つかこうへい作品で振り返る「従軍慰安婦」問題の原点(補足編)

追記2017.4
★本稿はかなりの長文で、読みにくいです。つかこうへいの歴史観についてはまとめた記事があるのではまずそちらを。

補足編・はじめに

前後編では、つかこうへいが本作品で描いた従軍慰安婦はA(→定義)であったことを示した。
このAという荒唐無稽な「従軍慰安婦」は、何の脈絡もなくとつぜん信じられたわけではない。
その前の段階で、「植民地支配」の姿が荒唐無稽に歪んでいた(世界観A)からこそ信じられたのである。

たとえば私の場合でいうと、植民地支配下の朝鮮人というのは日本人とはまったく別の階層であり、奴隷のように一方的に隷属を強いられた存在であったかのように誤解していたからこそ、このAを違和感なく信じてしまったのである。
では、つかこうへいの場合はどうだったのだろうか。 従軍慰安婦Aを信じてしまうような「植民地支配」のイメージだったのか。 それを確認するのがこの補足編というわけである。

この補足編では、これまで分量や文章構成の関係で割愛してきた部分、すなわち慰安婦以外の描写から、つかこうへいが抱いていた「植民地支配」のイメージを探っていくことにする。

なおこの補足編は単独でも読めなくはないが、最低でも「つかこうへいの歴史観」は踏まえておいてもらう必要がある。 途中でわからなくなったら、やはり前編からの閲読をおすすめする。では以下、本文。

※本稿にはA的世界観、B的要素のように、ABという記号が出てくるが、Aは左派史観(いわゆる自虐史観)、Bは正しい史観を意味する。(→2つの世界観
※本作品では朝鮮人ではなく韓国人という言葉が使われているので以下それに準拠する。

つかの歴史観(再考)

さて、じつは作品終盤に判明することだが、池田の上官である鬼塚は韓国人が日本名を名乗っていたという設定になっている。つまり韓国人が日本の兵隊として戦争を戦っていたということである。

あいつ(池田)は誤解してるんですと、私のことを……。実は私は韓国人なんです。(157頁)
鬼塚と名乗っていましたので、私が韓国人と知る者はあまりいません。(161頁)

今日の読者にとっては韓国人の帝国軍人がいたこともすでに常識となっていて、こうした設定にもさしたる驚きはないのかもしれない。しかし1990年代の私は「植民地支配」の全体像をまだ完全に誤解していたため、もし私が本書を1997年の時点で読んでいたら鬼塚が韓国人だという設定に相当驚いただろうと思う。
なぜなら朝鮮人は「植民地支配」をされて恨んでいる、あるいは階層として日本人とは別の存在のはずなのに、なぜ日本軍の兵士になっているのか、あるいはなれているのかが想像もつかなかったからである。

では、作者であるつかこうへいは「植民地支配」をどのようなに理解していたのか。私と同じような誤解をしていたのだろうか。それともまた別の世界観だったのか。韓国人日本兵について、どのような存在だと思っていたのか。以下それを解析していこう。

◆「植民地支配」下の韓国人日本兵

まず作者つかこうへいにとって、「植民地支配」下の韓国人日本兵とはどういう存在だと思っていたのだろうか。それを検証するために、鬼塚の設定に関係のある箇所を少し長めに引用しよう。
次の部分は作者が鬼塚の消息を探し当て、鬼塚本人と話をする場面を抜き出したものである。

警視庁の村井君から電話が入りました。
「わかったよ。慰安婦のほうは無理だったけど、当時の池田さんの上官だった、鬼塚上等兵の消息」
「本当か……」
鬼塚上等兵は愛国心の強い、優秀な兵隊で、特攻隊にも志願しようとしていたそうです。
住まいは亀戸の方だとういうことでした。
「それに……」
「どうした」
「鬼塚は日本人じゃない、韓国人だ」
「えっ、韓国人で特攻に志願したのかね」
「そうだ。女房と暮らしているらしい。ただ、籍には入れていないようだが」
鬼塚さんが韓国人だったとは。
確かに、戦中、志願して日本軍の兵士になった韓国人もいた、という話は聞いています。
韓国を占領した日本は、韓国で徹底して天皇を頂点とした「皇国臣民」の教育をしていました。韓国人でも日本人と同じように、国のために天皇陛下のために死ぬのだと教育されていたのです。
でも実際にそういう人に会うのは初めてです。(153-154頁)

「あいつ(池田)は誤解してるんですよ、私のことを……。実は私は韓国人なんです」
村井君が言った通りでした。
「あの頃、イキがって帝国軍人になりましてね、特攻隊に志願しようとしたんです」
「特攻隊ですか」
「はい。韓国人が天皇のために死ぬ、なんておかしなものですが、そのことになんというか、まあ、得意になっていたとでもいいますか」
「はあ」
「でも、戦争が終わりましてね、日本は負けるし、そんな国のために死のうとしたなんて、恥ずかしくてクニにも帰れなくて、大体親、姉弟に合わせる顔もありませんしね、それで日本に来たんです。あの戦争の頃は、なんだかわけが分からない状態でした。もう、韓国という国がちっぽけに見え、日本軍に志願することが、強くなれることのような気がしていたのです。でも、戦争は日本が負けてあっけなく終わりました。せめて特攻にでてしまっていれば……。
今、思うとやっぱりどうかしてたんだと思いますね。日本人の女はともかく、同胞の女が買われているのをボーッと見ていたわけですから。あの頃はどうとも思っていませんでした。それは、ひとつには彼女たちがいい商売だったということもあります。なにしろ、同胞ですからね。悪くないようにしてほしいな、とは思いますよ。でも、占領されちゃうってことは、それだけ弱い国だったってことですからね、ある意味で仕方ないんですよ」 (157-158頁)

「玉音放送を知って、(中略)私はといえば、もう茫然自失でへたりこんでいました。せっかく天皇陛下のために死ぬのだと思っていたのにそれもかなわず、あろうことこか、日本は負けてしまったのです。帝国軍人になることでいくらかは上がっていたはずの私の地位も、地に落ちてしまいます。祖国を捨てて、いわば敵国のために死のうとしていたのです。これからどうしたらいいんだろう。今さら、韓国には帰れません。父や母に合わせる顔もありません。
もう恥ずかしくて恥ずかしくて、どうしようもありませんでした」(160頁)

