「在日の強制連行」がどのように説明されてきたか

在日の「強制連行」がどのように説明されてきたか (→日本側は「強制連行」をどう誤解してきたか

「強制連行」という言葉が使われ出したのは、朴慶植(パク・キョンシク)さんが1965年に書いた本からですが、日本人の犯罪であることを強調したイデオロギッシュなネーミングだったと言えるかもしれない。故・金英達(キム・ヨンダル)さんが示したように、「強制連行」という言葉より「強制力を伴った労務動員」という言葉のほうが、イデオロギー的な要素を排除した正確な表現だと私も思います。労務動員が官斡旋になるにつれて強制力をともなうようになっていった、と。そのあたりの表現も、これから議論していく必要があると思います。
朴一 2006 http://www.jinken.ne.jp/kyousei/paku/paku3.html

北が日本人女性を拉致したというのはウソだと思う。工作員教育係なら在日同胞を使えばすむからだ。もし、仮に北が日本人を拉致したとしても、それを日本人は批判できるのだろうか。戦時中、日本は膨大な数の朝鮮人を国家の名のもとに拉致した歴史的事実がある。いまなぜ日本に多くの朝鮮人がいるのかを、考えてみてほしい。自国の歴史を忘れた発言が多すぎる。
辛淑玉 1988.2.26号『朝日ジャーナル』 ~鄭大均『在日・強制連行の神話』25頁

日本の近代史は「犯罪の歴史」である。朝鮮半島の土地と資源の収奪、民族差別賃金での酷使、民族運動に対する残忍な弾圧、日本語強要・神社参拝強要・「創氏改名」などの皇民化政策、軍人・軍属・「慰安婦」としての侵略戦争への動員、工場、鉱山、炭鉱などへの強制連行と強制労働、等々、どれ一つとして犯罪でないものはない。こうした犯罪がなければ、在日朝鮮人という存在自体もなかった。70万人在日朝鮮人が、これらの犯罪の生き証人である。
徐京植 作家 『分断を生きる』1997年 ~鄭大均『在日・強制連行の神話』24頁

在日コリアンは日本の朝鮮に対する植民地支配の結果、日本に強制的に移住させられた者とその子孫であり、その意思に反して日本に定住せざるを得なかった人々である。
これは、在日コリアンが自ら関与しないものに支配され、服従させられていることを意味し、在日コリアンが、日本において制度的には奴隷状態にあることを意味する。いわば、在日コリアンは、イギリスから独立する前のアメリカ市民、公民権を獲得する前のアフリカ系アメリカ人と同じ被支配状態にあると言っても過言ではない。
高英毅 弁護士 『「在日」から「在地球」へ 』2000年 ~鄭大均『在日・強制連行の神話』23頁

日本帝国主義の朝鮮植民地支配の結果、日本に移住ないし強制連行されてきた者で解放後にも住み続けることになった者とその子孫。そのほとんどが朝鮮南部の出身である。
和田春樹 1994 『社会学事典』「在日韓国・朝鮮人について」 ~鄭大均『在日・強制連行の神話』18頁

盧大統領閣下もよくご存知のとおり、在日同胞は他の海外同胞とは歴史的経緯が異なります。日本帝国主義の過酷な植民地支配により、みずからの意思ではなく、徴兵、徴用、炭鉱労働などにより強制的に 連れてこられた者が大部分であり、解放後も祖国の政治状況のなかで帰国できず、そのまま日本に残った者とその子孫であります。
2006.4 民団 http://www.mindan.org/front/newsDetail.php?category=4&newsid=6619(リンク切れ) 画像 魚拓

(生徒が喧嘩で警察に捕まった時、先生は)「植民地時代の話を持ち出し、強制連行等の理由で日本に渡ってきた境遇を説明し、日本での差別に苦しめられたからこのようなケンカになるのだと堂々と主張するのだ。警察もさぞ困ったことだろう」
金漢一 2006 『朝鮮高校の青春』36頁

筆者は、そもそもそうした「神話」が浸透しているのかどうか自体に疑問を持つ。ただし、在日朝鮮人の形成史に触れる際、あたかもほとんどの朝鮮人が強制連行で渡航したかのように語られる場合があることは認める。
外村大・東大准教授 http://www.sumquick.com/tonomura/note/2011_01.html

取材後(引用者注:1997年)の雑談で、つかさんはこんなことも笑顔で語っていた。「うちのオヤジは『日本に連れて来られた』と言っていたけど、本当は食い詰めて自分で渡ってきたんだろう」。
つかこうへい 1997 http://www.sankei.com/column/news/160116/clm1601160005-n1.html

在日韓国人の友人は、次のことを父親にきつく口止めされていた。「太平洋戦争の時、八幡製鉄(現新日鉄住金)で働いた。日本が敗戦し帰国する際は退職金が出た。送別会で餞別ももらった。強制労働はなかった。日本人には話すな」。父親は、「募集」か「官斡旋」で八幡製鉄に来た。帰国したが職がなく、密航して再び日本に来た。
重村智計 2018.11.5 https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/230558/110200034/

※追加随時 (→日本側は「強制連行」をどう誤解してきたか