創氏改名がどのように説明されてきたか

創氏改名(および在日の通名)を在日や本国人がどのように説明してきたか (→日本側は創氏改名をどのように誤解していたか

出自と名前については、在日社会のタブーの議論の一つになってきましたが、それは100年近く前の日本の植民地支配や創氏改名という歴史に起因しているのです。(中略) なぜその人たちが通称名を名乗っているのか、歴史的背景と日本の植民地開発政策の因果関係を日本人が考えることが先決だと思います。
朴一 2006 http://www.jinken.ne.jp/kyousei/paku/paku3.html

松坂慶子の父、英明さんが生まれたのは朝鮮半島の大邱だった。(中略)日本の植民地政策によって韓英明という姓名は日本風の岡本英明に改名され、日本語の教育を受けた。しかし、決して日本人とは認めてもらえなかった。(中略)「このままでは駄目だ」ということで日本行きを決意した。1938年、15歳のときだった
朴一 2005 『「在日コリアン」ってなんでんねん?』45-46頁 ~http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/05/14/364473

金嬉老は本名の「権嬉老」を入れると七つの名前を持っていた。創氏改名以来、朝鮮人が朝鮮人であるための朝鮮名を名乗ることを禁じられていた私たちのアイデンティティーは根底から剥奪されていたのだが、いわば自らの虚像を生きつづけてきた在日朝鮮人の実体が「金嬉老事件」であった。(後略)
梁石日 朝日新聞 1999.9.14 ~『在日・強制連行の神話』172頁

なお、余談だが、創氏改名は朝鮮人の名前を奪うことで朝鮮の民族性を抹殺しようとしたのではなく、朝鮮の「家」を否定することで朝鮮の民族性を抹殺しようとしたところに本来の目的があるらしい(私は歴史学者でないので、このあたりの詳しい評価はよく分からない)。「氏」に象徴される日本の家制度を導入することで、「内鮮一体」を図り朝鮮の民族性を抹殺しようとした、ということらしい。
趙義成・国立大准教授 http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/choes/etc/kanyocho/seimei.html

「なにより、朝鮮人慰安婦は日本人女性を代替する『準日本人』だった」。朝鮮人慰安婦の証言からは、日本名を名乗り「大和撫子(なでしこ)」として振る舞うことを求められた様子が浮かぶ。慰安所での数少ない休日、雪の日でも日本兵の墓の掃除をして、手を合わせる慰安婦もいたという。

 「朝鮮人としての言葉や名前を失ったまま、性と命を捧げなければならなかったことにこそ、植民地の悲惨さがある。彼女たちは帝国支配の被害者であり、戦争遂行に『協力』させられる立場でもあった」
朴裕河 2015.2.4 http://digital.asahi.com/articles/DA3S11584796.html リンク切れ全文

※日本語強制や創氏改名のことを指しているのかどうか今ひとつはっきりしないが、読み手にはそれらを連想させる。

梶山が「族譜」を書くヒントを得たのは、『文藝春秋』1950年12月号に掲載された、「金龍周公使・大いに語る」という文章からである。これは、駐日大韓民国代表部の公使だった金龍周が、鎌田澤一郎(南次郎前任総督宇垣一成のブレーン)の質問に答えたインタビュー記事である。その中で鎌田は、創氏改名にまつわる悲劇として全羅北道の薛鎮永の入水自殺について、知事の孫永穆から聞いた話として次のように語っている。

「薛鎮永はあの地方の旧家ですから、ずい分族譜を尊ぶんですね。だから姓だけはどうしても変えたくない、ところが薛家が創氏しなければ、その附近の人達が一人も改名しない、薛家が宗家ですから、無理もないのです。役人達はそこでなんとかしなければならないのだが、こればかりはと言って誰が何と言っても諾と言わない。しかし彼は民族主義者でもなければ反日でもないので縛るわけにはゆかない。それどころか、彼は大変な親日家でした」

