呉智英も誤解していた「植民地支配」

呉智英(1946-)。本名新崎智。愛知県出身。評論家、漫画評論家。

(前略)
(引用者注:2019年)一月十一日付朝日新聞「社説余滴」は「引き揚げの苦悩は消えぬ」と題して、九十七歳の老婦人の釜山港からの引き揚げ話を紹介している(画像)。そこに、国民学校(小学校)の「新入生の胸に創氏改名した日本名の名札をつけ、朝鮮語を禁じ」とある。確かに創氏改名はあった。しかし、この記事全体に流れるような強制性の甚しいものだったのだろうか。我々は何となくそう思っている。朝鮮人が朝鮮名のままだと警察に逮捕され刑務所にぶち込まれるというように。だが、実態はかなり違う。

この記事のちょうど一年前、昨年一月二十一日付産経新聞連載「海峡を越えて」第二回では「創氏改名ほど誤解が多い政策もないだろう」としている。朝鮮名から日本名に変えた人は約八割、残りは「金や朴など従来の『姓』をそのまま『氏』として使うことができた」。実例として、検事・閔丙晟、陸軍中将・洪思翊、女性舞踏家・崔承喜を挙げている。三人のうち最も有名なのは美貌と芸術性で日本人も朝鮮人も魅了した崔承喜で、デパートなどの広告にもしばしば起用された。

創氏改名が強制性の甚しいものなら、検事や将校が朝鮮名のままで許されるはずがなく、朝鮮名の舞踏家が国民的スターとしてポスターに登場するはずもない。

創氏改名の実態について私が疑問を抱いたのは、そんなに昔のことではない。一九九〇年刊行の『現代日本朝日人物事典』(朝日新聞社)によってである。私もこの事典に何項目か執筆しており、送られて来た同書を読んで気づいた。

それは朴春琴という戦前の衆議院(帝国議会)議員の存在であった。国会議員でさえ朝鮮名のままであるという事実は、創氏改名の強制性に疑いを抱かせた。

また、戦前にこそ朝鮮人に選挙権も被選挙権もあったと確認した。日本は韓国を「併合」したのだから、国民の権利である参政権は同じように保障されるだろう。詳しく言うと、まず内地(日本列島内)と京城(現ソウル)に居住する朝鮮人に参政権を与え、それ以外は順次ということだったが、敗戦によって実現を見なかった。

慰安婦強制連行説への疑問もこの時に湧いた。国会議員を出している人たちの娘を警察や軍隊が強制連行して慰安婦にすることが考えられるだろうか。国会議員以外に地方議員も何人か出ている。

日本の韓国統治の実態について、我々は知らないことが多すぎる。

2019.1.28 https://blogos.com/article/354024/ (※下線、太字強調は引用者)

この記事は興味深い事実を伝えている。

それは呉智英のような人でさえ、1990年の時点で「植民地支配」を誤解していたという事実である。

どのように誤解していたか。 ポイントは次の2点である。

(Ⅰ)まず「創氏改名」について、呉は日本名を強制するものだと誤解していたということ。 これは説明するまでもなく、朴春琴など国会議員ですら民族名のままの人がいたことを知って驚いている箇所から見てとれよう。

(Ⅱ)しかし呉智英がしていたより重大で本質的な誤解は、当時の「社会構造」について誤解していたということである。

それは呉が、朝鮮人議員らの存在によって「従軍慰安婦」のおかしさに気づいたと述べているところに現れている。

どういうことかというと・・・

確認すると、1990年代当時の「従軍慰安婦」は、日本軍が朝鮮人の女を大規模に強制連行してきて性的搾取をしていたという話だった。

考えてみてほしいのだが、そのような非道は朝鮮人が被支配階級の、謂わば奴隷の女でもなければ不可能なはずである。

しかし日本統治下の朝鮮人は、日本人の同胞(身内)だったのであり、「身内」にそんなことができるわけがないのであって、つまり従軍慰安婦など、「日本軍が日本人の女(同胞)を強制連行して性奴隷にしていた」と同じくらい荒唐無稽な話のはずなのである。(→朝鮮半島を「紀伊半島」に置き換えるとわかる「従軍慰安婦」問題のおかしさ)*1

ところが呉智英はこの荒唐無稽な「従軍慰安婦」を信じてしまった。

そして1990年に朝鮮人議員の存在を知ったとき、そこではたと従軍慰安婦はおかしいと気づいた。なぜか。
それはまず呉智英が「植民地支配」下の朝鮮人を非同胞(奴隷階層)という方向の誤解をしていたからである(→Ⅱ)。つまり「植民地支配」の社会構造=日本人と朝鮮人の関係性を誤解していたために(「奴隷の女」だと誤解していたがために)「従軍慰安婦」を信じてしまったのである。
そして朝鮮人議員らの存在を知ったとき、朝鮮人は非同胞(奴隷階層)ではなかった、日本人の同胞(身内)であったという方向の気づきがあったのである。だからそのとき従軍慰安婦のおかしさに気づいたのである。

上の記事は、1990年の日本社会とは、「創氏改名」「従軍慰安婦」について、そして「植民地支配」の全体像について、「社会構造」について、まだこんな初歩的な「誤解」が普通であったという事実を伝えているのである。

実際、朝鮮人=非同胞という種類の誤解は、1990年代まではまったく特殊なものではなかった。だからこそつかこうへいも1997年に、朝鮮人は非同胞(奴隷階層)という誤解に基づいた「従軍慰安婦」の物語を刊行してしまうのである。(→つかこうへいが描いた「従軍慰安婦」)  (→つかこうへいの歴史観

*1) 従軍慰安婦(事件)であれば、同胞間においてもむろん起こりうることである。 しかし従軍慰安婦(日常的)は、同胞ならありえないことである。「従軍慰安婦(日常的)」を一瞬でも信じた人は、朝鮮人=非同胞という種類の誤解をしているのである。