次は鬼塚が韓国人でありながら従軍慰安婦Aという存在を看過していた理由を語っている部分。

池田、いいか。嫌がる女を無理矢理連行し、抵抗したら傷つけ殺し、病気持ちにさせておきながら変な情けをかけた日には、大日本帝国は根底から揺らぐ。この戦争が終わったあと、〝あれは狂っていたんだ、だからあのことは仕方なかった〟そう言い切らねばならんのだ。それにはな、愛だ恋だを芽生えさすだけの理性などあってはいけないんだ。でなければ、大日本帝国が根底から揺らぐ!!(151頁)(→つか3の3)

今、思うとやっぱりどうかしてたんだと思いますね。日本人の女はともかく、同胞の女が買われているのをボーッと見ていたわけですから。あの頃はどうとも思っていませんでした。 それは、ひとつには彼女たちがいい商売だったということもあります。(157頁)(→つか2

さて、この2つの部分を上から下に素朴に読んでみて読者はどう感じるだろうか。 自然に読めてしまうだろうか。なんとなくつじつまが合ってるようにもみえるかもしれない。
本ブログで私は左派史観の「嘘」に気づけなかったということを何度も書いている。それをすこし間抜けだと思っている読者も中にはいるだろう。しかしこの引用部を自然に読めてしまった人なら、その気づけなかったという感覚を味わってもらえるかもしれない。

もし私が当時この部分を読んでいた場合、どのような解釈になっていたかを説明してみよう。

まず、私は「植民地支配」の全体像について、朝鮮人は日本人とは別階層の奴隷のような存在だと思っていた。そして(1)韓国人の日本名と(2)韓国人日本兵については、次のようなイメージを持っていた。

(1) 韓国人の日本名については、「創氏改名」によって不本意に名乗らされているというのが標準的な理解だった。*1
(2) 朝鮮人日本兵については、基本的に存在しない、ありえないものだと思っていた。*2

こうした前提理解(から想像される「植民地支配」の姿)を踏まえて引用部分を読むと、当時の私であれば次のような辻褄で読んだはずである。
すなわち、鬼塚のような日本兵は、皇民化教育によって自国を占領している「敵国」であるはずの日本軍に「志願」するまでに天皇主義を叩きこまれた。そして強制された日本名で出自を隠しながら日本軍にもぐりこみ出世していった(*3)。従軍慰安婦Aについては、日本人のふりをして黙っている他はなかった。そして戦後の「どうかしてた」という言葉には、同胞でありながらそんな悲惨な慰安婦のことを看過してしまったという後悔自責の念があらわれているのだ ―――

当時の私であれば、左派史観を基調にしつつ鬼塚の心情を汲みながらこのようになんとなく理解していただろう。
そして、在日の有名作家が描いた鬼塚を「植民地支配」の等身大の姿だと思い込み、なるほど当時の日本は朝鮮人にこんな思いまでさせていたのかという方向で正しく「贖罪意識」が涵養されていただろうと思う。(苦笑)

今日の読者からみると、こうした私の解釈は辻褄があやしく思えるかもしれない。が、辻褄が曖昧であることも含めて(というかこの辻褄あわせにはそもそも正解がない)、この読解は概ね作者の意図や歴史認識に沿った解釈であると考える。
それを直接的に証明することはできないが、次に説明するように、作者が「植民地支配」をよく理解していなかったという事実から間接的に示せるのではないかと思う。

*1) 創氏改名については「韓国人を皇民化するために創氏改名で日本名を強制(民族名を廃止)した」「名前が奪われ自殺する人もいた」「拒否すると逮捕された」また「朝鮮人とわかると差別されるので民族名を名乗れなかった」というような説明がされていた。今思えばさまざまな場面が混同されているのだが、当時そんなことはわからない。→創氏改名はどのように誤解されていたか
*2) 1990年代後半に朝鮮人兵士の靖国合祀問題がとりあげられ、そこで存在自体は一応認識することになるが、それがどのような存在なのかはその時点では理解していなかった(→「真実」問題)。当時の報道では志願兵の話は出てこず、無理やり軍人にさせられたという話ばかりだった。それは今思えば徴兵のことを指していたのだと思われるが、この頃は「強制連行」の延長線上のようなイメージで私は考えていた。徴兵や志願兵は、自分が理解している「植民地支配」の姿では想定できないものだったため。
*3)今日の整理された頭で読むと、本作品の描写には、なかば意図的に、あやふやにぼかされている部分があることに気づく。 たとえば鬼塚の日本名にしても、「創氏改名」によって民族名を剥奪され「強制された日本名」を名乗っているのか、出世のために出自を隠すためだったのか、あるいはもっと別の理由なのか、はっきり書かれていない。
それでも本作において鬼塚の日本名が出自を隠す方に力点があるのではないかと考えた理由は、彼が韓国人であることを池田を含め知らないという設定になっていること、また話の構成としてそれを明かすシーンが終盤に置かれているのは読者にも隠す効果を狙っていることなどから判断した。なお鬼塚の民族名は最後まで出てこない。

◆つかこうへいがしていた「植民地支配」についての誤解。そして「嘘」の正体

ではこの部分、それなりに読めてしまった人(私)、またこういうお話を作った人(つか)は、何が騙されているのだろうか。いったいなにが「嘘」なのだろうか。
それはこの部分が、慰安婦と同様にA的世界観にB的要素を織り込んだ構造になっていて(→前編)、結果、読み手にA的世界観が真実であるかのように印象づけているからである。 つまり本来であればB的世界の物語として読ませるべきものを、A的世界観の物語として読ませているところが「嘘」なのである。

この構造を説明するために、上で引用した部分をABの成分に分けて整理してみよう。 まずA的世界観。

「占領」

作者の理解では、韓国は日本との戦争(?)の結果1910年に「占領」された。そしておそらく第二次大戦もこの占領された状態で迎えている。朝鮮人は日本人と同じ「国民」ではなく、被占領地域における完全被抑圧者という状態に置かれていると考えている。(→つかの歴史観

