「植民地支配」をめぐる2つの世界観

朝鮮半島の「植民地支配」がどのようなものであったかについて、まったく異なる2つの理解があった。

ひとつは左派史観(いわゆる自虐史観)であり、 もうひとつは現在われわれが知っている正しい歴史観である。

ここでは便宜的にそれぞれ世界観Aと世界観Bとし、以下このABの中身について整理して説明してみたいと思う。

(構成の都合により先にBから説明する)

◆世界観B (現在の歴史認識、新パラダイム)

世界観Bとは、今日のわれわれがもっている「植民地支配」についての歴史観である。
すなわち日本人と朝鮮人は同胞(味方)であり、戦争も一緒に遂行していたという世界観である。(同胞的関係
この「同胞的関係」とは、あえて喩えるなら、当時の日本と朝鮮(や台湾)との関係は一種の同盟関係だったということである。もちろん「併合」であり、朝鮮は国家ではなくなっているので、正確には同盟関係ではないが、とにかく「味方」の関係だったのである。

ゆえに徴用などで炭鉱労働していた朝鮮人もいたし、なかには志願して日本兵になった朝鮮人すらいたのである。 昨今問題になっている旭日旗も、それを元気よく振っていた側だったのである。(∵味方)
この日本統治下の朝鮮では、行政側にも多くの朝鮮人がいて、たとえば憲兵や役人も朝鮮人だったし、道知事も多くが朝鮮人だった。朝鮮統治にはそうして多くの朝鮮人が関わっていたのである。(∵同胞)
当時は朝鮮人の学生も朝鮮同胞として、日本人とともに高校野球の甲子園大会に出ていたりもした。(もちろん台湾もでていた)

――このような光景が、日本統治下の朝鮮半島の実際の姿だったのである。(同胞的関係

(*その他「同胞性」を示す事実としては、数はそれほど多くはないものの日本人と朝鮮人の婚姻があったことなどが挙げられよう。戦後北朝鮮に渡った日本人妻問題は有名である。ちなみに日本の皇族にも朝鮮王族に嫁いだ人がいた(李方子))

そしてこのような日本統治下の朝鮮に存在していた問題というのは、社会問題、労働問題、行政問題である。

・徴用の現場における労働条件の問題
・娘の身売りなどの社会問題
・「創氏改名」にまつわる問題も、じつは行政問題にすぎないことがわかっている。(別稿参照)

このように、日本統治下の朝鮮にあった諸問題は、それなりに深刻な問題ではあったものの、どこの社会にもある(今日の日本社会にすらある)一般的な問題であって、わざわざ「歴史問題」として、戦後、教科書に載せて日本人の反省を強いるような性質のものではなかったのである。
すなわち戦後の日本人が「贖罪意識」を感じるような性質の問題では、まったくなかったのである。

以上のような歴史観(世界観B)は、今日では常識となりつつあるが、かつてはそうではなかった。
それが次の世界観A(左派史観)の時代である。

◆世界観A (左派史観、いわゆる自虐史観、旧パラダイム)

本サイトでは左派史観(いわゆる自虐史観)のことを、世界観Aと表記する。

この世界観の特徴は、日本人と朝鮮人の関係性が同胞ではなく主従・隷属関係というところにある。(非同胞的関係) **
この世界観Aにおける朝鮮人は「植民地支配」されている完全被支配者層である。(一種の奴隷階層

そしてこの世界観における問題とは次のようなものであった。 (1970年代以降、以下のような認識へと徐々に変わっていった)

強制連行は(戦時徴用ではなく)強制労働
皇民化政策(創氏改名、日本語強制)は民族否定政策
従軍慰安婦は単なる売春婦(慰安婦B)ではなく、日本軍が20万人規模で朝鮮人女性を拉致・誘拐などしてきて行っていた、文字通りの性奴隷(慰安婦A

この世界観Aにおける諸問題(創氏改名~従軍慰安婦)の性質は、B社会問題等)とは異なり、国家犯罪である。
国家犯罪であったからこそ、歴史教科書で戦後の日本人に教えるべきものという位置におかれていたのである。 戦後の、この世界観Aに基づく歴史教育は、ドイツ人がホロコーストを学ぶのと、性質としては同じものだったのである

戦後、「従軍慰安婦」などが信じられてしまった背景には、この世界観A(非同胞的関係)が定着していたことが関係している。
というのは、もし正しい世界観Bの方が存続していれば――つまり一種の同盟関係であることが理解されていたならば――朝鮮同胞(身内)の女性をそのように扱っていたという虚構が信じられる筈がない。 従軍慰安婦など、「日本軍が日本人の女(身内)を強制連行して性奴隷にしていた」と同じくらい荒唐無稽な話のはずだからである。(→朝鮮半島を「紀伊半島」に置き換えるとわかる「従軍慰安婦」問題のおかしさ

ところが「強制連行」なる言葉が人口に膾炙して朝鮮人は非同胞(奴隷=世界観Aであったかのような錯覚が生まれると(→その仕組み)、やがて花街の遊女にすぎなかったはずの「慰安婦」についても、いわば奴隷の女として性的搾取されていた(従軍慰安婦=慰安婦A=国家犯罪)かのような「物語」が生じていくのである。

