黒田勝弘『産経新聞』1997/04/04の記事より
戦前の韓国(朝鮮)で生まれ育った作家・梶山季之の贖罪意識が反映した小説「族譜」は「創氏改名」をテーマにしたものである。小説としての評価や韓国での映画化のできばえはよかったが、問題の「創氏改名」については誤解があるとして専門家の間では評判がよくない。この誤解は日本統治時代の「創氏改名」(昭和15年から実施)の悪名ぶりを強調するあまり、現在、日韓双方にある。
「皇軍兵士」に
映画「族譜」は「創氏改名」に抗議して自殺した人がいたという実話を素材にしている。自殺例は全羅北道高敞郡での一件だけが記録として残っているのだが、映画は「創氏改名」によって韓国人が先祖代々、自らの存在証明(アイデンティティー)として受け継いできた一族の系譜である「族譜」が断絶するかのように描いている。しかしこれは誤りだという。
まず「創氏改名」は戸籍に別途、日本式の「氏名」を新たに作るというものであって、個人が所持し維持してきた「族譜」はそのまま残ったし、韓国人が大事にしてきた金とか李とか朴といった「姓」も戸籍にはそのまま残された。つまり、実際は「創氏改名」と「族譜」は関係なかったのだ。
韓国(朝鮮)は昔から男系社会であるため妻は夫の家系に入ることができず夫婦別姓である。また子供は必ず夫の姓を受け継ぐ。したがって戸籍では夫と妻の姓が違い、夫や妻の母親もそれぞれ別姓で、同じ戸籍にいくつもの姓が混在している。しかも姓自体が二百数十しかないため三大姓の金・李・朴だけで何百万人もいる。
「創氏改名」は日本風の氏名、日本風の戸籍にすることで韓国人の家族観を変え、日本人にしようとしたものというわけだ。
日本が植民地の韓国(朝鮮)や台湾を含め、国家総動員体制で戦争に対処しなければならなくなった南次郎総督時代のいわゆる「内鮮一体」「皇民化」政策である。とくに「皇軍兵士」として韓国人を動員する必要性から日本人化が進められたともいえる。
韓国人にとって最も重要な家族-血縁に関する問題だけに当然、反発があったし、ごく一部だが自殺者も出た。「創氏改名」は法律による半ば強制、半ば自由意思という政策だったが、応じないと不利益をこうむるといわれ、さらに「時流」もあって韓国人の約8割が応じた。
(中略)
著名な文学者だった李光洙は昭和15年2月、「香山光郎」と「創氏改名」した際、その理由を次のように説明している。(中略)李光洙は「同じ日本人」として差別排除を願って日本人風の氏名を選択したというのだ。
(後略)
引用元: http://ironna.jp/article/1792 ※(中略)(後略)太字強調・下線強調は引用者による
これは産経新聞の黒田勝弘氏によって書かれた創氏改名についての記事である。
この記事から1997年の時点で「創氏改名」がどのように誤解されていたかを整理してみる。
一般にあった創氏改名についての誤解
1. 創氏改名は民族名を日本名に変更する制度であり、その際戸籍から民族名は消滅する。(いわゆる日本名強制説)
2. 族譜が断絶する *1
3. 強制実施(10割) *2
黒田氏による修正
1. 創氏改名は日本名を民族名とは別に新たに作ることであり、戸籍から民族名(とくに姓)がなくなることはない
2. 族譜は創氏改名とは無関係であり、断絶しない。
3. 応じたのは8割
黒田氏も誤解している点(1997年当時)
1. 名前の変更が上下セットで行われたと思っている。(正:創氏と改名は別制度なのでセットではない)
2. 「新たに作る」のは日本人風の氏名(山田太郎など)だと思っている。(正:新たに作るのは氏だけで名前はそのまま)
3. 8割という数字を日本風の氏名をつけた人の割合だと思っている。
(正:実際の創氏改名では、改名したのは一割であり、つまり九割の人は下は民族名のままだった)
4. 氏名や戸籍を日本風にすることで朝鮮人のアイデンティティを日本人化することをねらった制度だとおもっている。*3
5. 創氏は届出制という極めて緩い方式で実施され、総督府の予想届出率も二割(*4)にすぎなかったことを知らない。
*1) 当時、族譜という名称やそれに関する知識はそれほど一般的ではなかったと思うが、家系図云々という説明のされかたはあったように思う。ただしそれも「発展的学習」に属する話で、一般に創氏改名の問題として浮かぶのはまず1のイメージ。
*2) 「日本式を強制」という説明が標準であったこと、「名前が奪われた」という俗説があったこと、朝鮮名を維持した人の話がなかったこと(少なくとも私は聞いたことがない)などから、記事では明示されていないが10割と誤解していた人は少なくないと考える。
*3) 記事タイトル「日本人化の時代」や99%の話から解釈(→引用元参照)
*4) 予想創氏率
【解説】
「創氏改名」については、朝鮮人に日本名を強制することによって日本人化を強制した政策というのがかつての標準的な誤解だった。 しかし実際の「創氏改名」は次のようなものであった。
○民族名(姓名)とは別に家族名(氏)を追加する。
○原則は夫の姓を氏とするが、希望者は届出ることによって自由な氏も設定可能。
「創氏改名」と呼ばれている制度の実態は、じつは「創氏」制度であって「改名」は含まれていなかったのである。
改名を前提としない、すなわち下の名前が民族名のままということは、日本風の名前(氏名)にはならないことは明白である。
じっさい当局は朝鮮人を日本風氏名にすることは考えておらず、むしろ日本風ではなく朝鮮風の氏名を推奨していたことがわかっている。
ゆえに日本名(上下とも)をつけさせ、それによって朝鮮人の精神を日本人化しようとしたという黒田の説明は完全に間違っているのだが、創氏改名については長らくこうした 【誤解】 が定着していた。
黒田氏のような韓国通の記者ですら、1997年の時点でこの程度の理解だったということは驚くべきことである。一般人レベルの理解がどうであったかは、推して知るべしであろう。
こうした「誤解」が修正され、それが一般にまで認知されていくには、インターネットの普及という時代の到来を待たねばならなかったのである。
(終)