鎌田の話に応えて、金龍周は、「そこで薛さんの愛児の通っている学校の受持先生を動員して、創氏しなければ進級も出来ないし、退校になるかもしれないと嚇したものだから、子供が泣く泣く帰宅して、お父さんにぜひ創氏してくれと訴えたのです」と話し、薛が子どもの教育のことを考えて、創氏の手続きをした後、石を抱いて自宅の井戸に入り自殺した、という経緯を述べている。
~水野直樹 『創氏改名』 180-181頁

(欧米の植民地にされたアフリカ人は、非アフリカ流の名前をつけられたという発言に対し)
同化政策と皇民化政策をもっと勉強してからおいで。
在日韓国人の名前と何が違うの!?いいかげんにしろ!この馬鹿野郎!
リュウ・ヒジュン 1999.6.30

在日韓国朝鮮人の通名使用は、日本国内における虐殺(関東大震災)・差別・偏見による「怯え」が根っこにある。 私は16歳で役者を仕事にした時から本名を名乗っているが、親には反対された。父母、祖父母の世代には、本名を名乗ったら危害を加えられたり差別されたりする、という「怯え」がある
柳美里 2018.5.16 https://twitter.com/yu_miri_0622/status/996535773779275776

伊藤博文は日本人にとっては明治の元勳ですが、韓国人にとっては侵略の元凶です。 私はここで日本の過酷な朝鮮半島統治を思い出させないわけにはいきません。 日本人は創氏改名することで、韓国人が命のように大切にしていた姓を奪いました。ハングルを使えないようにしました。日本は本当に民族の魂を抹殺しようとしました。
(中略)
創氏改名や韓国語抹殺政策への言い訳、強制動員された従軍慰安婦の存在の否定、徴兵・徴用された人々の無視、韓中両国に苦痛を抱かせた戦犯の位牌がある靖国神社への日本国指導部の参拝、独島領有権の主張、日帝の侵略行為について言い訳している教科書の採択問題など、日本の一部の指導者は、いまだに東アジアの人々の心の癒えていない歴史的な傷をかきむしる行動を続けています。
金鍾泌「日本人に求めたいこと」 2005 http://oboega-01.blog.jp/archives/1071753232.html

「日帝の民族抹殺計画」として挙げられているのは、内鮮一体・皇国臣民化の名の下に、韓国人を日本人にして韓民族をなくそうとした、韓国語を禁じ日本語の使用を強要した、韓国の歴史の教育を禁じた、日本式の姓と名の使用を強要した、各地に神社を建てさせ参拝させた、子供にまで「皇国臣民の誓詞」を覚えさせた、というものだ。しかし、そう列挙されているだけで具体的な内容は一切書かれていない。「高等学校国史教科書」も同じことである。そのため、強く刺激された情緒が知識の媒介をほとんど受けることなく、身体にストレートに浸透するのである。 小学校でも同様に、日本によって民族が蹂躙された、奴隷のように扱われた、人間の尊厳に大きな傷を受けたといった形で反日教育が教室のなかで行なわれている。幼い時期はより多感なものだから、「ひどすぎる」「絶対に許せない」という思いで心がいっぱいになる。
呉善花 2015 https://ironna.jp/article/1307

前出の中学『歴史』では、日本の植民地統治下の皇民化政策の解説で、〈日本式姓名の強要〉と題したコラムを掲載し、創氏改名を拒んだ場合の罰則について説明する。
〈日本式に姓名を変えない子供は各級学校の入学と進学を拒否する/児童たちを理由なく叱責・虐待し、児童たちの懇願で父母たちが日本式に姓名を変えるよう強制する/日本式に姓名を直さない人間は総督府関係機関に一切採用せず、現職も解く措置をする〉
崔碩栄[韓国の教科書] 2019 https://www.news-postseven.com/archives/20191008_1465494.html/2

※適宜追加 (→日本側は創氏改名をどのように誤解していたか