つかこうへい作『娘に語る祖国・従軍慰安婦編』で振り返る「従軍慰安婦」問題の原点(前編)

本稿は長文なので、検索でここに来た方は、まず要約版である「つかこうへいが描いた従軍慰安婦」の方をおすすめします。

本稿は、正しい歴史知識のある人には、むしろ理解しにくい内容となっています。

すなわち、日本人と朝鮮人が同胞(味方)であり、一緒に戦争をしていたということ、そして従軍慰安婦は単なる戦地売春婦であるということを知っている人には、かえってわかりにくい内容になっています。

そうした正しい知識をいったん横に置いて、日本人と「植民地支配」されている朝鮮人は、同胞ではなく一種の主人と奴隷のような関係(非同胞的関係)だと誤解していた、すなわち「2つの世界観」の世界観Aを信じていた、そういう時代の話だということを念頭に置いて読んで下さい。

はじめに

今日の慰安婦の議論のほとんどは、軍による強制連行の有無、あるいは「女性の人権」的なところにポイントが置かれている。しかし本稿ではその手の議論は扱わない。
なぜならそうした議論は、この問題で考えるべき本質からズレていると思うからである。

どこがずれているのかは後述するとして、そもそもそうしたズレが生じてしまう原因は、そもそもこの従軍慰安婦問題とは何であったかを知らない人、あるいは知ってはいても議論白熱していくうちに念頭から外れてしまっている人が増えていることにあるのではないかと考える。
そこで本稿では、1997年に刊行されたつかこうへい作品を通して、この問題がもちあがった1990年代の初頭に「従軍慰安婦」とはそもそもどういうものであったのか、その説明からはじめたいと思う。
そうしてこの問題の「原点」を見直すことで、現在の慰安婦や歴史認識の議論のどこがズレているのかを読者に示せるのではないかと期待する。タイトルの『原点』という言葉はその意味で使っているものである。

さて前置きはこれくらいにして本題に入ろう。読者は、この問題が持ち上がった当時、「従軍慰安婦」とはどのような存在だと考えられていたか(誤解されていたか)知っているだろうか。
> 慰安婦の中に、日本軍によって拉致誘拐されるなどしてひどい目にあった朝鮮人の女の人がいた
といった生やさしい話ではない。

確認しよう。1990年代(とくにその前半)までの「従軍慰安婦」とはこういうものであった。

(1) 日本軍が朝鮮人女性を拉致誘拐をして慰安婦にした。その数は20万人にも上った。

これだと見飽きた表現で、つまらないかもしれない。

さらにここに(イ)「戦地売春宿というものがあったこと自体を知らない・念頭にない」という前提を加えて(1)を解釈するとどうなるだろうか。 なお解釈には、日本軍は「南京大虐殺」をするような存在であり、旧日本の悪行がナチスと並べて云われていたという時流も加味してほしい。
すなわち、(A)各地を転戦するのに性処理が必要なので、日本軍がそのための朝鮮人の女(だけ)を(特に)調達してきて、部屋などに閉じ込めつつ性供出させていた ―― これが1990年代に私が抱いていた「従軍慰安婦」のイメージである。
初見の人はここでしばらく立ち止まって、(1)(イ)および下線部Aの意味するところについてよくよくイメージしてみてほしい。
このAとは、いわゆる戦地売春宿・戦地売春婦のことではない。それとはまったく別の概念である。
このAとは、こうした活動が日本軍の日常であって事件ではない(合法)というものである。(「20万」という数字が意味しているのは、そうした行為が日常=合法であったということ)
・・・この説明で従軍慰安婦Aのイメージを正しくつかめただろうか。 ピンとこない人はイメージがつかめるまで再読してみてほしい。
当然、こうした従軍慰安婦Aの中に日本人慰安婦は登場しない。日本軍が日本人女性に対してそんなことをするはずがないからである。事実、当時の報道は朝鮮人女性の話ばかりだった。

