1980年代に私が抱いていた在日のイメージ

在日とはほとんど接触がない環境で育った筆者が、1980年代に在日という存在について抱いていたイメージ。

存在

「強制連行」されてきた人々およびその子孫。人数はよくわからない。(人数についてはあまり考えたことはなかった)

戦後無責任に放り出されたような状態で生活している。どのような滞在資格で滞日しているのかよくわかってない。
(滞在資格についてはあまり考えたことがなかった。1965年日韓基本条約についてはその存在自体知らない)

名前

全員民族名で朝鮮学校に通っている。(なお朝鮮学校が北系であることはまだよくわかっていない)

通名というシステムを知らない。日本名で普通に日本社会で生活していることを知らない。 まさか「創氏改名」のときに拒否したはず日本名をなのり、強制連行されてきて憎んでいるはずの日本社会で普通に生活しているなどとは、当時の私は想像もしていない。

許永中や康珍化(作詞家)など、時折みかける民族名は皆中華系だと思いこんでいた。 学校に民族名の同級生が何人かいたが、皆中華系だと思いこんでいた。(出自について聞いたことはない)

(通名について知ったのは、90年代に朝生で辛淑玉さんあたりが触れたときだったように思う。通名を名のる理由は、在日だとわかると差別されるので日本社会では民族名は名乗れないのだという理屈付けがされていたと思う(今でもそういう言われ方がされると思うが)。ゆえに筆者は、在日にそんな思いをさせている日本社会がけしからんという方向に誘導されてしまっていた)

言葉

皇民化政策(日本語強制政策)で失ってしまった朝鮮語を学びに朝鮮学校に通っている。

生活

植民地時代からずっと差別と抑圧で、社会の底辺に置かれて苦しんでいる。 大企業(ロッテなど)や有名スポーツ選手が在日であることなどは、このとき想像もしていない。

(力道山が朝鮮人だったという話や、長州力が韓国代表で五輪に出るという話は聞いたことがある気がするが、ごく特殊な事例で例外扱いしていたように思う。金田正一張本勲ですら在日であることをまだ知らない)

思想

全員、辛淑玉氏のように日本を恨んでいる。それが当然だと思っている。

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今日ではインターネットの普及によって、「在日」にもさまざまな政治的意見をもった人がいることが知られはじめている。

しかしネット以前の「在日」のイメージというのは、自分のみのまわりに起きたこと、学校教育、そしてメディアの論調によって作られていた。

筆者の場合、戦後教育やメディアの論調に強く影響を受けていたため、今思えば本当に間抜けな話だが、在日とは「強制連行」されてきたにもかかわらず、戦後後長らく日本社会から放置疎外されていた人々であり、しかも「皇民化政策」によって朝鮮語が禁止され日本語が強制されたために日本語しか話せなくなってしまった人々であると思いこんでいた。(→日本語強制がどのように誤解されていたか

ゆえに在日とは、筆者にとって、長らく内心恐懼する存在だった。

筆者が在日について、こうしたイメージがまったくの虚構であり、またその全体像を理解できるようになったのは、インターネットを介して直接在日の率直な意見が聞けるようになってからのことである。 その経緯についてはまた別稿で述べたいと思う。 (→資料・新井知真(コリアン・ザ・サード)