「敵国」

ここの「敵国」という言葉は、味方であることを認識しつつ、併合された韓国人の恨みを代弁した、比喩表現としての「敵国」ではおそらくない。 作者は、当時の日本と朝鮮は「ひとつの国」ではなく、日本は朝鮮を「占領」している「敵国」だと思っていた。少なくとも「味方ではないなにか」と思っていた。「一緒に戦争をしていた」ということが念頭にないからこその「(いわば)敵国」表現だと思われる。そしてその「敵国」に「志願」(後述)するのはおかしなことである。

つまり

この「占領」「敵国」という言葉は従軍慰安婦と同様、A的世界観の中の概念であり、これがつかこうへいの「植民地支配」の基礎イメージと考えてよい。つまり朝鮮人は「同じ国民」ではなく、階層としても日本人とは完全に別の完全被抑圧者というイメージである。

引用にある「悪くないようにしてほしいな」という表現にも注目してほしい。これはまるで朝鮮人の女の生殺与奪権を日本が握っているかのようなイメージの表現である。こうした表現にもつかこうへいが朝鮮人を日本人と「同じ国民」ではなく、占領者に自由にされてしまう被支配階級だと思っていたことがあらわれている。

つまり、「植民地支配」の日本人朝鮮人の関係についてこうした一方的な隷属関係であると思っていたからこそ、つかこうへいは従軍慰安婦をAという荒唐無稽な姿でイメージしえたのである。(→世界観A

産経のインタビュー記事にある「住民から一番嫌われる行為であるあこぎな強制連行はしていないと思う」という表現も、本来であれば「同じ国民から一番嫌われる」となっているか、あるいはもっと直截に「同じ国民にそんなことはしていないと思う」となっているはずではないだろうか。 しかしそうなっていないところからも、日本人と韓国人の関係を「同じ国民」だと思っていないかった、階級として別の存在だった、「敵国」同然だと思っていたことが窺える。*1

*1) こうした世界観A、すなわち「日本と韓国は同じ国ではない、同じ国民ではない」という感覚は、旧パラダイムにおいては珍しくなかったと思う。 私も韓国人は日本人によって常に一方的に虐げられるという話ばかり聞かされていて、B的世界観の話、つまり日本人と韓国人が(同じ国民として)協力して一緒に何かをやっていた、それは戦争でも甲子園でもなんでもよいが、そういう話を少なくとも私は当時一度も見聞きした記憶がない。
(当時どころか今日でも載る場所は極めて限られているのではないか。たとえば進歩派の新聞でそういう記事をみたことがあるだろうか?)

次にB的要素。つまり「真実」があらわれている部分である。

「皇国臣民」の教育

皇民化教育について、引用部分には、天皇中心主義にくわえて「韓国人でも日本人と同じように」という文言まで入っている。これはつまり兵隊になるために若者を教育するという色合いが増した描写になっている。ゆえにここだけ読むと朝鮮人も日本人と同じ「国民」扱いになっているように見える。

しかしこの部分を新パラダイムの知識をつかって、字義通りに「日本人と同じ(普通の)教育」と解するのは間違いである。ここは旧パラダイムにおける解釈、すなわち世界観A(=前提)に沿った解釈をしなければならない。それには1980-90年代の「皇民化政策」についての説明が必要だろう。

朝鮮半島で行われたいわゆる「皇民化政策」については、創氏改名日本語を強制することによって朝鮮人の民族性を全否定し、日本人化を強制したものというのが、1990年代までの私の理解だった。
それは併合直後から有無をいわさず実施され、暴力的な取締と命を賭した朝鮮人側からの抵抗があったという説明、たとえば「創氏改名」に反対すると逮捕され、名前を変えられたことに抗議して自殺を遂げる朝鮮人もいたというような説明がされていた。 そのため私は日本統治下はほとんど「恐怖政治」のようなイメージで捉えていた。

このように旧パラダイムにおける「皇民化政策」は、朝鮮人への民族弾圧という非人道的・国家犯罪的なイメージでのみ語られ、「同じ国民」として国を運営し、戦争を遂行するための教育というイメージではなかった
ゆえにこの部分は、字面では朝鮮人も「日本人と同じように」天皇教育を施されたかのような表現になっているが、これを新パラダイムの知識をつかって「同じ国民として施された、日本人と同様の普通教育」(本来はこちらが正しい)と解するのは間違いで、旧パラダイムにおける解釈をしなければならない。 *1

つまりこの「同じ」は、朝鮮人も日本人も天皇主義に洗脳されたという点でのみ「同じ」なのである。
作者の頭のなかでは依然として日本人と韓国人は「同じ国民」ではなく別階層(非同胞)のままである。 だからこそ鬼塚が名前を隠したりするなど、韓国人日本兵が中途半端な、身分を隠して潜り込んでいるかのような存在に描かれているのである。
つまり「日本人と同じ」という字面はB的で、「真実」を理解して書いているようにも見えるがそうではない。 作者の頭の中ではAのままであり、AB転換はできていない。 *2

*1) 普通教育とは国語算数理科社会のことである(もっとも当時そこまで充実していたかは知らないが)。ちなみに私はこの1997年の時点でも、隷属搾取されているはずの朝鮮人(の子供)が普通に学校に通っているというイメージはなかった。優秀な学生が東大や早稲田に留学していたなどということも、この頃は夢にも思っていない。自分の中で朝鮮人は完全に別階層の人々だったからである。
*2) 「売春宿と同じ」と書いていてもAB転換できなかった話を思い出してほしい→真実は見えていても

「志願」

まず、世界観Aからすると韓国人に日本兵がいたこと自体が理解できないことである。なにせ韓国を「占領」している「敵国」なのだから。しかもそれが「志願」だという。なおさら意味不明である。 そこで本書では、天皇教育で洗脳され、祖国を捨てて「敵国」に「志願」したという筋書きにしている。

