「創氏改名」の誤解がどれほど定着していたか〔皇民化政策〕

「創氏改名」については長らく、日本人化(皇民化)を強制するために、朝鮮人全員の民族名を日本名に強制的に変更させた政策であり、それにより自殺する者もあらわれた――などと説明されてきた。
今日では創氏改名で日本名など強制していないことが知られつつあるが(→総督府は朝鮮風氏名を推奨参照)、本稿ではまずこうした「誤解」が戦後の日本社会でどれくらい定着していたのかを、2人の例で確認してみたい。

(1)まず一人目は、産経新聞の元ソウル支局長の黒田勝弘氏である。韓国通として知られる黒田氏は1997年に創氏改名についての記事を書いており(→黒田勝弘氏も誤解していた創氏改名)、その要点を箇条書きすると以下のようになる。

○『族譜』は実話を素材にした映画であり、韓国人が先祖代々受け継いできた一族の系譜である「族譜」が断絶するかのように描いている。しかしこれは誤りだという。
○「創氏改名」は戸籍に別途、日本式の「氏名」を新たに作るというものであって、「族譜」「姓」も戸籍にはそのまま残された。つまり、実際は「創氏改名」と「族譜」は関係なかった。
○「創氏改名」は日本風の氏名、日本風の戸籍にすることで韓国人の家族観を変え、日本人にしようとしたもの。
○韓国人にとって最も重要な家族-血縁に関する問題だけに、ごく一部だが自殺者も出た。創氏改名は法律による半ば強制という政策だったが、応じないと不利益をこうむるといわれ、さらに「時流」もあって韓国人の約8割が応じた。*1

今の知識からすると不正確な説明も含まれているが、この書きぶりを反対解釈すると、黒田氏のような経歴の人でさえ1997年の時点で、民族名(姓名)が戸籍に残り、族譜も断絶しなかったということが、新しい「発見」だったということが見てとれよう。 (もしかすると二割は「創氏改名」していなかったという事実もこの頃にはじめて知った可能性もある)

(2)もう一人は1970年代から朝鮮人問題に関わっていた辻本武氏である。氏は1996年に次のような記事を書いている。(資料

創氏改名とは「日本が朝鮮植民地支配の際に、皇民化政策の一環として、朝鮮人から固有の姓を奪い日本式の名前に強制的に変えさせた。これを拒否しようとしたものは非国民とされ、様々な嫌がらせを受け、結局は日本名に変えた」というような説がまるで定説であるかのように流布されてきた。 私も朝鮮問題にかかわりはじめた二〇年程前の時は、この説を素直に信じたものだった。(中略)創氏は家族名としての「氏」を新たに設けることであり、先祖伝来の「姓」には変更はなかった。(中略) 日本が朝鮮の「姓」を抹殺したという説は明らかに誤りである。
私は以上のような創氏改名の実像を知って、目からうろこが落ちたような気がした。これで創氏改名後のあの戦時中でも、朝鮮人の少なからずが朝鮮名を維持してきたことを理解できたからである。

このように黒田氏や辻本氏のような専門家でさえ、1990年代の半ばという時代――バブルはとうに崩壊し、Windows95が発売された頃である――にもなって、あらたな「発見」をしているのである。*2

すなわち、姓名は戸籍に残った、全員が日本名にしたわけではなかった、あるいは姓を変更する制度ではなかったということが、専門家の間でも「発見」だったのである。

この時期に創氏改名の誤解が解けはじめたのは、金英達らによる「創氏改名」に関する専門書が出たためである。水野直樹・京都大学教授によれば、驚くべきことに、「1980年代まで創氏改名を専門にあつかった研究論文は、一本もなかった」とのことである。*3

この金英達らの著作などによって、創氏改名=日本名強制説が虚構であったことが、1990年代になってやっと一部の専門家の間に広まり始めるのである。

そしてこの彼らの「発見」を裏返してみれば、創氏改名に対する一般的な認識が、当時どのようなものであったかも見えてこよう。つまり正しい知識を持っていたのは、むしろ少数派であったことが推定できるのである。(→関連資料参照)

1980年代に中学高校生を過ごした筆者にとって、応じないと逮捕され(*4)、強制改名に抗議して自殺者も出たという創氏改名は、まぎれもなく民族否定政策であり国家犯罪だった。これらの説明によって筆者の頭の中に描かれていた「植民地支配」はほとんど恐怖政治のようなものになっていた。 (→梶山季之『族譜』について

しかし実際の「創氏改名」はまったくそのような政策ではなかった。

では「創氏改名」とはいったいいかなる政策だったのか。 それを次頁以降で説明していこう。

*1) よく考えると、二割は「創氏改名」せずにすんでいるのに「自殺に追い込まれた」というこの説明もおかしい。なぜ矛盾に気が付かなかったのか、今の人は不思議に思うかもしれないが、当時は全体像がわかっていないので、断片的な情報はとりあえず肯定して考えざるを得なかったのである。「不利益を被るから自殺に追い込まれた」という辻褄にして一応の整合性をとることも不可能ではない。そうして整合性をとろうとすることで矛盾に気づけなくなる心理については「真実」問題で説明している。
*2) 辻本氏が真実に気づいたのは記事を書く以前、すなわち1996年以前と考えられるが、時代状況や文面から判断して、それほど遠くない過去と考えてよく、すこし大雑把だがまとめて「90年代半ば」とした。
*3) 水野『創氏改名』12頁
*4) 黒田・辻本両氏の発言には逮捕の話は出ていないが、日本名を拒否すると逮捕されたというのは、創氏改名にまつわる定番の説明だった。だが実際は逮捕などされていなかった。当時の実情については→「創氏改名」抵抗運動の誤解梶山季之『族譜』の間違いについて

〔参考文献〕
『創氏改名』 水野直樹 2008年  ◆楽天 ◆Amazon