つか資料4

つかこうへい 『娘に語る祖国』(1990)から、作者の歴史観が垣間見える部分を抜粋。なお会話部分は菅野君という気心の知れた仕事仲間との会話である。

※本資料の解説記事→つかこうへいが描いた「強制連行」

※以下、下線や太字強調は引用者による。
※括弧付きの数字は参照の便宜のためにこちらでつけたものです。なんとなく近い話で区切ってありますが、深い意味はありません。

(1)

つかこうへいといういうひらがなのペンネームの由来を、よく聞かれます。
そして、こんな手紙をよくもらいます。

前略
私は、つかさんと同世代で、つかさんの日本社会での成功を誇らしくも思いますが、ただどうしても許せないことがあります。それは、なぜ韓国名を名乗らず「つかこうへい」という名前で仕事をするのかということです。つかさんの年齢なら、自分の親たちが、どんない苦労したかを熟知しているはずですし、つかさんの知能をもってすれば、わが祖国がいかに日本に侮辱されたかを知っているはずです。
1910年、日本に併合されてから、わが祖国、民族は塗炭の苦しみを味わったのです。私の祖父母は強制連行で日本に来ましたが、あらぬ嫌疑で特高に捕まり、三日三晩木刀で殴られ続け、半死の状態にまでなったのです。これはほんの一例で、日帝に対する恨みは決して消えるものではありません。
時代は変わり、日本は生まれ変わったといったところで、日本人の心底にある差別意識や社会的な不合理な差別は、まだまだ根強いのです。だから私は、その差別を撤廃するために運動しているのです。それは、日本に非を認めさせ、また同じ犯罪を繰り返させないため、在日韓国人の生活を守り、向上させるために闘っているのです。それなのに、韓国名を名乗らないというのは、祖国への背信にほかならないと思うのです。
そして、あなたの存在や行動は、私たちの運動の足を引っ張るものであり、差別を隠蔽するものでしかないのです。あなたは、祖国の名誉にかけて金峰雄を名乗るべきです。
                                                草々
(24-25頁)

よく、パパのところにも、パパが帰化していないかどうかを、韓国人の若い人たちが確かめにくることがあります。そして、
「あなたは昔、いじめられたことをどう思うか」「強制連行されたことをどう思うか」
なんて議論を、ふっかけられたことがあります。なかには、
「おまえは作家のくせに、日本人が戦争中どれほどひどいことをしたかを、なぜ小説に書かないんだ」
と言われたりします。
そんなことを書いたって、みっともないだけだと思いますし、別にその人が強制連行されてきたわけじゃないのですし、そう大声をあげることもないと思うのですが……。
(40-41頁)

(2)

突然、差別だ、朝鮮人だ、なんだと言っても、昭和60年生まれのおまえは面食らうでしょうから、少し日本と朝鮮のことを説明してあげます。
戦前、日本は大東亜共栄圏をつくるという構想のため(アジアが心を一つにするということですが、早い話、植民地をつくって奴隷として働かせようとしたのです)、朝鮮や満州(今の中国東北部)を侵略しました。
このところ日本も裕福になり、「侵略していない」なんて開きなおっていますが、侵略したことは確かです。
でも、侵略された方もいばれるところはないのです。
だって、戦争を仕掛けられて負けたのですから。「しかけられる筋合いはない」なんていっても、人間が生きている以上、そんなことは通じやしません。
おまえは女の子ですから、こういう言い方に賛成してもらいたくないのですが、勝負ごとってのは、勝たなければ意味がないのです。やり方がキタナイ、キレイなんて、負け犬の遠吠えです。
たとえば、「昔、マージャンで勝ったときのいばり方が気に入らない」なんて言ったって、アホな話です。マージャンだって、戦争だって、勝った奴がいばることはありまえのことです。
だから、人間というものはおもしろいのです。
でも、日本は少し図々しすぎるところがあって、侵略した先の韓国人に日本語を話すことを強要したり、創氏改名と言って名前まで変えさせたのです。
昔、おじいちゃん*1は、
「家の姓を、犬子としようと思ったことがあるよ。先祖からもらった姓を変えるのは、犬のこと同じだからな」
と、さみしそうに言っていました。
第二次世界大戦が終わり、日本が負けて、朝鮮は日本から独立して平等になったわけですが、戦争中に差別されつづけた恨みは消えるものではありません。
そして、日本人の方も一度見下してきた相手を、いくら独立したからといって、そうそう尊敬したり、対等に扱ったりできるものではありません。
でも、もし立場が逆になって韓国が戦争に勝っていたら、韓国だって日本と似たようなことをしていたと思います。
だって国だって自分のことが一番かわいいのです。
人間というのは、所詮階級闘争をする動物ですし、人を差別できるなんて、こんな快感はないのです。その闘争本能があるから、人間は進歩していくのです。
ですから、パパは考えました。
昔、奴隷のように扱われたといって恨むのではなく、奴隷のように扱われるにふさわしい、その程度の国であり、国民であったと考えようと。
この逆説はひどすぎますが、この開きなおれる力こそが、明日をつくりだすのです。
そして、この発想こそが、パパの生命力の生まれ来るところになっているのではないかと思っています。
(34-36頁)  *1)ここのおじいちゃんとはつかの父親のこと。以下同じ。