韓国人日本兵の存在も、志願があったことも、世界観をBに転じてみればなんら不思議なことではなく、同じ国民として戦っていたという極めて明快な話なのだが、つまりここにも「真実」(B的要素)がにじみ出ているのだが、結局つかこうへいは、「天皇教育(B)」に「洗脳されたので祖国を捨てて敵国(A)」に「志願した(B)」という辻褄にしてA的世界観の下に統合したのである。
(推測になるが、おそらくつかこうへいは本作品執筆の時点でも、そもそも奴隷的身分の朝鮮人に天皇教育など必要ないはずと思っていたはずである。しかし朝鮮人日本兵がいたこと(B)、皇民化教育があったこと(B)は事実として知っているので、A的世界観に統合するためにこのような辻褄を考えたのだろうと思う)

つまり

これら天皇主義や志願などのB的要素をB的世界観で解釈すれば、当時日本と朝鮮は「ひとつの国」であり「同じ国民」であり、ゆえに共同して戦っていた、だからこそ韓国人に「日本人と同じ」教育を施したし、当然韓国人日本兵はいたし、なかには「志願」もあったし、慰安婦は娼婦だったし、恋愛関係もあったし、もちろん身売りなど不幸な身の上の女もいた、というごく常識的な光景になるはずである。

しかし本作品は、天皇主義に洗脳されたとか、韓国人であることを隠してなどのように適当な理屈をつけることによって、「敵国」の兵隊に「志願」させられ、さらに同胞でありながら慰安婦を看過していた朝鮮民族の悲哀などという世界観Aの物語に収斂させていく。 B要素をすべてA的世界観の中にとりこんで、「植民地支配」「創氏改名」「従軍慰安婦」など日本の犯罪的政策によってもたらされた朝鮮民族の悲劇の物語として、一定のリアリティをもって読ませているのである。

つまりここにあるB的要素は、A的世界観から脱却するどころか、むしろ適当な理屈をつけることによってA的世界観を補強する材料になってしまっている。 A的世界観に一部B的な「真実」が織り込まれることによって、むしろA的世界観の真実味が増してしまっている。
(※当時の感覚を想像する上で大事なことは、今でこそBという視点を意識できているが、旧パラダイムの住人にはそれ自体がないということである。すなわち日本人と朝鮮人がそこそこ仲良くやっていたなどというB的世界なんてあり得ない―と思いこんでいる(それが前提))

「嘘」の正体

本作品は、兵隊が慰安婦を映画に誘ったり駅伝大会をするなど、B的要素がストーリーの前面に現れていて、全体的にはB的な雰囲気で話が展開する。そのため、Aという極端に非人道的で「荒唐無稽」な世界観の話にもかかわらず、マイルドで「現実的」な物語に一見なっている。 産経新聞や私が、つかこうへいは慰安婦問題の正体はBであると見抜いていたと勘違いするほどにきれいにお話として組み上がっている。(→「感想編」もどうぞ)

しかし旧パラダイムの住人がこれを読んでB的な世界を頭に描くことはない。すなわち、警察、教師、裁判官、知事,、将校に韓国人がいて、韓国人師弟も学校に通っていた、甲子園にもでていた、戦争は一緒に戦っていた、ゆえに韓国人の志願兵もいた、また当時日本でもあったように身売りされた韓国人の娘が苦界に身を沈めるなど不幸なケースもあった・・・というごく常識的な等身大の日本統治下の光景を想起することはない。

本作品で得られるのはあくまでも、「植民地支配」の下で同じ「国民」とはみなされない、被支配・奴隷的階級の韓国人が、ある者は従軍慰安婦としてとられ(→前編)、またある者は身分を隠して日本軍の中で出世いくなどしながらなんとか生き抜いた、そうした朝鮮民族悲劇の物語Aのみである。 なぜならこの物語の土台がA的世界観だからである。

このように要素としては正しいこと(B)を入れながらも、最終的に読者にイメージさせるのは世界観Aというのが本作品の「嘘」なのである。
(尤も本作品の場合は、つかが日本人を騙そうとしたのではなく、彼自身が騙されていた構造がそのまま本作品にあらわれているにすぎないのだが)

まとめると

ここまでで、旧パラダムの住人が左派史観の「嘘」に気づけない、B的要素を目にしながらも世界観をAB転換するという発想に至らない、むしろA的世界観の方にリアリティを感じてしまう、そうした感覚を作者と私の視点を通じて説明してきたつもりなのだが、読者に伝わっただろうか。

左派史観を前提とし、聞かされてきた各種「証言」を信じ、整合性の取れる解釈を探して、不整合性を感じながらも「このようなことだったのではないか」と心情を善意で忖度して世界観を組み上げていくうちにぼんやりと像を結んでしまう。
つかこうへい自身もそうした経緯で「植民地支配」を誤解していた。そしてその誤解に基づいて書かれたのが本作であり、これを読んだ私などが「正しく」贖罪意識を涵養されてしまう。パラダイムシフトがはじまりつつあったといっても、1997年の日本社会とはまだそんな状態だったのである。

本作品は「植民地支配」下における朝鮮民族の悲哀の物語になっているが、ここまで読んできた読者にはおわかりのように、このお話に作者の確固たる「植民地支配」観があらわれているという読み方は正しくない。1997年当時に作者がしていた誤解と曖昧さがそのままに表現されていると理解するのが正しい読み方である。

◇つかこうへいが抱いていた「植民地支配」のイメージ
・戦前の日本のことを、韓国を「占領」した「敵国」だと思っていた。
・韓国人は日本人に隷属する存在であり、「同じ国民」という意識はなかった。
・韓国人の女は支配者である日本人によって〔自由にされてしまう〕存在だと思っていた。

しかしながら、こうして話を組み上げてみたものの、作者自身も世界観にどことなく不整合は感じていて、それはたとえば次のような表現にあらわれている。

◆狂っていた・どうかしていた

作者はこうしてなんとか「お話」として組み上げてはみたものの、辻褄に難があることは認識しており、そのギャップを埋めるためにこうした言葉を随所に入れている。

(鬼塚) 池田、いいか。嫌がる女を無理矢理連行し、抵抗したら傷つけ殺し、病気持ちにさせておきながら変な情けをかけた日には、大日本帝国は根底から揺らぐ。この戦争が終わったあと、〝あれは狂っていたんだ、だからあのことは仕方なかった〟そう言い切らねばならんのだ。それにはな、愛だ恋だを芽生えさすだけの理性などあってはいけないんだ。でなければ、大日本帝国が根底から揺らぐ!!(151頁)