ところでそんな極端な誤解を信じていたのはあなただけだ、と思う人もいるかもしれないが、そうではない。
実際つかこうへいも、「植民地支配」をAの線で誤解していたことがわかっている。 (→つかの歴史観
だからこそ彼は1997年に世界観Aに基づいた「従軍慰安婦」の物語を書いてしまうのである。 (→つかが描いた「従軍慰安婦」

じつは1970年代~90年代という時代は、このような歴史観Aにもとづく贖罪意識が生まれ、それが特別永住資格の延長やカルト宗教の信者獲得などに、政治利用されていた時代なのである。
この「戦後の事実」こそが、日韓歴史問題の核心なのである。(→「朝鮮半島をめぐる歴史問題」とは何か

パラダイムシフト

1995年には総務庁長官だった江藤隆美が「植民地支配で日本はいいこともした」と発言しただけで、メディアに大バッシングを浴びて更迭されるという事件があった。 これは当時世界観Aが主流であったからこそおきた出来事である。

しかしこの世界観Aも、1990年代後半から2000年代前半にかけて、徐々に世界観Bへと回帰していく。
1996年つくる会発足、1998年『戦争論』発売、2005年『マンガ嫌韓流』発売は、この転換期を象徴する一里塚である。 前二者はこの転換を牽引したものであり、『嫌韓流』は00年頃から主にネット上で交わされていた論点を集約したようなものになる。

この歴史観の転換(AB)は、要するに、国家犯罪であったはずの日本の行為が、単なる社会・労働・行政問題に過ぎなかったことが露呈していく過程のことである。

90年代半ばから始まって、インターネットの普及とともに拡大し、『嫌韓流』で一旦の区切りを見たこの歴史観の地殻変動を、本サイトではパラダイムシフトと呼ぶ。

AB構造

AB2つの世界観は日韓歴史問題の構造を理解する上で極めて重要である。

なぜなら「強制連行」「慰安婦」などの用語は、ABどちらを前提にするかで意味が異なってくるからである。

たとえば、今日では慰安婦問題を女性の人権の側面から語る人も多く、そのなかには「身売りされた女は性奴隷も同然である」という論法で「慰安婦=性奴隷論」を展開する人がいる。

その主張はまったく正しいが、それはあくまで世界観B(慰安婦B)における問題、すなわち社会問題犯罪等のことであって、日韓の間で問題となっている慰安婦Aの問題、すなわち国家犯罪ではない。

同様に、在日の「強制連行」問題は徴用もしくは戦時徴用、あるいは単なる出稼ぎであって、そこにB的な労使問題はあっても、A的奴隷労働(比喩ではない)があったわけではない。

このように世界観によって意味に違いがあるために、今日の論争は、右派が「A(国家犯罪)は嘘である」と主張するのに対し、左派は(ABと論点修正して)「B(社会労働問題or事件等)は事実である」と反論するというちぐはぐな様相を呈しているのである。 AB2つの世界観をまたいでの議論はこのように齟齬しやすいのである。

世界観Aの時代

かつての日本社会では、戦後教育世代を中心に、この世界観Aが歴史認識の主流だった。*1

正しい歴史観(B)しか知らない人にとっては、なぜAのような虚構がスタンダードでありつづけたのか、そしてなぜそれに気が付かなかったのか、不思議に思うかもしれない。

なぜなら当時でもB的な要素、つまり正しい世界観Bにつながる事実(真実)はいくらでもあったからである。 代表的なところでは、「強制連行」されてきたはずの在日(虚構A)が、未だに日本に居住していること(真実B)などがそうである。
にもかかわらず世界観Aは維持され、世界観の転換(AB)は困難だった。なぜか。

それは教育とメディアがほぼすべて同じ方向でAを語っていたために、いつしか世界観Aドグマと化していたからである。世界観Aが事実解釈の前提になっていたからである。実際当時の筆者は世界観B=朝鮮人は味方で同胞という認識が、完全に発想の外に置かれてしまっていた。*2

それゆえ、実情としては知っているB的な事実も、それをどのように考えたらAと矛盾なく統合できるのかという方向でしか思考できない。B的要素をつねに世界観Aの中で解釈しようとしてしまっていた。

たとえば「強制連行」(A)で来た在日が日本に留まっているのはおかしいはずであるが、しかしそこでなんらかの理由をつけて、たとえば皇民化政策で朝鮮語を話せなくなってしまったから帰れないのだ、あるいは生活の基盤が日本にできていまさら帰るのは難しいのだ(実際そういう説明もあった)、といった具合に彼らの事情を勝手に忖度して、すべてドグマAと矛盾しないように辻褄合わせをしてしまうのである。(→「真実」問題

『蒲田行進曲』等で有名な劇作家つかこうへいも、まさにこうした心理(ドグマ)に囚われた一人である。

つかは慰安婦Aの物語を書くつもりで取材をはじめたところ、恋愛があり、金銭の授受り、慰安婦の中には日本人もいておどろいた等、B的な事実に接して混乱してしまったと告白している。*3

