リュウ・ヒジュン(1977-)。韓国出身(?)タレント。出演番組はNHKハングル講座、ここが変だよ日本人など。
1999年6月30日放送『ここが変だよ日本人』より 2分34秒 (1.19MB)
(欧米の植民地にされたアフリカ人は、非アフリカ流の名前をつけられたというゾマホンの発言に対し)
同化政策と皇民化政策をもっと勉強してからおいで。
在日韓国人の名前と何が違うの!?いいかげんにしろ!この馬鹿野郎!【1分30秒~】
リュウ・ヒジュンの発言は、あたかも、日本の「皇民化政策」によって朝鮮人の民族名が禁止されて日本名が強制され(創氏改名)、その名残はいまでも在日朝鮮人の名前(日本名)に残っている ―― かのような意味にとれる発言である。(実際そのように当時の筆者は解釈していた)
いまでこそ創氏と改名は別制度であり、姓名・族譜に変更はなく、氏が追加されただけで、しかも届出制だったことが広く知られているが、そのような正しい情報が広まっていくのは、じつは1990年代に金英達の著作が出るようになってからのことである。
しかし1990年代は、そのような正しい知識はまだ専門家のレベルにとどまっていて、一般人のレベルでは、この番組のように創氏改名=日本名強制説という嘘話が在日や本国人の口から堂々と流布される状態にあったのである。
ひとつ思い出話をすると、この場面をリアルタイムで見ていた筆者は、「植民地支配」「皇民化政策」「創氏改名」について、ゾマホンの認識の方が間違っていると思っていた。(韓国人の方が正しいと思っていた)
そして、日本による「過酷な植民地支配」を擁護する発言が、右派の日本人からならともかく黒人の側から出てきたことに驚き、とても意外に感じたことを憶えている。 正確に言うと、意外というよりも、意味がわからなかった。 というのは日本の「植民地支配」も欧米のそれと同じようなものだと思っていたので(*1)、それをなぜ黒人が擁護するのか理解できなかったからである。*2
今でこそ韓国やその歴史認識に対して批判することはありふれているが、この当時は、在日や本国人は「植民地支配」の犠牲者という地位を完全に確立しており、歴史認識について反論することは許されないような雰囲気があって、今とはまったく空気が異っていた。(→在日が無垢化した1980年代)
そのため「植民地支配」について、しかも韓国人に直接面と向かって、ここまで真正面から強烈に反論したのを見たのは、筆者の人生では、実はこれが初めてだった。
ゆえにこの場面は筆者にとって極めて印象深い光景だったのであり、今でも脳裏に強く焼きついた記憶として残っている。
*1) 放送時の筆者は、欧米がアフリカにしていたように、日本が「植民地支配」で朝鮮人を奴隷扱いしていたと思っていた。このような誤解をしていたのは筆者だけではない。たとえばつかこうへいも同じような誤解をしていたことがわかっている。
*2) この当時はゾマホンの言葉の意味が分からなかったが、今ではその意味がわかる。「植民地政策ではなかった」という言葉の意味が。 なお現在の筆者は、皇民化政策は日本人化政策ではなかったと考えているので、そこからするとゾマホンの「同化政策だった」はすこし不正確な表現だと思うが、(非同胞としてではなく)同胞として扱ったという意味に取ればだいたいあたってると思う。