韓国人である鬼塚が、拉致されてきた朝鮮人の女=従軍慰安婦Aを事実上黙認していたことも、またそもそも従軍慰安婦Aのようなものを大日本帝国が正面から容認していたことも、戦後振り返れば信じられないことだが、それもこれも戦争で倫理基準が「狂って」しまっていたからなのだということにしてなんとか辻褄をあわそうとしている。次もそうである。

(鬼塚) 今、思うとやっぱりどうかしてたんだと思いますね。日本人の女はともかく、同胞の女が買われているのをボーッと見ていたわけですから。あの頃はどうとも思っていませんでした。 それは、ひとつには彼女たちがいい商売だったということもあります。(157頁)

この部分になるともはや「いい商売だった」などとほとんどB的な話になってしまっている。誘拐拉致され監禁されて性供出されていたはずなのに(従軍慰安婦A)「いい商売」なんてありえない。現在の整理された頭で改めて読んでみると、辻褄が無茶苦茶なことがわかる。(苦笑)

ここで重要なのは、この時の作者は「どうかしてた」で一応は話は完成していると思ったことである。
思っていたからこそ本作品は世に出た。 自分の書いた「お話」の辻褄は若干おかしいかもしれないが、全体像としてはこれで正しいものに違いないと彼は思っていた。 つまり彼は、見聞した証言などから作り上げた世界観A自体は疑っていない、それが正しいということを前提としているわけである。

ちなみにこの「狂っていた」という言い方は、戦中を語るときにわりとよく出てくる表現で、ちょうどH氏の言葉に同じものがある(→つか2)。 「いい商売」「何かが狂っていた」はここから持ってきたものだろう。

(H氏) 女たちがが首に縄をつけて引っ張ってこられたみたいな、そういう言われ方をしていますけど、実際はいい商売でした

あの頃はとにかく何かが狂ってましたから、そういうこともあったかもしれない

おかしな辻褄はほかにもある。次の一文も「狂っていた」「どうかしていた」と同じである。そもそも拉致してきた慰安婦と駅伝大会をするなんておかしい。(→感想編

みんないつのどようにして手に入れてきたのか、真新しいランニングシャツと白いパンツに身を包んで、慰安婦、兵隊共々、和気あいあいとした感じです。まるで昨日までの、お互いに人間同士のような付き合いはなく、それでいて一番人間くさいことをしていた奇妙な関係が嘘のように思えます。(143頁)

そこで「嘘のよう」だということにしてAB2つの慰安婦像を強引につなげているのである。(→つか3の2)
拉致誘拐してきた慰安婦と和気あいあいの駅伝大会など「嘘のように思え」るし、「敵国」の兵隊に「志願」するのも不思議な話だが、それもこれも「あの戦争の頃は、なんだかわけが分からない状態」だったからしかたがない ―――
本作品では、考えにくい辻褄については、すべてこの方法で強引にA的世界観への統合を図っている。 しかしもうおわかりのように、「嘘」であり「狂っていた」「どうかしてた」のは、鬼塚でも作者でもなく、Aという世界観そのものだったという訳である。

◆ひっかかる点

さて、ここまで、鬼塚の人物設定を通じてつかこうへいが「植民地支配」をどのようにイメージしていたか、日本人と韓国人の関係についてどのように誤解していたのかを推認してきた。
大体のところはこれで済んだと思うが、まだひとつひっかかる記述がある。 それは鬼塚が韓国人であることが判明する下りで、韓国人日本兵に「会うのは(鬼塚が)初めてです」という描写があることである。

鬼塚さんが韓国人だったとは。
確かに、戦中、志願して日本軍の兵士になった韓国人もいた、という話は聞いています。
韓国を占領した日本は、韓国で徹底して天皇を頂点とした「皇国臣民」の教育をしていました。韓国人でも日本人と同じように、国のために天皇陛下のために死ぬのだと教育されていたのです。
でも実際にそういう人に会うのは初めてです。(153-154頁)

ここを字義どおりに解釈すると作者がはじめて会うのは「韓国人志願兵」ということになるが、ここではいったん広く「韓国人日本兵」と解釈しておこう。なぜなら鬼塚の人物設定の要諦は、従軍慰安婦Aを看過していたのが韓国人だったこと(被支配階級として文句が言えないような状態にあった人であること、実際どうであったかはともかくそういう筋書きであること)であり、それは志願だろうと徴兵だろうと大差はないからである。

さて、この「会うのは初めて」にひっかかる人はいないだろうか。

というのは、この記述がFパートに置かれていることを考えると、つかこうへいは実際には一人も元・韓国人日本兵に会っていないのではないかという疑問がわくからである。もしそうだとしたら、作者は一人も取材せずに鬼塚という架空の人物を造形していることになる。
しかも本書には次のような一文があり、作者は1990年の時点で慰安婦問題を認識していることがみてとれる。 日本人には直接何人も取材をするような作者が、この重要人物を造形する上で、その後七年もの間、韓国人日本兵に一人も取材もせずに話に組み込んでいるとすれば、やや不自然に感じないだろうか。

従軍慰安婦のテーマは、七年前に『娘に語る祖国』を書いたときから、いつかお芝居にしてみたいと思っていました。でもなかなか完成できないでいます。(54頁)

これは感想編にも書いたことだが、鬼塚の人物設定や台詞にすこしとってつけたような、上滑りしているようの感じを私はうけた。それも取材をしなかったことによる具体性の乏しさからくるものではないのか。
取材をしていないという点では、本作品を読むかぎり、慰安婦にも直接の取材はしていないようにみえる。ただ慰安婦については金学順など、TVで実際の慰安婦を目にしていて、そこで一定のリアリティを持っていたはずである。
しかしこの鬼塚のような「敵国」に「志願」し、韓国人でありながら従軍慰安婦Aを看過していたというような特殊な矛盾を抱えた存在について、演劇を生業としているプロ中のプロであるつかこうへいが、しかも私のような末端ならともかくいろいろ情報を取れる立場にあるような人が、「何かが狂っていた」という理屈、それも戦中を語る上でほとんどテンプレ化していたような理屈だけで簡単に納得して話に組み込むだろうか。 当時はまだ韓国人日本兵がたくさん存命だったはずである。取材しようと思えばできたはずである。 そこにはなにか理由はないのだろうか。

