「真実」問題

「真実」問題

「真実」問題とは、筆者が便宜的につくった造語で、あるドグマを信じこんでいるために、それと反する正しい事実(真実)が見えているのにもかかわらず、それをつい軽視して見落としてしまう心理のことをいう。

またその正しい事実の方を、適当に捻じ曲げて解釈してしまう心理のことをいう。

たとえば、日本が「植民地支配」で朝鮮人を奴隷扱いして苦しめたという世界観=ドグマを信じていたとする。*1

その世界観が正しいとすると、「強制連行」されてきた在日が帰国せずに日本に住んでいるという事実(真実)は本来はおかしいはずである。

しかしそこでなんらかの理由をつけて、たとえば皇民化政策で朝鮮語を話せなくなってしまったから帰れないのだ、あるいは生活の基盤が日本にできていまさら帰るのは難しいのだ(実際そういう説明もあった)、といった具合に彼らの事情を勝手に忖度して、ドグマの方に寄せて辻褄を合わせてしまう。 そのような心理のことである。

(※追記:専門用語ではこのような心理のことを「認知的不協和」というらしいが、ここでは「真実問題」を用いることにする)

「真実」問題に直面したときに、ドグマを見直せば謎は解けるはずである。

つまり日本人と朝鮮人は「同胞」としてそこそこ仲良くやっていて、強制連行とは戦時徴用のことであり、在日とは日本に出稼ぎにきた朝鮮人がそのままとどまった人々に過ぎない…と考えればすべての整合性がとれるはずである。

しかしドグマはそれを許さない。

つかこうへいが1997年に書いた従軍慰安婦の物語も、この「真実」問題がそのままあらわれた作品である。

彼はドグマを信じていたがゆえに、日本軍が朝鮮人(非同胞、いわば奴隷→*1)の女を拉致誘拐して性的搾取しているという(朝日新聞的な)世界観で物語を書いてしまうのである。(→つかこうへいが描いた「従軍慰安婦」

またこの作品には、ある一人の朝鮮人日本兵(鬼塚)が登場するが、つかこうへいは、朝鮮人日本兵という存在は知っているもののその意味(日本の味方であること)を正しく理解していないため、ここでもおかしな辻褄合わせをすることになる。*2
すなわちつかこうへいは、鬼塚を、自己の栄達のために、日本名で朝鮮人という正体を隠して、「敵国」である日本軍に密かに潜り込み、しかも同胞の女を「従軍慰安婦」にしていた、祖国の裏切り者―という(ドグマに沿った)辻褄にして描いてしまうのである。(→つかこうへいの歴史観

*1) 日本人と朝鮮人が非同胞(一種の奴隷階層)であるという世界観(→「植民地支配」をめぐる2つの世界観の世界観A
*2) じつは筆者も、つか同様、朝鮮人が日本兵になっていることの意味がよく分かっていなかった(→『はだしのゲン』にみる朝鮮人強制連行)。 つかこうへいの場合は、作品を仕上げるために、ここで説明しているような辻褄をひねり出したが、筆者の場合は、(上で説明したように「強制連行」については適当な辻褄を見つけられたものの)朝鮮人日本兵については適当な辻褄を見つけられなかったため、棚上げしてやり過ごすということしかできなかったからである。そんな筆者が朝鮮人日本兵の存在をはっきり認識したのは、90年代後半に議論にのぼってきた韓国人兵士の靖国合祀問題のときである(→こちら)。しかしその時点でもまだ、当時のつかこうへい同様、あまり理解できていなかった。 筆者が朝鮮人は日本人の同胞(味方、身内)であり、戦争も一緒に戦っていたという社会構造を完全に理解するのはもっとあと、2004年頃のことになる。