「強制連行」問題とはなにか

「強制連行」は1965年に朴慶植という人物が発明した言葉で、戦後のある時期から日本社会に多大な影響をおよぼした、いわくつきの言葉である。
というのは、この強制連行という言葉は「植民地支配」という欧米列強の帝国主義をあらわす言葉とあいまって、戦後教育を受けた日本人に、日本統治下の朝鮮について誤ったイメージを植えつけ、その結果さまざまな問題を引き起こしたからである。

では強制連行という言葉は、日本統治下の朝鮮の姿をどのように歪め、どのような問題を引き起こしたのか。

まず史実から簡単におさらいすると、日本は1910年に大韓帝国(当時)を併合し、朝鮮人は日本人の同胞となった。
それ以降、朝鮮人と日本人は、まったく平等とは言わないが、ともかく同じ国民として生活することになった。

1941年に太平洋戦争(大東亜戦争)が始まると、そのとき朝鮮人(と台湾人)は、日本人と共に欧米と戦うことになるが、その際には、(朝鮮人にとって日本人は同胞であり仲間であるから)なかには志願して日本兵となった朝鮮人も当然いたのである。

戦争中は、朝鮮人にも日本人と同じような国民の義務が課せられていた。 たとえば戦争中は徴兵された朝鮮人もいたし、また兵役につかない人はその代わりとして労働が課されたりしていたのである。
後者の労務供出のことを一般に徴用あるいは戦時徴用と呼ぶが、あるていど語感のあるひとであれば、字面だけで正しいイメージ、すなわちそれらは「国民の義務」であり「兵役を代替するもの」というイメージが浮かぶだろう。

さて、ところが ……
読者にはここで、今持っている歴史知識をゼロにしてもらい、1980年代にはじめて歴史を学ぶ中学高校生の気持ちになって次の文章を解釈してもらいたい。

A国はB国を植民地支配して、B国の人々をいきなりトラックに載せるなどしてA国に強制連行し、過酷な労働を強いた。 B国人には、A国の名前と言葉を強制して苦しめた(A民化政策)。

ちなみにA国は、C国で20万30万ともいわれる人々を大虐殺するような、ナチスと並べて語られるような国である。

さて、A国がナチスと比肩されているような時流の中で囲みの文章を読んだときに、A国人とB国人は同胞であり、一緒に戦争を戦っていた仲間であるという理解になるだろうか? 「強制連行」をA国人にも課されていた徴用や戦時徴用の意味に解釈できるだろうか?

いうまでもなくAとBというのは当時の日本と大韓帝国であるが、このような「植民地支配」は、前段で説明したような「併合」「同胞」のイメージとは、まったく異なるものではないだろうか?

今でこそ日本で労働していた朝鮮人は徴用(国民の義務)や賃金労働者であったことが知られているが、かつては、朴慶植の「強制連行」という言葉によって、あたかも「植民地支配」された朝鮮半島から朝鮮人が無理やり連れてこられ、奴隷のように強制労働されられていたかのようなイメージが(あとで見るように)かなりの規模で定着していたのである。

日本人と朝鮮人の関係は同胞であり、戦争をともに戦った味方であったにもかかわらず、1960年代以降、「植民地支配」「強制連行」などの言葉によって、日本人と朝鮮人は支配者と奴隷非同胞)であったかのような【誤解】が生まれていく。
この日本人と朝鮮人の関係性が、同胞から非同胞へと変化したというのが「強制連行」問題の本質である。 (→「植民地支配」をめぐる2つの世界観

そうして「同胞」ではなく「支配者と奴隷」という形に歪められた「植民地支配」のイメージは、1990年代にはあの荒唐無稽な「従軍慰安婦」まで信じられてしまうという事態にまで発展していく。(→「従軍慰安婦」問題とは何か

またこの「誤解」から生まれた贖罪意識は、1980年代から90年代にかけて指紋押捺廃止・特別永住資格獲得などの政治的権利の拡大や、カルト宗教による日本人女性の獲得などに利用されていくことになるのであるが、この点についてはそれぞれ別稿で説明しているので詳しくはそちらを参照していただきたい。

さて説明してきた「植民地支配」について、朝鮮人=非同胞(奴隷)という誤解は筆者だけがしていたのではと疑う読者もいるかも知れない。 しかしこの誤解は『はだしのゲン』つかこうへいの作品などにも現われている。
次頁以降では、それらの作品を参照しながら「植民地支配」についての理解がどれほど歪んで定着していたのかを見ていこう。