そこでまず私の目に止まったのは、巻末に挙げられている〔参考文献〕である。

金錫源

本書巻末を見てみると参考文献が13冊あげられている。有名なところでは『水木しげるのラバウル戦記』もあがっている。その中で、書名から推測するに韓国人日本兵を正面から扱っているものは、金錫源『老兵の恨』(1984年)という非売品の書籍が該当する。Wikipediaによるとこの金錫源(1893-1978)は優秀な軍人だったようである。内容を読むことはできないが、次のような記述がネットで見つかる。

このような渦中で私は日本人達の鼻柱をへし折るため、また韓国人の自尊心を高めるため、真面目に勉強ばかりに熱中していたのである。だから、学生時代には特に他人に対して自慢できるような追憶一つ残つていない。
唯一つだけ、あれは幼年学校時代であつたろうか、一度日本の海軍省を見学した事がある。
そのとき海軍省の玄関口に飾ってあつたのが、「敵将李舜臣が使用した錨」という説明がついた錨が、堂々と置かれてあるのを見た。
それを見て、私は俄然緊張した。将軍といえば李舜臣であり、李舜臣といえば将軍で通じていた我が祖母の言葉が浮かび上がり、瞬間私は「韓国人の誇り」を胸一杯に感じたのであった。
引用元 http://kokis.client.jp/noby/n29_hero.html

こうした記述も、現在の知識(新パラダイム、B的世界観)で読めば、日本の軍人となった朝鮮人のなんの変哲もない回想話である。
しかしこうしたものも1990年代の旧パラダイムの空気の中で解釈すると、たとえば、出世のために「敵国」に「志願」したが韓国人としての魂は失わなかったのだというように、A的世界観の解釈、すなわち鬼塚と同じ線で読むことも可能なのである。

現在の読者の中には、これをAの線で解釈することにかなりの強引さを感じる人もいるかもしれない。

しかし当時の感覚を理解する上で想像してほしいのは、今でこそABという2つの概念を導入できているが、旧パラダイムの住人にはAがすべてだと思っているということである。旧パラダイムの住人にはそのくらいAという世界観しか念頭になかった(=前提)。 ゆえにこうした話も、AB転換していない人(私)にはA的世界観とあわせる方向での解釈しかできない。
(このような心理を「真実」問題と名付けた。 つかこうへいも慰安婦についてさまざまな情報を目にしながらも、結局は従軍慰安婦Aの線で描いていることを思い出してほしい)

そして作者もこの金錫源の話を「真実」問題でいうところのB的要素の範疇として、AB転換することなく、「敵国」「占領」という世界観Aの中で理解していた、あるいは判断を棚上げしたのではないかと推測する。(→「どういうふうに理解すればいいのだろう」

なおこの金錫源は2002年に韓国で「親日派名簿」に掲載され、つまり祖国の裏切り者として評価されているようである。

こうして作者は、いくつかの資料にあたっていることはわかる。しかしこれだけでは取材しなかった理由にはならない。他に理由はないのだろうか。 ここで私なりの結論(仮説)を先に述べると、つかは「取材するには及ばない」と思っていたのではないかということである。 それを説明するために、以下3項目をならべる。

つかが韓国人日本兵という存在を知った時期

『慰安婦編』にはこんな記述がある。

特攻隊に志願した鬼塚さんの気持ちはどんなものだったのでしょう。パパのお父さんは、兵隊に志願こそしませんでしたが、若い頃に日本に渡ってきて、事業を起こしたと言います。おじいちゃんもどこかで、日本という新しいくにへの思いがあったのでしょう。その思いは、鬼塚さんの気持ちとどこか似ているのかもしれない、と思いました。(155頁)

この「志願しなかった」のくだりについては父親から直接きいたものではない。なぜなら、つかの父親は1990年の時点ではすでに亡くなっているということと(→『娘に語る祖国』23頁)、もし直接聞いていたら「と言っていました」という書き方になるはずが、「~と言います」となっていることからもあきらかである。(→つか4の2と4の表現との比較)

さらに、もし1990年以前に「志願兵」「韓国人日本兵」の話を父親などから聞いていたとすれば、その形跡くらいは『娘に語る祖国』(1990)に見られてもよさそうである。 しかし『慰安婦編』(1997)ではAB両方の場面が文面にあらわれているにもかかわらず、『娘に語る祖国』ではA的な植民地支配の姿のみが書かれていて(→つかの歴史観)、そこには韓国人日本兵の話はおろか、天皇主義教育など、同じ日本人として戦っていたというB的な要素に繋がりそうな話が片鱗も見当たらないのである。

こうして(1)1990年の時点でB的世界の要素があらわれていないこと、(2)その後一人も韓国人日本兵取材していないこと(これは推定)の2つをあわせて考えると、作者は少なくとも1990年の時点では韓国人日本兵(=B的要素)の存在をほとんど認識していなかったのではないか。 そして、慰安婦について問題意識を持った1990年以降もずっと取材をしていない理由は、韓国人日本兵を知った、あるいは明確に意識しはじめたのが1997年に近い時期だったからではないか、という推定が理屈の上では一応なりたつ。

そして、彼が韓国人日本兵を知ったのが1997年に近い時期だとすれば、そのきっかけとなった出来事について、ひとつ明確に思いあたることがある。それは、1990年代後半にもちあがった韓国人日本兵の靖国合祀問題である。

靖国合祀問題

1987年にはじまった『朝まで生テレビ』は「大人が本気で口論する」という面白さが受けたのか、かなりの人気番組だった。今でこそ朝生はほぼネタ番組と化しているが、当時はその政治的影響力は小さくなかったと思う。

