「朝鮮半島をめぐる歴史問題」とはなにか

このページのタイトルを「~をめぐる歴史問題」ではなく、あえて「~とはなにか」という言い方にしているのには理由がある。 それは、日本と朝鮮半島の間にある歴史問題は、一般にイメージされる歴史問題とは性質が異なるからである。

歴史問題というと、一般には、1945年以前の問題についての論争がイメージされるだろう。 たとえば「創氏改名」で強制があったか否かという種類の論争である。

しかし本サイトで扱う歴史問題とは、1945年以降の問題なのである。

どういうことかというと・・・

1945年以前にあった問題、すなわち実際の日本統治下の朝鮮にあった問題というのは、たとえば「創氏制度の実施上の混乱」「徴用における労働問題」「娘の身売り」など、いわゆる行政問題・労働問題・社会問題の範疇に属する問題だった。

それらは、当事者にとってそれなりに深刻な問題ではあったものの、戦後の日本人がわざわざ歴史教科書で学び、反省を強いられるような性質の問題、すなわち日本人が贖罪意識を感じるような「負の歴史」ではなかったのである。

(つまり1945年以前には「歴史問題」は存在しなかった)

ところが戦後(1945年以降)、そうした諸問題が「創氏改名」「強制連行」「従軍慰安婦」などとなって、あたかも国家犯罪であったかのように語られるようになり、「歴史問題」として認識されるようになった。 (→「植民地支配」をめぐる2つの世界観

そして、そうした虚構にもとづく、本来であれば感じる必要のない贖罪意識は、指紋押捺廃止・特別永住資格拡大カルト宗教(統一教会)による日本人女性獲得などに政治利用されていったのである。

つまり筆者がここで問題提起しようとしている「朝鮮半島をめぐる歴史問題」とは、1945年以前の問題ではなく、この戦後におきた一連の事実、すなわち虚構と、贖罪意識の政治利用の問題であって、それに対して誰もなにも責任を取っていないという問題なのである。

「朝鮮半島をめぐる歴史問題」が1945年以降の問題であるとは、そういう意味なのである。

さて、このような問題意識により本サイトでは、1945年以前の真偽論争よりも、戦後の事実の方に重きを置く。

すなわち(1)戦後メディアや教育によって定着した虚構とはどのようなものであり、(2)そしてそれによってどのようなことがおきていたのかの説明に重点を置く。 (もちろん必要の範囲内で真偽の検証も行う)

そうすることで、この左派史観が当時の日本社会にどれくらい政治的影響力をもち、利用された贖罪意識(*1)がどのくらいのものであったのかが伝わればと期待するものである。

今日の歴史論争は、慰安婦の問題が主戦場になっている。

慰安婦像などの国際プロパガンダは、日本の名誉にも関わるものであり、その重要性は承知しているつもりである。

しかし述べてきたように筆者には筆者の世代特有の問題意識がある。

すなわち単なる歴史論争ではなく、戦後このような「嘘」を流布し、悲惨な事態を招いてきた人間がまったく総括されることなく、「女性の人権」や白馬事件、そして徴用工問題(あるいはヘイトスピーチ問題)などに話がすり替えられていっているということの方にこだわり(怒り)をもっている。

本サイトの説明によって、日本と朝鮮半島に横たわる歴史問題というのは、過去の真偽論争だけではなく、また現在の国際プロパガンダの問題だけでもなく、あるいは「在日特権」のような正体不明な話でもなく、戦後におきた厳然たる事実の問題なのだということが読者に伝われば幸いである。

*1) 左派史観によって喚起された贖罪意識がどれくらい強力なものだったかについて、その「程度」を直接説明することはむずかしい。なぜならある事実に対してどのような感情をもつかは、人によって感覚が異なるからである。そこで本サイトでは、左派史観というものがどのようなものであったかをできるかぎり読者に伝わるように説明して、それを信じ込んでいた人がどのくらいの贖罪意識をもつか、そしてそれが当時どれくらい政治的威力をもったかについては、読者の想像力に任せたいと思う。