(3)

「それにつかさんは、『在日韓国人としての誇りはないのか』って聞かれた時、『そんなものあるか』って答えたでしょう」
「だって、ねえもんはしかたねえだろ、強制連行されてきて何の誇りだ。オレが思うにだ、そりゃ強制連行されきたやつもいるだろうが、なかには志願してきたやつもいると思うんだ。国で食えてりゃ、韓国に残ってるさ、オレら、そういう人の子どもたちだぜ。ロクなものなんか生まれるはずはねえ。どこに誇りをもてってんだ?」
実際、パパのまわりの韓国人を見ても、一世の人たちはなりふりかまわず、パチンコ屋とか、連れこみホテルとか、世間的にはあまりきれいとは言えない商売をして成功していますが、二世になると、額に汗してなりふりかまわず働くのを忘れて、きれいな仕事をやりたがり、たいてい家をつぶしています。
「その証拠によ、オレが無足、田舎に帰省した時は、バスの停留所に口紅をまっかにしたキャバレーのねえちゃんみたいなのが、二人立ってたんだよ。よくみるとオレの親戚だよ、アハハハ」
「つかさんのそういうテレの裏返しの言い方、僕ら好きですよ」
(59-60頁)

「でも、菅野、なんで在日はいじめられるんだ?」
「つまりですね、第ニ次世界大戦のあと、朝鮮戦争ってのがあったでしょう。その時、在日の奴らは日本でのうのうと暮らしてたって恨みがあるらしいんです」
「だけど、うちのおやじやおふくろなんか、のうのうと暮らしちゃいなかったよ。たとえばオレ、箸の持ち方がおかしいだろ。おやじやおふくろは朝から晩まで働いて、子どもなんかにかまってなんかいられなかったんだ」
「それに、国を捨てたってこともあるんじゃないですか」
「国を捨てたんじゃないだろう!!強制連行されたんだろうが」
「でも、つかさん、この前、食いっぱぐれて志願して日本に来たのもいるって言ってましたよ」
「そんなのおらん、一人もおらん、全員強制連行で、奴隷船みたいなのに乗せられて、連れて行かれたんだ。食いもんももらえず、手は鎖でつながれ、足にはでかい鉄の玉をぶらさげられて……。ようし、どんどんイメージが湧いてくるぞ」
「ちょ、ちょっと落ち着いてくださいよ」
(88-89頁)

(4)

家に来る韓国人の人たちは強制連行で日本に連れてこられたことを恨みがましく言っていましたが、おじいちゃんは一言も恨みごとをいう人ではありませんでした。
そしてポツリと、
「しかたないだろ、戦争に弱かったんだから」
と言っていました。 (23頁)

「じゃ、なんで日本との戦争に負けたんですか」
「戦争じゃないんだ。突然日本が攻めて来て、植民地にされたんだって」
「じゃ、植民地にされる前に戦えばよかったじゃないですか」
「なんせ、ここは学問の国だから、勉強が忙しかったんだ」
(121頁)