私の記憶によると1990年代は思想信条の自由がテーマとしてよく取り上げられていて、たとえば国旗国歌の問題や、靖国参拝が政教分離違反か否かがよく議論されていたと思う。そしてそれに付随して、靖国に合祀されている日本人兵士およびその遺族の思想信条的な問題はどうなるのかという議論もしばしば出ていた。ただしこのときは朝鮮人や台湾人兵士の話はまったく遡上にのぼっていなかった。

しかしそうした国内的な視点での論争がしばらく続いたあと、1990年代後半、(私にとって)唐突に出てきたのが韓国人遺族による靖国合祀問題だった。 当時の私はこの想定外の出来事に、虚を衝かれたような心地になったことをおぼえている。

このことは当時、一般ニュースでもよく取り上げられていて、政治的なものに関心があるような人であれば確実に覚えているくらいの注目は集めていたと思う。 私もこの時にはじめて「韓国人日本兵」というものがいて、しかも靖国に合祀までされているという事実を明確に認識することになる。(ただし→「真実」問題

こうした時流からかんがえると、つかこうへいもそのくらいの時期、ただしつかのような人はこの方面にアンテナを張っていたであろうから、一般ニュースになる少し前、つまり『慰安婦編』(1997)に着手するころから韓国人日本兵のことを意識しはじめたのではないだろうか。これはあくまでも推測である。

取材をしなかった理由(結論・仮説)

こうして作者が韓国人日本兵を意識したのが1997年に近い時期だったとして、時間的な都合(まにあわなかった)というだけでは取材しなかった理由として十分とはいえない。もっとほかに理由はないのだろうか。また鬼塚をあえて韓国人日本兵という設定にしたのはなぜなのだろうか。

たとえば「親日派」と思われたくない元・韓国人日本兵に取材を断わられたという事情もあったかもしれない。

ただ私の仮説は、それ以前に、「取材するには及ばない」と作者は思っていたのではないかということである。
再度、鬼塚が韓国人であることが判明するくだりを見てみよう。

鬼塚上等兵は愛国心の強い、優秀な兵隊で、特攻隊にも志願しようとしていたそうです。
(中略)
「鬼塚は日本人じゃない、韓国人だ」  「えっ、韓国人で特攻に志願したのかね」
(中略)
鬼塚さんが韓国人だったとは。 確かに、戦中、志願して日本軍の兵士になった韓国人もいた、という話は聞いています。

先ほどは「韓国人志願兵」ではなく、広く「韓国人日本兵」と解釈したが、ここで元に戻して、志願兵なのか普通の日本兵なのかにこだわろう。

もし当時の私であればこの部分を字義どおりに「志願兵」と読んだと思う。 なぜなら当時の私の「植民地支配」の理解からすると、すでに書いたように韓国人日本兵という存在自体がまず理解できず、まさか普通にいくらでも韓国人日本兵がいるとは、なおさら思っていなかったからである。 すなわち韓国人の日本兵というものが、祖国を裏切ってまで「敵国」に「志願」するような例外中の例外、極めて奇特な人間だったという解釈で読むのが限界だったからである。*1

つかこうへいも、私と同様、日本兵は志願兵のみで、しかもそれは極めて稀な存在だと思っていたのではないか。 それは「パパのお父さんは、兵隊に志願こそしませんでしたが」(徴兵の話がでてこない)とも矛盾しない。

もしそうだとすると(いくらでもいた普通の)韓国人日本兵に取材しなかった理由は次のように推定できるのではないか。

すなわち韓国人志願兵というのは、韓国人が苦しんだ「植民地支配」(世界観A)の中の例外的で微々たる存在に過ぎず、しかもそれは「敵国」に寝返った、いわば日本人化した韓国人であるから、従軍慰安婦を考えるにしても、日本人日本兵に話を聞けば十分である(全体像を外すことはない)。 そして、物語には「こんな韓国人もいた」という発想で鬼塚を織り込んだ。そうすることで「狂っていた」ことが強調できるし、占領下の韓国人の悲哀も表現できる ―――――

もちろんこうした推量が正しいかどうかはわからない。金錫源の本などには普通に多くの韓国人日本兵のことが書かれているかもしれない。

しかし結果として作品に描かれた世界が彼の出した答えであり、そして読者の解釈がすべてであろう。 一流の作家であるつかこうへいは、そんなことは百も承知で描いている。 つまり従軍慰安婦Aと、「敵国」に「志願」しながらそれを看過していた韓国人日本兵(鬼塚)という世界がすべてである。

つかこうへいは紆余曲折を経て、最終的にこの世界観で描いた。その意味は小さくないのではないだろうか。

*1) 実際には〈同じ国民として〉多数の兵隊志願者(採用率7倍から60倍)がいたのだが、当時の私はそんなことは知らないし、おそらく作者も知らなかったのではないだろうか。鬼塚が特攻に志願していたことを聞いて驚く場面が設定されていることもそれを示唆している。

◆作者のパラダイムシフト

小林よしのりや植村隆も言っているように(*1)、1990年代の半ばから徐々に日本社会の歴史観の転換が始まる。 つかこうへいもちょうどそのころに実態に気づきはじめたのではないかと思える表現がある。 次の2つは1990年と1997年の彼の「強制連行」について彼の認識の比較である。

「だって、ねえもんはしかたねえだろ、強制連行されてきて何の誇りだ。オレが思うにだ、そりゃ強制連行されきたやつもいるだろうが、なかには志願してきたやつもいると思うんだ。国で食えてりゃ、韓国に残ってるさ、オレら、そういう人の子どもたちだぜ。ロクなものなんか生まれるはずはねえ。どこに誇りをもてってんだ?」
1990 『娘に語る祖国』59-60頁(→つか4の3)

取材後(引用者注:1997年)の雑談で、つかさんはこんなことも笑顔で語っていた。「うちのオヤジは『日本に連れて来られた』と言っていたけど、本当は食い詰めて自分で渡ってきたんだろう」。
2016.1.16 http://www.sankei.com/column/news/160116/clm1601160005-n1.html

両者を併せて解釈すると、1990年の段階では、在日は強制連行されてきた人々だと云われていて、(親父もそのようなことを言っていたし←90年の時点で故人&97年の発言から遡って解釈)それは事実なのだろう。しかし中には志願してきた人もいたのではないか、と強制連行を信じながらも一抹の疑問を感じている状態。 それが1997年になると、オヤジは連れてこられた(強制連行)のではなく食い詰めてやってきたんだろう、と確信めいた言い方に変わっている。