さて、現在の読者からするとAで示した従軍慰安婦のイメージは荒唐無稽すぎて、私だけが陥っていた誤解ではないかと訝る人もいるかもしれない。
しかしこの従軍慰安婦Aに極めて近いイメージで書かれた作品がある。つかこうへい作 『娘に語る祖国 「満州駅伝」―従軍慰安婦編』(1997) (以下『慰安婦編』と略す)がそれである。

まず、性欲処理のための女性を戦争に連れていったというのは日本だけだと言われています。戦地に元兵隊さんたちの慰みものとしてだけ連れて来られた女性の存在は世界の各地を探してもほとんど見つからないとのことです。(→つか1前半)

「パパは今どんなご本を書いているの」
「うん、従軍慰安婦のこと」
「うまく書けたの」
「いや、書けなくて、困ってるんだよ」
「あんまり悲惨すぎるから?」
「うん、それもあるんだけど……」
たしかに従軍慰安婦に関する情報はどれも恐ろしいものばかりです。

まず、性欲処理のための女性を戦争に連れていったというのは日本だけだと言われています。戦地に元兵隊さんたちの慰みものとしてだけ連れて来られた女性の存在は世界の各地を探してもほとんど見つからないとのことです。
また、日本兵には抵抗する女性を殺したり、首をはねて熱湯の釜に放り込んで煮て、その煮汁を他の慰安婦たちに飲めと、飲まなければ殺すと強要したりしたという話もあります。

他にも朝鮮から連れてこられたまだ十四歳の従軍慰安婦が、日本兵の相手をするのを断ったために、その場で縄で縛られ庭に引きずり出され、裸のまま平原に立つ高い木の枝に吊るし上げられたというようなこともあったと聞きます。

その日本兵は他のテントの中にいた兵隊や慰安婦たちを呼び集めてきて、彼女を笑いものにしました。 女の子はあまりのことに、 「チクショウ、犬のようなおまえたちの言うことなんか聞かない」 と怒鳴り、その兵隊に唾を吐きかけました。 その途端、その日本兵は目の色を変え、やにわに軍刀を抜き、女の子のガウンのような服の前をはだけると、逆さに吊られたままの女の子の右胸をムンズと掴み、乳房を抉りとったと言います。

そんな時代です。逃げようとした女の子たちが捕まえられ、熱した鉄の棒を突きつけられたり、日本兵が一人死ぬごとに慰安婦を一人ずつ殺したりなんて話まであるのです。 まだ十二、三なのに「初めて」を奪われ、次の日からは、日に三十人も、四十人も男の相手をさせられます。一日が終わる頃には女の子たちはみんな疲れきって、失神して寝込んでしまうほどだったそうです。 抵抗しようとすれば、気を失ったり骨を折ったりするほど殴られ、軍刀で首を斬られた女の子もいたと言います。兵隊がその斬った首をわざわざ見せたりもしていたというのです。 自殺した女の子もいっぱいいたし、抵抗して殺された女の子もいたと言います。女の子たちは夢や希望という言葉を一切捨て、ただなすがままに抱かれ続けていたのです。

「私も新聞とかで読むよ。ほんと、ひどい話だよね」
お前は目に涙をいっぱいためています。
この、辛い現実に立ち向かっていくのが、パパの仕事です。でも、今回はそんなに単純なことではないのです
(→つか1前半)

産経新聞の記事等でつかは慰安婦問題の虚構性を見抜いていたはず、と思っている人もしばらく我慢して読んでください)

作者のつかこうへいは蒲田行進曲などで知られる有名な劇作家であり、しかも在日韓国人二世である。つまり一般の日本人よりも多くの情報に接することのできる立場にいた人である。
その彼が本作で描いた慰安婦は本当にAだったのか、本稿はそこから始めておよそ次のような順序でこの問題を検討していきたいと思う。

(1)つかが描いた「従軍慰安婦」はAである
(2)この荒唐無稽な従軍慰安婦Aから抜けられない心理
(3)つかの歴史観と従軍慰安婦Aを信じてしまった当時の状況 (ここから後編
(4)「和解」のために必要なこと
(5)つかこうへいの歴史観・再考(ここから補足編

