創氏改名がどのように誤解されてきたか

創氏改名(および在日の通名)を日本側はどのように誤解してきたか。 (→在日や本国人が創氏改名をどのように説明してきたか

在日コリアンが名乗る日本風の姓名のことを「通名」といいます。通称だれだれ、というものだと思ってください。これには歴史的背景があります。 1910年の韓国併合によって朝鮮が日本の植民地になったことは先にも触れました。軍国化が進み、植民地支配が徹底されていく中で、朝鮮人を日本人化していこうとしました。さらに、1939年に「創氏改名」という布告が出されて、朝鮮人には日本風の名前に改めるように、いわば義務付けられたんです。
朝鮮人は昔から家族の系譜(族譜)を大切にする民族です。結婚しても姓名は変わりません。子供に名前をつけるときも、100年単位で家族の系譜をさかのぼり、親族の間で慎重に協議するわけですよ。そんな民族、ほかにあまりないんじゃないですか。
それくらい名前と生まれを大切にしてきた朝鮮人に対して、日本人名に改めることを強要したのですから、これは日本人の横暴です。日本式の戸籍制度に合わせて名前を変えさせ、ついでに朝鮮民族としての誇りまで奪ってしまおうというねらいがあったのでしょう。当時の日本政府は、完全に朝鮮人を支配しようとした。そんな意図が感じられます。
井筒和幸『民族の壁どついたる!』(2007) 48頁より

日本語が押し付けられていましたが、日本語がわからない人は警察や役場が適当な名前に変えていたようです。日本人の名前にしない者は非国民扱いだったのでしょう。
井筒和幸『民族の壁どついたる!』(2007) 119頁より

近年まで、帰化する者には、(植民地期の全てのコリアンと同じように)日本式姓名への改称が求められていた。
ノーマ・フィールド(シカゴ大教授) 1995.5 『思想の科学』 ~鄭大均『在日・強制連行の神話』12頁

「創氏改名」
日本が朝鮮半島を植民地支配していた1939年11月、朝鮮総督府が朝鮮民事令改正で公布。 翌年2月に施行した。「皇民化政策」の一環で朝鮮姓を廃して日本式の名前に改めさせた。 
2003.6.3 朝日新聞「キーワード」 (麻生太郎講演(於東大)「朝鮮人が望んだ発言」5.31を受けての記事)

1910年、日本は朝鮮半島を植民地化した。40年には民族名を日本風の名前に変えさせる政策を打ち出した。戦中は多くの朝鮮人が日本で働くことを余儀なくされ、敗戦後も約60万人が生活基盤を築いた日本にとどまった。そうした人々が民族の言語や文化を取り戻す場として、各地に朝鮮学校がつくられた。 
毎日新聞 2013.11.8 https://bit.ly/2WpkmJ0

<民族名での人探し三行広告>
昭和19年ですから創氏改名の施行から4年も経っており、軍国主義真っ盛りの時代です。 そんな時に、朝日新聞紙上で民族名の人探し広告が堂々と載っているのです。
日本は戦前の創氏改名で朝鮮人に日本名を強要し民族を否定したというデタラメ説を今なお唱える人がいますので、そういった人に是非見て頂きたいものです。
辻本武 2015.9.24 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/09/24/7807103

創氏改名とは「日本が朝鮮植民地支配の際に、皇民化政策の一環として、朝鮮人から固有の姓を奪い日本式の名前に強制的に変えさせた。これを拒否しようとしたものは非国民とされ、様々な嫌がらせを受け、結局は日本名に変えた」というような説がまるで定説であるかのように流布されてきた。 私も朝鮮問題にかかわりはじめた二〇年程前の時は、この説を素直に信じたものだった。
(中略)
創氏は家族名としての「氏」を新たに設けることであり、先祖伝来の「姓」には変更はなかった。朝鮮戸籍には創氏改名が書き加えられたのみで、「姓」は抹消されずに本貫欄に残った。本貫欄は日本戸籍にはなく、朝鮮戸籍独特のものである。創氏改名後はこの欄に本貫とともに「姓」が記載されることになったのである。日本が朝鮮の「姓」を抹殺したという説は明らかに誤りである。
私は以上のような創氏改名の実像を知って、目からうろこが落ちたような気がした。これで創氏改名後のあの戦時中でも、朝鮮人の少なからずが朝鮮名を維持してきたことを理解できたからである。
辻本武 1996 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuunidai

例えば、全く知らなかったのだが、韓国併合から、日本式の氏を創設できるようになるまで、30年の歳月がかかっていることである。私は、韓国人や左派系の主張を聞くに、「創氏改名は、併合直後から終戦まで、36年間続いたもの」であったと早合点していたのだが、実際に施行されたのが、1940年2月。
2008.12.15 http://blog.livedoor.jp/elb3703/archives/293556.html