「戦時中に、日本の兵隊が韓国人に、、生まれた子どもに名前をつけてくれと頼まれ、『バカ』とか『クソタレ』とかつけたらしいんです」
「なにっ!」
「すっすいません」
パパの頭の中で、なにかがパチンとはじけた音がしました。
「で、どうしたんだ!」
「相手は立派な名前だと思って、『金バカ』とか『朴クソタレ』とか呼んでいたんですが、だんだん日本語がわかるにつれて、それがどういう意味かわかってきて……」
「おまえんとこの親父は、なんでそういうことを知ってんだ?」
「はあ、実は親父もそういうことをやってたらしく……」
「それで、いま校長先生をやってんのか」
「はい」
(中略)
「落ち着いたら、おまえんとこの親父に、韓国におとしまえをつけに来てもらわないかんな」
「親父も、できたらつかさんの滞在していらっしゃる間に一度、挨拶に出向きたいと言っていました」
「そうしてもらわんとな。いくら戦争をやったからといって、イヌやネコが戦争をやってたわけじゃねえんだ。やっていいことと悪いことがある」
「でも、つかさん、もし韓国の方が勝ってたら似たようなことをしていただろうって、言ってたじゃないですか」
「それは、こういう事実を知らん時の話だ! こりゃ、娘を日本人にしたのは間違いだったかもしれんな」
(中略)
「心から反省してますよ」
「おめえの『心から』という言葉には、心がねえんだよ。だいたい、なにが『反省してます』だ。反省してねえから、いま日本と韓国がこれだけこんがらがっちゃっているんじゃないか」
「じゃ、どうしろっていうんです?」
「おっ、ひらきなおりやがったな。おまえのその態度は、ピッタリ日本人だよ、いまのわが祖国に対する日本の態度そのものだ」
「なにが『わが祖国』ですか。とってつけたみたいに。ぼくら、あんたと十五年つきあってますけどね、その間、『わが祖国』なんて言葉、一回も聞いたことありませんよ」
「顔で笑って、心で泣いてたんだよ」
「なに言ってんです。あんたって人はね、顔で笑って心でも笑える人なんだ」
「とにかくオラ、これから日本人の戦争責任というものを、じっくり糾弾してやる」
「そういうのをみっともないというあんたが好きなんです、オレらは」
「うるさいッ!!」
飛行機を降りるころ、パパは愛国心のかたまりのバリバリの韓国人になっていました。(77-83頁)

(5)

「なんだよ、戦時体制って」
「まだ北朝鮮と戦争していて、いまは休戦中ってことなんですよ」
「来年はオリンピックやろうって国が、戦争をやってるの?」
「徴兵制度もあるんですよ。もしつかさんが韓国にいるとき北朝鮮と戦争が始まったりなんかしたら、つかさんなんか韓国人ですし、鉄砲もって戦わなきゃいけないんじゃないですか」
「困るよ、そんな」
パパも、少し寒気がしました。 (56-57頁)

通路をへだてて隣の席に座って、必死に『韓国ガイドブック』を読んでいた菅野重郎君が、「うーん」と唸り声を上げました。
「どうした?」
「こりゃ、日本が憎まれるのも、仕方ないなあ」
「なんでだ?」
「豊臣秀吉なんて、そうとう悪いことをしていますよ」
(中略)
「ちょっとその本を貸せ、オレが本気で読んでやる」
ガイドブックを奪い取り、読み進むうちに、だんだん鼻息が荒くなり、むしょうに腹が立ってきました。
(中略)
「こら、ちょっとオレも考え方を変えなきゃいかんな。日本人がこれほどやってくれたとは思わんかったよ、クソ!」
「すっすいません!」
「すいませんじゃないんだ、クソ!」
ガイドブックを持ったパパの手は、怒りで震えていました。
「オレも、民族運動っちゅうのをやってみっか……。おい、その運動をやってる『総連』ってのは、どこにあるんだ」
「つかさんは、南の方ですから『民団』の方じゃないですか」
「この狭い日本で、そんなのを二つもつくってどうするんだ」
「そうですね」
「その二つは、仲が悪くねえか」
「悪いです」
「なっ悪いんだ。人間のやることは決まってんだよ、まったく。バカタレどもがよ。この本を読んだら、そんなことしてる暇ねえだろうが!」(75-77頁)