定義の再確認になるが、この従軍慰安婦Aは「そういう事件があった」という意味ではない。 人身売買、身売りが見逃されてそれに対する取り締まりが十分ではなかった(本当はこちらが実情)という話でもない。 Aが日常的におきていた、普通の行為として存在していた、犯罪扱いではなかった、合法ないし事実上黙認だったという意味である。
ここまでの話を踏まえて、従軍慰安婦問題というものが、冒頭に書いたような女性の人権や、一部で軍の強制連行があったか否かというレベルの話ではないことに気づいてくれた人はいるだろうか。

つまり従軍慰安婦の問題の「原点」とは、現在であれば一笑に付されるであろう、この荒唐無稽な話(国家犯罪)が――なぜAが荒唐無稽なのかは次項で説明する――、当時の日本社会で信じられてしまったという事実それ自体のことなのである。
そして日本社会がそういう状態にあったことで、当時どういうことが起こっていたのか。このことこそ従軍慰安婦の問題、そして朝鮮半島絡みの歴史認識問題の「原点」なのである。

本作品に描かれた「従軍慰安婦」を検証することの意義

後述するとおり、本作品に描かれた従軍慰安婦Aは、日本国(軍)の正式な意志による朝鮮人女性の拉致・誘拐・性的搾取(性奴隷化)であった。 ではこのように荒唐無稽な従軍慰安婦Aが信じられてしまう条件とはなんだろうか。

もし「植民地支配」の実際の姿、たとえば憲兵、兵隊、教員、役人、裁判官に朝鮮人がいて、戦争を共に戦い、民間においては朝鮮語の新聞やレコードが出され、さらには甲子園を目指していた高校球児にも朝鮮人がいた・・・というような日本人と朝鮮人の関係性、すなわち基本的に「同じ国民」として扱われていた(同胞的関係)という等身大の日本統治時代のイメージがこのときの日本社会に共有されていたら、この従軍慰安婦Aなど信じられなかったはずである。 (→世界観B)(→朝鮮半島を「紀伊半島」に置き換えるとわかる「従軍慰安婦」問題のおかしさ

ところが小林よしのりも回想しているとおり、1990年代までの日本社会はいわゆる「自虐史観」(本サイトでは左派史観と呼ぶ)が主流であり、それによって「植民地支配」の全体像が歪められていたという経緯がある。
つまり1980年代までに「植民地支配」について、(欧米のそれと同じように)日本人と朝鮮人の関係が一方的な支配被支配奴隷的関係であるかのような誤ったイメージが蔓延していた(非同胞的な関係)。だからこそ1990年代に従軍慰安婦Aが信じられてしまったのである。 (→世界観A

逆から言えば、従軍慰安婦Aのような誤解が成立してしまうくらいに「過酷な植民地支配」のイメージが定着していたということである。すなわち「強制連行」は奴隷狩りであり、「創氏改名」や「日本語強制」は名前や朝鮮語を剥奪する民族性全否定政策であり、朝鮮人はそれらに抵抗できないくらいに完全隷属を強いられていたかのように云われていた。

若い読者の中には、かつての日本社会にこのような左派史観がびまんしていて、わずか十数年前まで、かなりの規模で従軍慰安婦Aが信じられてしまう状態にあったなどとは、にわか信じられないかもしれない。
しかし本書は、日本で知らぬ者はいないほどの有名な劇作家によって書かれたものであり、極めて明快かつ説得力のあるその証拠であると言えるだろう。

つまり本書を検証する意義とは、つかこうへいが従軍慰安婦Aを描いていたという事実もさることながら、当時の日本社会にそのようにデタラメな「植民地支配」のイメージ=左派史観ががっちり定着していたということの証拠を示すことにある。
本書は、そうした旧パラダイムにおける「植民地支配」のイメージが超一流の劇作家の筆力によって保存されているものであり、現代の読者にも当時の左派史観の片鱗を追体験できるという意味でも、ここで本書を検証することの意義は小さくないと思われる。