ここで、「?」と疑問を感じる人がいるかもしれません。
●日韓併合は1910年の8月29日から始まったんじゃないの?1940年に創氏が始まったとすると、それまでの30年間は朝鮮人は自分の姓を堂々と名乗れてたの? ●創氏があったのは終戦までのたった5年間? ●届け出って...?創氏は強制じゃないの? ●届出の期間が6ヶ月間? ●創氏は分かったけど、改名はどうしたの?創氏改名はセットでしょ?
2015.2.11 http://ameblo.jp/jo-hiroyuki/entry-11988361063.html

自民党の石破茂元幹事長は30日、早稲田大で講演し、いわゆる徴用工訴訟などをめぐり悪化する日韓関係に関し「判決は国際法的に間違っている」としつつ、「合法であっても独立国だった韓国を併合し、(朝鮮半島出身者の)名字を変えることが行われた。そういう歴史があったことをどれだけ認識するかだ」と述べ、過去の経緯を踏まえた対応が関係改善に必要との認識を示した。
石破茂 2018.11.30 https://www.iza.ne.jp/kiji/politics/news/181130/plt18113023200038-n1.html

「なぜ韓国は『反日』か。もしも日本が他国に占領され、(創氏改名政策によって)『今日から君はスミスさんだ』と言われたらどう思うか」
自民党の石破茂・元幹事長は5日、悪化の一途をたどる日韓関係について、戦前の朝鮮半島統治で日本が創氏改名などを進めた歴史的背景を考えるべきだと指摘した。徳島市内での講演で語った。
石破茂 2019.10.5 https://www.asahi.com/articles/ASMB563Y0MB5UTFK00D.html

(引用者注:戦後「朝鮮人」という言葉が侮蔑的で使いにくかったときに、総連系の人が「ぼくたちは朝鮮人ですよ。だから朝鮮人と呼んでください」と胸を張ったという文脈で)こうした態度は「われわれは日本人とは違う。日本人と同一視するな」ということを強調するもので、戦前の日本が朝鮮人の皇民化というスローガンのもとに、朝鮮語を禁止したり日本名を強要したこと(創氏改名)に対する反感を受け継いだものである。「同化主義反対」が彼らの合言葉であった。
田中明(韓国・朝鮮研究者) 『諸君!』1991年2月号 ~鄭大均『姜尚中を批判する』223頁

ところでドイツとの比較論は韓国でも近年、目立っている。
(中略)
日本統治時代が韓国人を日本人化しようという「同化政策」の下で、韓国側が言ういわゆる民族抹殺を進めてきたことは事実である。象徴的には言葉や名前を日本人のようにしようとしたことがそうだが、しかしこの同化政策が特定の民族全体の肉体的な消滅まで計画したナチス・ドイツと同列だったということはできない。
黒田勝弘『韓国人の歴史観』(1999) 17-18頁 ※太字「性」は原本では傍点

ナチス・ドイツはユダヤ人を決してドイツ人にしようとはしなかったし、イギリス人もインド人をイギリス人にしようとはしなかった。しかし日本は韓国人を日本人にしようとし、しかも相当それに成功した。よくいわれることだが、日本支配は最後には韓国人の名前を日本風に変え(創氏改名)、公用語は日本語にし、学校や言論を通じたいわゆる「皇民化教育」で「皇国臣民」をつくり「内鮮一体」をすすめた。
黒田勝弘『韓国人の歴史観』(1999) 197頁