こうしたわずかな表現の違いにあまり細かい意味を読み取ってもしかたがないかもしれないが、私には「強制連行」についても1990年からの七年間で見方に変化があったように感じられる。 つまり虚構性に気が付きつつあったのではないか。

つかこうへいの「植民地支配」観は、1990年代という時代性もあって、この七年間で徐々に事実に近づいているようにみえる。しかしそれでもまだ彼の中では「真実」問題の段階にとどまりAB転換はできなかった。本作品も転換できないまま書かれている。それが執筆時点での状態だったのではないだろうか。

*1) 小林よしのり「わしが1990年代に『戦争論』を描いたころは、(中略)自虐史観が浸透し切っていた」(記事)   植村隆「一方、日本で1990年代半ばから「歴史修正主義者の動き」が出てきたとして「教科書から慰安婦問題を除くべきだという運動が始まり、そのリーダーの1人が安倍(晋三)首相だ」 (記事

補足編・まとめ

この補足編では、従軍慰安婦Aが存在した舞台、作者であるつかこうへいが「植民地支配」をどのようにイメージしていたかを検証してきた。
彼が辿り着いた「植民地支配」のイメージは、韓国人は日本人に完全に隷属させられている被支配階級であり、ゆえに拉致誘拐同然で囚われて日本軍の相手をさせられる従軍慰安婦Aが成立しえたし、また身分を半ば隠しながら日本兵に「志願」する人もいた。韓国人はそうした「過酷な植民地支配」の時代を生き抜いた人々である・・・というものであった。(世界観A

「植民地支配」についての過酷なイメージは、当時はそれほどめずらしいものではなかったと思う。私のイメージは既に説明したが、私以外がどう思っていたかについても、こちらの「資料」リンクをみれば似た傾向が見てとれるのではないかと思う。
(なお韓国はまだ世界観A、従軍慰安婦Aの段階である。*1)

この補足編はつかこうへいの歴史観を詳細に検証してきたが、この機会にもういちど強調しておきたいことがある。
それは、ここで見られた特徴、すなわち要素としては正しいこと(B)を言いながら世界観をA(旧パラダイム)へと読み手を誤解させていくという特徴は、朝鮮半島絡みの言論に広く見られるということである。*2

そして本作品は、その「虚」の構造がそのまま現れているものであり(→「嘘」の正体)、今日の読者にも「嘘」を追体験できるという意味で貴重な作品といえるのではないかと思う。

なおこうした特徴は、今日において過去の言動についての責任逃れをするのに好都合になっている。つまりB要素を提示して「我々は嘘は言っていない」「正しいことを言ってきた」という言い訳ができるからである。しかし「嘘」は各要素ではなく、それらを適当に組み合わせて構築された世界観の方なのである。

労働・社会問題等に過ぎないものを国家犯罪であるかのように言ってきたというのが、朝鮮半島絡みの歴史問題の「嘘」の構造であるということを強調しておきたい。

*1) 「朝鮮人の女が20万人も拉致誘拐され従軍慰安婦にされたのに、なぜ朝鮮人の男は立ち上がらなかったのか」という揶揄の言葉がある。しかしそうした指摘は世界観Bを持ち得てはじめて可能なのであって、世界観Aの住人にはそうした発想は出てこない。
*2) たとえば→徐京植 『皇民化政策から指紋押捺まで』 (岩波書店、1989)

全体まとめ

本稿ではつかこうへい作品を長々と詳細に解題してきた。

本稿で提示した「植民地支配」の姿は、新パラダイムの歴史観(B)しかしらない読者には俄には信じがたいものかもしれない。
しかし本作品の存在は、当時の日本社会で従軍慰安婦Aが信じられていたという誰の目にも明らかな証拠であり、当時の「植民地支配」のイメージが超一流の劇作家の筆力によって保存されているという意味でも貴重な資料といえるだろう。

本作品を手掛かりにして、1990年代に従軍慰安婦Aが信じられていたという事実から出発し、その時系列を逆にたどることで、1980年代の人間が「植民地支配」についてどのようなイメージを抱いていたかを想像できるのではないだろうか。
そしてそのイメージが日本人にどのような贖罪意識を抱かせ、それがどのように利用され、どのような問題を引き起こしたかにまで想像が及べば、いまさら「強制連行」を戦時徴用工の労働問題にすり替えたり、「従軍慰安婦」を女性の人権問題へと論点変更することは許されないことがわかるかと思う。

1980年代から1990年代にかけて在日の政治的権利は拡大していくが(指紋押捺廃止、特別永住資格確定等)、それもこのような旧パラダイムの歴史認識を利用して実現していったものである。
こうした歴史観が主流だったからこそ、辛淑玉や姜尚中らの民族派の在日も日本人にお説教をするかのような態度でTVに出られていたし(→在日が無垢化した1980年代)、カルト宗教はその贖罪意識につけこんで活動していたのである。

歴史論争は未だにおさまらないが、こうした経緯を抑えることによって、「朝鮮半島にまつわる歴史認識問題」という問題は、過去の歴史の真偽問題よりも、むしろ戦後に虚偽史観が利用された問題であるということが読者に伝われば幸いである。

政治の季節であった1960-70年代に比べると、1980年代前後の日本社会の状態というのはあまり語られないのではないだろうか。拙稿が現在おきている問題についての過去の文脈を理解するたすけになればと思っている。

なおここで検証してきたつかこうへいの歴史認識について、私の解釈は本筋は外していないと思っているが、そもそも本作品はここまで細かく分析的に読まれることを想定して書かれたものではない。ゆえに穿ちすぎている箇所もあるかもしれない。
また筆者(私)の感覚とよく符合するがゆえに、作者の意図以上に自分の方にに引き寄せすぎて解釈してしまっているところもあるかもしれない。その辺りの割引の判断は読者にまかせたいと思う。

(終)

〔参考文献〕
『娘に語る祖国 「満州駅伝」―従軍慰安婦編』 つかこうへい 1997年