつわる「激しい抵抗運動」とされるものの正体である。(タイプB

そしてこの「激しい抵抗運動」について一般朝鮮人の支持は限定的であったこともわかっている。(→*3)

にもかかわらずこのABを混同し、あたかも総督府によって「自分の」姓名の変更が強要され、それに対してロハのような過激な抵抗や厳しい取締りがあった、すなわち民族的弾圧であったかのように語られたのが戦後なのである。

※じつは(ロ)は梶山季之の小説『族譜』の元になった話である。(→『族譜』の間違い(嘘)について
※(ニ)ような行為は、保安法や治安維持法違反に該当すると逮捕される場合があった。つまり治安に対する罪である。たとえば民族派の独立運動、あるいは「創氏で姓がなくなる」などの流言蜚語民衆扇動などがそれに該当したようである(→創氏反対への圧力)。(ハ)は脅迫なのでもちろん逮捕相当。水野『創氏改名』の資料にはハニいずれも逮捕には至らなかった事例しか載っていないが、逮捕されたものもあったと推測される。(→検挙未満の言動

創氏制度が一部で自死など、不幸な結果を招いたのは事実である。しかし一部にBのような朝鮮人同士の路線対立があったからといって、「朝鮮人は創氏改名に激しく抵抗した」と「戦後教育」することは妥当だろうか?

冒頭の疑問にもどると、創氏改名抵抗運動があったというのはウソである。 当時朝鮮人は民族的な抵抗をしなかった。(→*3)

なぜならその必要がなかったからである。

創氏改名は自由に創氏でき、しかも朝鮮風が推奨され、朝鮮人の民族性(とくに姓名や族譜)を毀損するものでもなかったからである。 創氏改名とはその程度の制度であるから、抵抗運動がおきなかったのはなんら不思議なことではない。

なおここで述べたことについて精査したい方は、水野直樹『創氏改名』の考察(後編)とその資料を眺めていただくと、ここで説明した傾向分析と推測がおよそ妥当であることに同意して頂けるのではないかと思う。

*1) タイプAの例としては、たとえば住民に創氏制度を説明する役割を負った朝鮮人が、その立場上、率先垂範のために非姓創氏してしまったなどのケースがある(→率先垂範)。また、これは本書に直接そう書かれているわけではないが、役所の窓口で二文字氏を強めに推奨されたことなども考えられる。このほか「改姓ではない」「創氏は自由」という案内が不徹底で、意に沿わぬ創氏がさせられたケースがあったことも考えられる。(なお次頁以降に述べるが、氏制度・法定創氏そのものに反対していた朝鮮人はいない)
*2) 役所にて
*3) 「創氏改名に対する批判と抵抗は朝鮮社会に広く存在していたが、多くは個人のレベルにとどまり、社会的或いは民族的な抵抗の形をとることはなかった」(水野直樹『創氏改名』232頁)検挙された朝鮮人の気持ち

〔参考文献〕
『創氏改名』 水野直樹 2008年  ◆楽天 ◆Amazon