(前略) その反日の論拠の一つ「慰安婦強制連行説」は、二〇一四年、これを積極的に報道してきた朝日新聞が虚報であったと認め、検証・謝罪記事を大きく掲載した。しかし、まだこれに類する虚報がマスコミに出回っている
(2019年)1月11日付朝日新聞「社説余滴」は「引き揚げの苦悩は消えぬ」と題して、九十七歳の老婦人の釜山港からの引き揚げ話を紹介している。そこに、国民学校(小学校)の「新入生の胸に創氏改名した日本名の名札をつけ、朝鮮語を禁じ」とある。確かに創氏改名はあった。しかし、この記事全体に流れるような強制性の甚しいものだったのだろうか。我々は何となくそう思っている。朝鮮人が朝鮮名のままだと警察に逮捕され刑務所にぶち込まれるというように。だが、実態はかなり違う。
この記事のちょうど一年前、昨年一月二十一日付産経新聞連載「海峡を越えて」第二回では「創氏改名ほど誤解が多い政策もないだろう」としている。朝鮮名から日本名に変えた人は約八割、残りは「金や朴など従来の『姓』をそのまま『氏』として使うことができた」。実例として、検事・閔丙晟、陸軍中将・洪思翊、女性舞踏家・崔承喜を挙げている。三人のうち最も有名なのは美貌と芸術性で日本人も朝鮮人も魅了した崔承喜で、デパートなどの広告にもしばしば起用された。
創氏改名が強制性の甚しいものなら、検事や将校が朝鮮名のままで許されるはずがなく、朝鮮名の舞踏家が国民的スターとしてポスターに登場するはずもない。
創氏改名の実態について私が疑問を抱いたのは、そんなに昔のことではない。一九九〇年刊行の『現代日本朝日人物事典』(朝日新聞社)によってである。私もこの事典に何項目か執筆しており、送られて来た同書を読んで気づいた。
それは朴春琴という戦前の衆議院(帝国議会)議員の存在であった。国会議員でさえ朝鮮名のままであるという事実は、創氏改名の強制性に疑いを抱かせた。
また、戦前にこそ朝鮮人に選挙権も被選挙権もあったと確認した。日本は韓国を「併合」したのだから、国民の権利である参政権は同じように保障されるだろう。詳しく言うと、まず内地(日本列島内)と京城(現ソウル)に居住する朝鮮人に参政権を与え、それ以外は順次ということだったが、敗戦によって実現を見なかった。
慰安婦強制連行説への疑問もこの時に湧いた。国会議員を出している人たちの娘を警察や軍隊が強制連行して慰安婦にすることが考えられるだろうか。国会議員以外に地方議員も何人か出ている。
日本の韓国統治の実態について、我々は知らないことが多すぎる。
呉智英 2019.1.28 https://blogos.com/article/354024/

(前略)富山市の杉山とみさん(97)は釜山(プサン)港で引き揚げ船に乗った時の心情をこう話す。
朝鮮半島の全羅南道で生まれ、1941年、大邱(テグ)の国民学校の教師になった。新入生の胸に創氏改名した日本名の名札をつけ、朝鮮語を禁じ、「皇国臣民ノ誓詞(せいし)」を復唱させた。給与は朝鮮人の先輩より高く、町の中心街は自宅をはじめ日本人家屋が占めた。 (後略)
朝日新聞(中野晃)2019.1.11 https://www.asahi.com/articles/DA3S13844038.html

日本は同化政策を取り、朝鮮人を日本人にしようとした。日本語を強制し、氏姓の改変まで行なわせ、両民族の結婚を奨励した。朝鮮人も同じく天皇の赤子であった。(中略)

日本人は、おのれを恐ろしい攻撃者である欧米人と同一視して日本を欧米化し、朝鮮を日本化することによって、欧米と日本との関係を、日本と朝鮮との関係にずらして再現しようとした。欧米との関係で自己同一性を危うくされた日本人は、朝鮮人の自己同一性を奪うことによって、おのれの自己同一性を立て直そうとした。日本語を配して英語を国語にすることを本気で考えた大臣がいたほどだから、朝鮮語を禁止して日本語を強制することも平気だった。おのれの自己同一性を失った者は、他人にとっての彼の自己同一性の重要性に無感覚になるのである。実際、日本人は、祖国の言葉と祖先からの氏姓を奪われた朝鮮人の気持ちに驚くほど無感覚で、植民地人を奴隷化するヨーロッパ人と違ってむしろ温情的に扱ってやっているつもりであった。
岸田秀 1977 『ものぐさ精神分析』16-17頁

日本に併合されていた朝鮮で1940年から皇民化政策の一環として実行された、それまで朝鮮になかった「氏」を創設し、名を日本風に改めることを強制した政策。
(中略)
朝鮮植民地時代の創氏改名を扱った文学に梶山季之の『族譜』がある。(中略)この作品は高い評価を受け、韓国では映画化もされている。『族譜』とは、朝鮮のいわゆる宗族(氏族集団)が代々書き継いでいる家系図であり、朝鮮の人々が先祖から受け継いだ最も貴重なものとして受け継いでいる。この小説は、朝鮮総督府に創氏改名を強制されたことによって、姓を奪われることは『族譜』を断絶することであり、先祖を裏切ることになると悲しんだ朝鮮の地方名士と、それを説得しなければならない総督府の日本人役人の葛藤を描いている。実際には族譜がなくなるようなことはなかったので、梶山の作品には誤解もあるようだが(詳しくは前掲の水野氏の著作を参照)、朝鮮植民地の官吏であった日本人の苦悩がよく描かれていて、無邪気な植民地礼賛を戒める意味でも一読し見るとよい。
世界史の窓 https://www.y-history.net/appendix/wh1505-067.html

※適宜追加 (→在日や本国人が創氏改名をどのように説明してきたか