つかこうへいが描いた「強制連行」

つかこうへいは1948年福岡県生まれの在日二世で、代表作は『蒲田行進曲』など、日本ではその名を知らぬ人はいないほどの有名な劇作家である。

その彼が「植民地支配」「強制連行」についてどのような認識を持っていたのか、それを1990年に刊行された『娘に語る祖国』という作品から探ってみよう。

『娘に語る祖国』は、娘の誕生から1980年代までを、自分の祖国や歴史問題について娘に語りかけるという体裁をとりながら回想する作品であり、氏の視点から見た当時の日本社会の様子や歴史認識が収録されているため、氏の認識を知るのに適しているものである。

(なお以下で紹介するつかの文章からも伝わると思うが、氏は党派性のあるような人ではなく、ごく素朴な視点で歴史問題を見ていた人である。 氏は本当に素朴に在日は「強制連行」の犠牲者だと思い込んでいたのである)

さて作品を見ていくと、つかこうへいはまず「植民地支配」というものについて次のように書いている。(参考資料→つか4

突然、差別だ、朝鮮人だ、なんだと言っても、昭和60年生まれのおまえは面食らうでしょうから、少し日本と朝鮮のことを説明してあげます。
戦前、日本は大東亜共栄圏をつくるという構想のため(アジアが心を一つにするということですが、早い話、植民地をつくって奴隷として働かせようとしたのです)、朝鮮や満州(今の中国東北部)を侵略しました。
(中略)
昔、奴隷のように扱われたといって恨むのではなく、奴隷のように扱われるにふさわしい、その程度の国であり、国民であったと考えようと。この逆説はひどすぎますが、この開きなおれる力こそが、明日をつくりだすのです。そして、この発想こそが、パパの生命力の生まれ来るところになっているのではないかと思っています。

この引用からあきらかなように、つかこうへいは、日本の植民地支配=朝鮮人を奴隷として働かせるものだと考えていたのである。 前頁(はだしのゲン)「強制連行」問題とはなにかにおいて、あたかも日本人と朝鮮人は支配者と奴隷の関係であったかのような誤解が生まれていたという話をしたが、つかこうへいも、その例外ではなかったのである。

なぜそのような誤解がおきていたのかというと、「植民地支配」「強制連行」という言葉が「奴隷」しかイメージしないような言葉だったからである。 少なくとも「同胞」などというイメージはまったく連想しない言葉だったからである。

実際つかこうへいが「強制連行」というものについて、どのようなイメージをもっていたかは、次のような描写にあらわれている。

「それに、国を捨てたってこともあるんじゃないですか」
「国を捨てたんじゃないだろう!!強制連行されたんだろうが」
「でも、つかさん、この前、食いっぱぐれて志願して日本に来たのもいるって言ってましたよ」
「そんなのおらん、一人もおらん、全員強制連行で、奴隷船みたいなのに乗せられて、連れて行かれたんだ。食いもんももらえず、手は鎖でつながれ、足にはでかい鉄の玉をぶらさげられて……。ようし、どんどんイメージが湧いてくるぞ」

これは、気心の知れた仕事仲間との会話であり、しかも漫画チックな表現なので、「奴隷船に乗せられて鉄球云々」という表現は、もちろんこのままをイメージしていたわけではないと思われる。

しかしここで「強制連行」について奴隷船と鉄球の喩えが出てくること自体に、日本人と朝鮮人の関係性を誤解していたこと、すなわち同胞ではなく主人と奴隷の関係だと誤解していることが見て取れよう。

このような表現は、正しい歴史認識、すなわち日本人と朝鮮人(台湾人)が同胞(味方)として戦争していたこと、そして「強制連行」とは単なる戦時徴用(労務供出)に過ぎないという事実を正しく認識していれば、なかなか出てこない表現ではないだろうか。

「植民地支配」している朝鮮半島から、朝鮮人を奴隷として「強制連行」してきて日本で働かせていた――これがつかこうへいの1990年当時の歴史認識の基本線だったのである。(→つかこうへいの歴史観

ただし、つかこうへいの場合は、筆者のような普通の日本人とは異なり、身内に在日や本国人がいるため、自分の歴史認識と身内の実際の姿との間で相対化が可能である。 ゆえに強制連行説に一抹の疑問を持っている描写もある。

「だって、ねえもんはしかたねえだろ、強制連行されてきて何の誇りだ。オレが思うにだ、そりゃ強制連行されきたやつもいるだろうが、なかには志願してきたやつもいると思うんだ。国で食えてりゃ、韓国に残ってるさ、オレら、そういう人の子どもたちだぜ。ロクなものなんか生まれるはずはねえ。どこに誇りをもてってんだ?」
実際、パパのまわりの韓国人を見ても、一世の人たちはなりふりかまわず、パチンコ屋とか、連れこみホテルとか、世間的にはあまりきれいとは言えない商売をして成功しています(後略)

つかこうへいはまず(A)「植民地支配」で隷属させられていた朝鮮人が「強制連行」されたのが在日の歴史であると思っている。その一方で、(B)自分の身の回りの知人の状況からして、中には自ら渡ってきた人間もいるのではないかと考えていた。

しかし本人も気がついていないが、じつはこのABは世界観が矛盾している。

なぜなら奴隷労働(比喩ではない)させられるようなところへ自ら渡ってくるはずがないからである。

ここでもし日本人と朝鮮人は、非同胞(支配者と奴隷=世界観A)ではなく、同胞(世界観B)だったと世界観を修正できていれば、在日とは強制連行Aの子孫ではなく、単なる出稼ぎ労働者の子孫であり、稼いだ金を元手に商売をして成功した人もいるという「現実」(B)と正しく繋がるはずである。

しかしつかこうへいにはABという発想の転換はできなかった。

なぜなら「植民地支配」によって朝鮮人は奴隷扱いされて苦しめられたという世界観Aが氏の中で前提化(ドグマ化)していたために、日本人と朝鮮人が味方(同胞)として一緒に協力して戦争していたという世界観B完全に発想外となっていたからである。 それゆえ実体験として知っているB的な事実も、それをどのように考えたらAと矛盾なく統合できるのかという方向でしか思考できない、A自体が間違っているという発想に至らなかったのである。

そうして結局つかこうへいは、1997年、日本人と朝鮮人の関係性をA(支配者と奴隷)と誤解したまま <日本軍が20万人規模で朝鮮人女性を拉致誘拐して性奴隷にしていた> という朝日新聞的「従軍慰安婦」の物語を刊行してしまうことになるのである。↓↓↓↓↓↓

(終)

〔参考文献〕
『娘に語る祖国』 つかこうへい 1990年  ★楽天 ★Amazon