左派史観がびまんしていた時代というのは、「植民地支配」の下で行われた政策(強制連行、創氏改名、日本語強制)が非人道的な国家犯罪として主張され、しかもそれがかなりの規模で信じられてしまっていた。だからこそそれが指紋押捺廃止や永住資格獲得などに政治利用されたし、カルト宗教はその贖罪意識を利用できたのである。

本稿は、つかこうへいが描いた慰安婦がAであったことの確認からはじめて、そんなものが信じられてしまった経緯や時代背景の説明を試みる。 つかこうへいや(僭越ながら)筆者の視点を通してこうした時代の雰囲気が少しでも読者に伝わり、「原点」を考えるきっかけになればありがたい。

では、以下、本作品を検証していこう。

構造・あらすじ

都度説明を避けるために、まえもって本作品の構造とあらすじを簡単に述べておく。

――本作品の構造――
本作品は、「フィクションパート」すなわちつかこうへいが考えた創作部分と、「インタビューパート」すなわちつかが実際に従軍経験者や慰安所の管理者に慰安婦について聞き取りをしている実話部分という2つのパートから構成されている。そしてそれらが交互に組み合わさって話が展開するという構造になっている。
この2つのパートは自然に組み合わさっているため、うっかり読んでいるとどちらの部分をよんでいるかわからなくなるが、両者の区別は簡単で、(一部の例外を除き)人物に名前が与えられている部分はフィクションパート、イニシャルなど匿名になっている部分はインタビューパートという区別になっている。
ゆえに本稿でも、名前が付いている箇所は創作部分、イニシャルや匿名の箇所は実話部分を扱っていると思って読んで欲しい。

――あらすじ――
朝鮮・慶洞うまれのスンジャは、15才の時に友達と遊んでいたところを日本人とその手下らしき朝鮮人(いずれも身分は書かれていない)によって誘拐され、部屋に閉じ込められたような状態で日本軍相手の慰安婦の生活を始める。 スンジャに恋をした日本兵池田は、年に一度開催される駅伝大会の隙に逃げ出すことを持ちかけるが…

つかこうへいが描いた慰安婦

まず、私が考えていた従軍慰安婦Aとはどういう存在か。箇条書きにしてみる。

(a) 主体は日本軍。日本軍が通常活動として徴集や管理を行っていた (つまり事件ではないということ*1)
(b) 軍が直接、拉致誘拐などをして女を集めている
(c) 性的供出を強いられている。自由がない (監禁状態)
(d) 被害者は朝鮮人のみ (日本人がいるはずがない)
(e) 金品の授受はない (つまり「売春」ではなく「性奴隷」→つか1後半の2、3番目の記述にも注目)

そして、つかこうへいがフィクションパート(以下Fパート)で描いた従軍慰安婦はつぎのようなものである。(→つか3を参照)

d: 主役は慰安婦は誘拐されてきた朝鮮人女性(スンジャ) →(つか3の1)
b: 拉致誘拐するのは女衒?軍はそこから女を受け取っている? →(つか3の1)
c: 小屋のようなところに閉じ込められていて自由がない。たかだか映画を見に行くにも脱走まがいのことが必要 →(同1)
a: 脱走した時に将校に捕まる (つまり軍が管理している) →(つか3の3)
d: 登場人物は朝鮮人慰安婦のみ
e: 金品を授受するシーンはない (整理券としての「札」のやりとりがあるのみ→つか3の1)

またインタビューパート(以下Iパート)におけるつかの行動や反応からも、彼が従軍慰安婦というものをどのようにイメージしていたかがうかがえる。(→つか2を参照)

a: インタビューの無作為性 (事件だと思っているなら、当事者やその周辺の人を選んで話を聞くはず。それをしていない *2)
d: 日本人慰安婦がいたことについておどろいている。

こうして整理してみると、軍が女を集めた手段について直接間接など一部違いがあるものの、つかがFパートで描いた従軍慰安婦はまぎれもなくAであることがみてとれよう。 さてしかし、ここで不思議な点に気づく人もいるのではないだろうか。