(6)

「おかしなこと、口ばしらないでくださいよ。もしこの運転手が日本語を知っていたら、どうするんですか」
「中国人じゃあるまいし。韓国人は、日本語を知ってたらベラベラしゃべるに決まってるよ」
「そんなことありませんよ。母国語を捨てさせられ、強制的に日本語を覚えさせられたんですよ。誰が日本語を使いたいもんですか」
(96頁)

(引用者注:つかが韓国で上演した芝居の台詞。この話者は在日韓国人という設定)
東京を出るとき、友人や上司たちから、「韓国と日本には、悲しい歴史がある。改名を迫られ、言葉を奪われた憎しみは、決して消えることはないだろう。(後略)」と、やさしく送ってくれた心よき人たちのために(後略)(142頁)

(7)

「しかし菅野、オレなあ、日本と韓国の関係っていうのが、昨日のおじさんたちの話を聞いていて少しわかってきたよ」
「どういうことです?」
「つまり、韓国は日本に漢字やいろんな仏教文化を持って行ってやったにもかかわらず、恩を忘れて攻めてきた。それが許せないと言っているんだよ。たぶん、この『恩を忘れて』というのが、韓国人の日本に対する憎しみの原点になっているんだろうな。だけど、よく聞いてると、韓国は中国からも、日本の何十倍も何百倍もの侵略をうけているのに、中国の悪口はあんまり言わん」
「なぜなんです?」
「ここに、人間の業があるんだな。つまり、中国のような文化に優れた大きな国から侵略されるのはわかる。が、アジア大陸のはしっこの小さな島国の日本から攻められたのが、気にくわないんだよ」
(115-116頁)

(8)

「なるほど。ところでひとつ聞きたかったんですけど、どうしてつかさんは、韓国語を覚えなかったんですか」
パパがどうして韓国語を覚えようとしなかったかを、考えてみました。
高校生の頃、アホないとこがいて、高校受験に失敗し、行くとこがないもので、韓国に留学したのです。そして、夏休みなど帰省してきて、おじいちゃんに、
「アンニャンハスミニカ(こんにちは)」
なんて言うものですから、おじいちゃんは感動して、
「いいなあ、あいつの親は。それに比べて、おまえば文学部だとかなんとかわけのわかないことを言いやがって」
と、当てつけがましくため息をつくのです。
おじいちゃんはそれからも、春休みや冬休みにそのアホが帰ってくる度に、「アンニャンハスミニカ」を聞いてひと泣きし、
「よし、医学部は諦めるが、お前もその文学ってのはやめてくれ。この際だ。間をとって法学部に行って、弁護士になってくれ」
「法学部に入ったら、すぐ弁護士になれるわけじゃないよ」
「法学部に行ったら、なぜすぐに弁護士になれん。おまえは日本人とばっかり遊んでいるから、変な入れ知恵をされて、親に嘘をつくことばっかり覚えてやがる。もう日本人と付き合うな」
「入れ知恵なんか、されてないよ」
「入れ知恵されてなかったら、カネにもならん文学部に行きたいなんて言うはずがない」
そのとき以来、パパは、金輪際、韓国語はしゃべるまいと決心したみたいなのです。
でも、親から「入れ知恵をされる」というような言われ方をされるのは、つらいことです。
パパも、おまえにこんなことを言うときがくるのでしょうか。
(117-119頁)

(9)

