まず簡単な説明
○いわゆる創氏改名とは、名前の法律上の標準表記を姓名(夫婦別姓)から氏名(夫婦同氏)にする政策。
○その際、姓を改廃するのではなく、「氏」を追加する方式を採った。
○氏は届出制で、戸主が届出た。届出期間は1940年2月から6ヶ月。最終的な届出率は8割。(設定創氏)
○氏を届出ない場合は、姓が自動的に氏となった。(法定創氏)
○氏は朝鮮風が推奨され、「改名」はむしろ非推奨だった。(後述) ★最終的な改名率は1割(→資料)
○族譜(家系図)も存続した。
(※なお制度導入にあたっては中枢院という朝鮮人貴族からなる諮問機関に長年にわたって諮ってパスしている)
創氏について、少し詳しい説明
朝鮮人の名前の標準形式は「姓名」である。
朝鮮は姓(家系)を重視する文化であり、結婚しても苗字(姓)は変わらない。(ゆえに夫婦別姓)
一方氏制度とは夫婦同氏のことで、平たく言えば、核家族が同じ苗字を名乗ること。(現代日本と同じ)
(――ちなみに別姓制度は、女を男側の家系(姓)に入れないという意味であり、儒教文化に由来する)
朝鮮で氏を導入しよう考えた朝鮮総督府は、(廃姓ではなく)姓はそのままに、氏を追加する方式を採った。
氏を追加する方式を採ったため、戸籍には姓名がそのまま残った。(姓・氏・名が記載されるようになった)
戸籍の再現すると下図のようになる。
創氏は届出制なので、たとえば「月山」でとどけるとケース1のようになる。
一方、姓そのままを氏として届けた場合、あるいは届け出なかった場合は、ケース2のようになる。 ケース2の場合、父と子の名前は表面上まったく変わらない。(もとの姓名(民族名)がそのまま氏名になるため)
なおある統計によると姓をそのまま氏とした朝鮮人(ケース2)は約24%と推定される。*1
※姓が本貫(出身地名)の欄に移動しているのは、元の戸籍から最小限の変更で流用できる記述方式であること、また朝鮮人の家系は正式には本貫と姓のセットで表現されるため、同じ欄にまとめてよいと判断されたことなどが考えられる。(私見)
「創氏改名」の制度趣旨
核家族単位で世帯管理すること、そして日本の民法(氏名表記)を準用できることなどから導入された。(私見)
日本の明治期のような廃姓政策ではなく、氏追加政策を採ったのは、朝鮮の名前文化に配慮したもの。(私見)
ゆえに氏は朝鮮風が推奨されたし、「改名」は求められなかった(必要性がない)。(→総督府は朝鮮風氏名推奨)
創氏が無料(届出制)だったのに対し、改名は有料(裁判所の許可が必要)だった。(→改名に裁判所の審査が必要なのは現代日本と同じ。つまり改名は原則認められていない。非推奨。これはあくまで「氏を追加」する政策にすぎなかったという事実の現われ)
こうした事実から、日本名(山田太郎など)が強制された的な俗説は、完全な嘘である。
氏は公的空間でかぶる帽子のようなものにすぎず(私見)、私的空間では脱帽できた。(私的空間では姓名が存続した)*2
族譜(私的家系図)もそのまま存続。(廃止する必要性がない) (なお→梶山季之『族譜』の間違い(嘘)について)
ゆえに姓や族譜を廃止することで宗族制度を解体しようとしたという説も嘘である。
結論
結局「創氏改名」とは、朝鮮の名前文化(姓名制度)を温存し、公的空間(氏名制度)と二層化する政策にすぎなかった。(私見)
(この程度の制度だったため、じつは朝鮮人側も抵抗運動などしていないことがわかっている→抵抗運動についての誤解)
「創氏改名」ではなく「創氏制度」に名称変更すべき
創氏改名という名称に、名前を変更(改名)する政策であるかのようなイメージが含まれているのは問題である。
歴史用語としては「創氏制度」「氏制度」等に変更することを提案したい。
*1) →こちらの項目の最下段を参照
*2) →実施後の氏名使用実態参照