ネットの普及と歴史認識問題

ネット普及と歴史認識問題との間にどのような相関があるか。

それを見るために、日本におけるネット普及の歴史、つまりパソコン通信黎明期からインターネットが普及していったころのことを時系列でならべてみた。 記憶で書いているところもあるため、不正確なところはご容赦。

1980年代

ネット萌芽期。
パソコン雑誌で音響カプラが紹介されるなどしていた。通信速度は300-1200bpsであり、サービスとしても実用になるようなものはなかった。

1980年年代後半にはモデムタイプの通信機器が登場。
1986年PCVAN、1987年Nifty-Serveの二大商用パソコン通信サービス(後述)がスタート。パソコン通信への関心が高まった。

1990年にはネット上に作られた街を歩き回るというコンセプト富士通Habitatが近未来を感じさせたが、プロトタイプの域を出ない。

1990-1995年

パソコン通信全盛時代。商用、草の根さまざまなホストが存在した。 パソコン通信とはテキストで交流するサービスであり、固定ID制の2ちゃんねる掲示板と考えれば良い。分野ごとに専門フォーラムがあり、好きなフォーラムで交流、情報交換することができた。書き込みは実名の他ハンドルネーム(コテハン)でも可能だった。

テキスト以外のデータ(つまり画像など)については、ユーザ間でバイナリテキスト変換(ish)やバイナリメール(通称Bメ)でやり取りができた。汎用性のあるデータの場合は、ライブラリに登録することで、必要な人が適宜ダウンロードすることもできた。いずれにせよテキスト以外のデータの共有・閲覧には一手間二手間かかる時代だった。

当時このようなサービスにアクセスできたのは、パソコンを購入できるだけの資金と、モデムを設定できる程度の知識(というか熱意)がある人間に限られていた。回線速度は2400bps~9600bpsが中心で、わずか1MBサイズのダウンロードにも30分を要するくらい低速だった。

CPUはi386やi486がまだまだ現役で、JPEG画像一枚描画するのに何分も掛かることもあった。1993年にはPentium(i586)が発売され、やっとこのクラスのCPUから画像がほぼ瞬間で表示されるようになった。ハードはNEC富士通等メーカー製デスクトップが主流で価格は20万円代が普通だった。

1995-2000年

1995年、Windows95発売。当時、このWindowsについての一般人の関心は、インターネット端末というよりも、PC98やIBM互換機など異なる規格のハードの上で同じアプリケーションが動かせるということの方に集まっていた。

この頃はまだパソコン通信の方が実用的で、インターネットのホームページはパソコンに比較的詳しい一般人が趣味で持ちはじめるという程度だった。個人が情報を発信するには、まだまだ技術的なハードルが高かった。「とほほのWWW入門」がホームページ作成の入門サイトとして人気だった。

検索エンジンは群雄割拠。ロボット型エンジンの検索精度はまだ低く、検索順位もあまり妥当ではなかった。今日ではロボット型が主流だが、当時はヤフー・カテゴリなどのディレクトリ型検索サイトに掲載してもらうというのがひとつのステータスだった。

この頃は、ホームページを探すときに今のように検索エンジンで検索するよりも、ディレクトリ型サイトからのリンクや、メールや雑誌に掲載されているアドレスを直接ブラウザに入力するという手順の方が多かった。 つまり、今日のように有名無名のページが検索エンジンやSNSによって有機的に結びついているのではなく、まだまだバラバラに点在しているような状態だった。

接続環境は電話回線が主流で、テレホーダイ時間帯にはアクセスポイントに電話がかからない(話し中)ことも多かった。回線速度はモデムタイプで28800bps、33600bps、56800bps(56K)。ISDNだと64K-128Kの時代だった。回線速度がまだそれほど速くなかったため、ホームページの作成にあたっては、掲載する画像の画質を適度に落としておくことがマナーとされていた。

動画については、2000年直前にRealPlayerなどの小さなの低画質ストリーミング動画が普及しはじめた。それとは別に画質の比較的よい動画をやりとりするには無料サーバ(Tripodなど)に分割アップロードし、長時間かけてダウンロードし、結合して見るという(アンダーグラウンドな)手法も生まれる。

一般向けCPUは MMX Pentium や Celeronの 3桁Mhzのクラス。
人によっては自作パソコンに手をつけ始めるが、安価なものでも一揃い7-8万以上していた。モニタを揃えれば10万超え。もちろん現在のような通販環境(カカクコムなど)は整っていない。

2000-2005年

グーグルが検索精度で頭一つ抜け、標準となりはじめた時代で、インターネットが巨大データベースとしての役割を担い始めた時期。一般的にはこの時代をインターネット黎明期と呼んでよいのではないだろうか。

ADSLが普及しはじめ、回線がMbps&常時接続となり、高画質画像にもたえられるようになってくる。またホームページよりも簡単に設置できる blog が一般化しはじめ、情報発信に対する技術的な敷居が下がっていった。

インターネット本屋・Amazon日本語版が登場(2000年11月1日)。書評が共有されはじめる。(ただし利用者はまだ少ない)

Wikipedia設立(2001年5月20日)

専用ブラウザの普及で2ちゃんねるの利用者が拡大。

CPUはPentium4、Athlon 64などでクロックは 1-2GHz。

(なお韓国絡みのコンテンツとしては2002年、日韓翻訳掲示板enjoykoreaがサービス開始。日韓一般人の交流を目的としたものであったが、徐々に歴史論争が増え、NAVER総督府などによって大規模反論が展開されたりした。私は2005年前後に少し眺めていただけなので詳細な経緯や論争内容については他者に譲る。有名なものとしては鶏泥棒事件(2006)などがある。(2009年サービス終了))

2005-2010年

Youtube登場(2005年)。「インターネット=動画」時代の幕開け。

Youtube初期は音楽ファイルやTV番組の違法アップロードが問題となる。しかし徐々にアーティスト自身が公式チャンネルを開設するようになり市民権を得ていく。音楽は聞く時代から「見る」時代へ。

動画編集ソフトが価格的、CPU処理速度的に一般人にも使えるようになり、MAD制作などを入り口に素人の動画投稿も増加する。歴史問題についての動画も増えはじめ、訴求力が一段と向上する 。

CPUは Intel Core 2、i7、Athlon X2、Phenom II などマルチコアCPUが登場。

iPhoneが2007年6月29日に発売。Twitterが2006年発足。

2010-2015年

スマホの普及にともない、ネットアクセスの技術的な敷居はさらに下がった。SNSの発達によりコミュニケーションツールとしての利便性も大幅に向上し、ネット参加者の裾野が一段と拡大する。

SNSの共有機能(RTなど)により、自分が直接興味を持たないような分野の出来事も目に飛び込んでくるようになったことで、それまではネットの一部に限られていたような政治問題への関心が一般にも高まっていく。

blogだけでなく「まとめサイト」などによっても情報が固定化、長期間目にとまるようになる。

(なお裾野の拡大は、同時にネット言論の質の低下も引き起こしている。この傾向はスマホ以降が顕著である)