よく、パパのところにも民族運動家の方が、「指紋押捺を拒否しよう」と言ってくることがあります。
しかし、指紋なんていくらとられたって、屁でもありません。あんなものに、パパの心まで管理できるはずはないのですから。
外国人登録証明書だって同じです。もしポケットに突っ込み忘れて警察にとっつかまったら、とっつかまったときの話です。駐車違反をしたと思えばいいのです。それを大袈裟に、屈辱だの、なんだのと言う必要はないのです。
どこの国の警官だって、いい人も悪い人もいます。だいいち、あの人たちだって仕事なんですから、それはなんだかんだ言われます。
韓国内だって、指紋押捺は国民の義務のはずです。
パパも先日、外国人登録証明書の更新のために区役所に行ってきました。役所の人が、
「あの、指紋押捺どうしますか?」
なんて、オドオドした目で言うのです。
パパも、少し意地悪をしてやろうと思い、
「もし、ぼくが押さないって言ったら、どうなるんですか」
「いまは無理に押させろって指導はされてないんです。ほら、いま騒がれていますから。でも、困るんですよね、ホント、私たち……。私の場合、女房子どもがいて住宅ローンもありますし、定年で年金が貰えるようになるまで、波風たてず、なんとか勤めあげたいんです、はい」
と、泣きそうな答えが返ってきました。(71-72頁)

パパは、日本協定永住という資格でいます。『朝日新聞』平成二年三月八日の記事の抜粋を使って、その説明を少ししましょう。
(中略)
「オレには、韓国じゃ選挙権はあるのかな」
「ないんじゃないですか」
「オレら在日韓国人ってのは、どこに行っても中途半端だなあ。日本に帰ったって、選挙権はないし……まっ、選挙権とかそんなものくれたって、投票なんかに行きやしないけどな。でも、いざないとなるとさみしいわ」

昔、パパが大学生の頃、慶応大学の日吉校舎でお芝居の稽古をしていたときのことです。
ヘルメット、角材姿の全学連の学生がやおら飛び込んできて、
「こんな大切なときに、チャラチャラ女と芝居の稽古なんかしていて、恥ずかしくないのか!」
と怒鳴りつけられ、ほんと恥ずかしかったです。
でも、何度もいうように。ぼくらはアパートの店子なんです。部屋を貸してくれている大家さんの生き方に問題があると思っても、文句を言える筋合いではないのです。いやなら、そのアパートを出ていけばいいだけの話ですから。でも、出て行けって言われたって、どこに行けばいいのでしょう。

パパは、日本協定永住という資格でいます。『朝日新聞』平成二年(引用者注:1990年)三月八日の記事の抜粋を使って、その説明を少ししましょう。
1910年から1945年までの植民地時代において、朝鮮人は日本国籍とされましたが、日本が戦争に敗け、サンフランシスコ講和条約が発行した1952年以降は、朝鮮人は外国人とされました。
そして法律126号では、
「別に定めるところにより、在留資格や在留期間が決定されるまでは引き続き日本に在留できる」
とされたため、その是非をめぐって日韓会議で協議がなされましたが、結局日韓会議によるところの「日韓法的地位協定」(引用者注:1965年締結)では、子々孫々までの永住は決まりませんでした。
その結果、「戦前から引き続き居住している人」と、「その子どもで66年1月17日から71年1月16日の間に申請した人」は、それぞれ協定一代目(いわゆる協定一世)とみなされ、そして「71年1月17日以降に協定一代目の子どもとして生まれ、生後60日以内に申請した人」は、協定二代目(同二世)とされました。この二代目にだけ永住資格が与えられたのです。

「二代目だけということは、その二代目の子どもたちはどうなるんですか」
「もし、みな子を韓国人にした場合、永住権はないということだ」
「つまり、日本に帰化するか、祖国に帰るか、どっちかにしろって言ってるんですか」
「そうなるな」
「ひどいなあ、それは」
「でも、国の政策としては正しいと思うよ。だって、イギリスとかドイツとか、労働力が足りなくなって、アラブやトルコから人を入れて、それがどんどん増えていき、権利だなんだと言い出したために、いまその処理に困ってるだろうが」
「でも、在日韓国人の場合は、違うでしょう。日本は昔、あれだけひどいことをしたんだから」
「オレは、そういうとこに甘ったれては生きてこなかったんだ」

現在、日本政府は、協定三世の永住権を保証すると明言していて、俗にいう「91年問題」で間もなく永住権は確定することになっています。
(122-125頁)

〔参考文献〕
『娘に語る祖国』 つかこうへい 1990年  ◆楽天 ◆Amazon