もしそこで世界観をBに転換していれば、すなわち日本人と朝鮮人は同胞であり、慰安婦は(今日にすらいる)単なる遊女にすぎないと発想を転換できていれば、恋愛や金銭授受があり、そこに日本人がいたことも、ごく当たり前のことだと気づくはずである。 しかし彼は世界観を修正できずに、筆者同様、B的な要素をすべてAの側の辻褄に合わせてしまうのである。そうして奴隷階層である朝鮮人女性だけが性奴隷として日本軍にあてがわれていたという従軍慰安婦Aの物語を書いてしまうのである。(→つかこうへいが描いた「従軍慰安婦」

こうしたつかこうへい作品は、1990年代に世界観Aがいかにドグマ化していたか、左派の嘘がどれだけ日本社会に絡みついていたかを一流の劇作家の筆力によって保存した貴重な歴史資料といえるのである。

※余談…「20万人も女を拉致されてなぜ朝鮮人の男たちは黙っていたのか」と揶揄する右派の人をネット上でしばしばみかける。しかし当時Aの中にいた私自身も、そうした疑問は抱かなかった。なぜなら朝鮮人は「植民地支配」されている奴隷階層であり、徹底的に抑圧弾圧されていて、抵抗などできるはずがなかったと思いこんでいたからである。 現在の韓国人も、おそらく当時の筆者と同じように、まだ世界観Aの中にいると考えられ、ゆえにそうした発想はないだろうし、そうした揶揄をしても意味がわからないと思われる。

日韓の歴史問題は世界観の問題

日本と朝鮮半島の歴史問題というのは、ようするに個別論点の問題ではなく世界観の問題である。

世界観の問題であるということを理解していないと、たとえば「慰安婦問題」も、従軍慰安婦Aという原点を離れて、「慰安婦の強制連行があったか否か」(事件B)という論点ずらしに付き合うことになってしまう。(もちろん強制連行B(たとえば白馬事件などの事件)は「あった」→AB構造のちぐはぐ問題)

かつて、極端な事例をとりだしてそれを全体であるかのように語り、世界観をAと偽装して、「植民地支配」が国家犯罪であったかのように鼓吹し、日本の国家責任を問うていたのが戦後の進歩的知識人であり、民族派在日であり、本国人だった。 そしてそれが様々に政治利用された。(→「朝鮮半島をめぐる歴史問題」とはなにか

そしてそうした「世界観の嘘」がバレていくのが1990年代半ばからのパラダイムシフトであり、そしてこの「嘘」を総括することなく、ABという論点ずらしや「ヘイトスピーチ」に矮小化しようとしているのが今日の左派言論なのである。

(ちなみに、逆に、こうした重要な問題を2000年代後半から「在日特権」に矮小化していったのが桜井誠らである)

*1) 閲覧上の注意参照
*2) 当時の筆者には、「植民地支配」という言葉で説明されているものの実態が、日本人と朝鮮人が同胞としてそこそこ平等でそこそこ仲良くやっていたという世界観Bだったなどとは想像すらできなかった。そんなことは完全に発想外だった。 つかこうへいも同じだったと考えられる。
*3) →つか1後半

**) 気になる人もいるかもしれないので「非同胞的関係」(非同胞性)について補足しておく。
当時の筆者の歴史認識がどのように構築されたかというと、まず筆者は、強制連行A、創氏改名A・・・という「歴史教育」を受けた。そしてそのとき筆者の頭に自然と結ばれたのが「非人道的な植民地支配」という像Aだった。そしてこの像Aは1990年前後に出てきた従軍慰安婦Aの話と無理なく繋がっていった。 そして、こうした一連の歴史認識(像A)について、今日の頭で整理して考えると、「植民地支配」についての誤解の本質は、要するに、朝鮮人=非同胞という錯覚にあるということに気がついた。すなわち「日本は非同胞である朝鮮人に対し、Aのような非人道的な施策を実行していた」という錯覚が生まれていたと、後になって整理(自覚)できたのである。(世界観A)
ここで注意してほしいのは、筆者の中で世界観Aが構築された順序は、この逆ではないということである。
つまり朝鮮人=非同胞という錯覚(世界観A)が先に明確に意識されていて――もちろん「植民地支配」という言葉のイメージから無意識的にそういう方向の意識もあるにはあったが、そこが「明確に意識」されながら――、そこから各政策Aが体系的に把握されたわけではないということである。 もしそのような順序で体系的な理解をしていたとすると、逆に、たとえば創氏改名A(日本名強制)について、なぜ非同胞に日本名を強制する必要があるのか?等々の矛盾を世界観Aに感じてしまう。しかしそうではなかった。 何が言いたいかというと、ここで説明した「非同胞性」という世界観Aの特徴について、読者の中には後者の順序で捉えようとして筆者の説明に矛盾を感じる人もいるかもしれないので、そうではないということを念のために補足した。