*1) 従軍慰安婦20万人説は、これが一部の事件ではなく日常的な軍の活動だと考えられていたことを意味する。(→1980年代~90年代のメディアとその論調の変遷
*2) 「つか2」では二名のインタビューのみをとりあげたが、つかは他にも何人かに尋ねている。それも無作為である。

異なる慰安婦イメージの奇妙な同居・その理由

前項で確認したとおり、本作品で描かれた従軍慰安婦像の基本線はAであった。が、ここで変だなと思う人もいるのではないだろうか。 なぜなら本書の導入部(つか1)には従軍慰安婦Aの虚構性をほとんど見抜いているかのような記述もあるからである。

パパはいろんな兵隊さんと話して、いくつかの、今まで持っていた知識とはまったく違うことを知りました。
一つ目は、従軍慰安婦という言葉は、まるで軍隊が移動するたびに連れて歩かされ、奴隷のように犯されていたというイメージの戦後の言葉であって、戦時中は別の呼ばれ方をされていたということです。
二つ目は、従軍慰安婦というのは自由がなく犯されているだけの存在で、金のやりとりなどなかったというイメージがあったこと。
三つ目は、確かに強制的に連行されてきた女の人たちもいたのだろうけど、たいていは貧しさゆえにお金のために、たとえば日本の売春宿と同じように、身体を売ってお金を稼ぐということを自明の理としていたこと。
四つ目は、兵隊は犯す、慰安婦は犯されるという関係ではなく、けっこう人間的な付き合いがあったということです。
(全文→つか1後半)

この部分だけを読めば、つかこうへいは慰安婦の正しいイメージ(これをBとする)を完全に見抜いているようにもみえる。
しかもこの作品のFパートは、兵隊が慰安婦を映画に誘ったり駅伝大会をしたりするなど、慰安婦と兵士の「人間的な付き合い」の方が分量的に多く描かれているために、うっかり読むと全体がB的な雰囲気で話が展開しているように見えなくもない。
見抜いていたかのような話が挿話されている導入部、B的雰囲気で展開するストーリー、それに平行してB的慰安婦の話が語られるIパート、さらに私の場合は、産経新聞の記事を読んでから本書を手にしたという流れもあって、「つかは見抜いていた」という先入観で本作品を読んでしまっていた。(→詳しい経緯は感想編で)

しかしよくよく見ると、先ほど確認したとおり、Fパートの慰安婦はやはりAのイメージで書かれているのである。 はたしてこのABという異質な慰安婦のイメージがひとつの作品に同居しているのはなぜなのか。
この点をきちんと説明している論考は見当たらないようである。しかしつかこうへいと同じく従軍慰安婦Aを信じていた私には、この奇妙な構成となってしまった理由を説明することができる。

では、この謎をとくために、つかこうへいが従軍慰安婦の情報に接した状況や順序から確認してみよう。
(トランプでもカードを切る状況や順番によって意味や効果がちがってくる。順序は重要である)

説明に入る前に、まず前準備として、読者は現在持っている知識をいったん横に置いてほしい。とくに「前提イ」を意識してほしい。つまり、戦地売春宿というものがあって、そこで日本人を含む売春婦が働いていた…という(正しい)知識を忘れてほしい。拉致誘拐などされて部屋に閉じ込められ、金銭の授受もなく、性供出させられている「従軍慰安婦」は、「植民地支配」で支配されている(一種の奴隷階層である)朝鮮人の女だけだという先入観に入ってほしい。
さてその上で。 まずつかこうへいは、従軍慰安婦については『娘に語る祖国』(1990)を書いた頃から知っていることがわかっている。その本には、いつか従軍慰安婦のお芝居を作りたいということも書かれている(『娘に語る祖国』54頁)。
この段階では、つかが報道等を通じてイメージしていたものは、従軍慰安婦Aだった(→つか1前半)。

まず、性欲処理のための女性を戦争に連れていったというのは日本だけだと言われています。戦地に元兵隊さんたちの慰みものとしてだけ連れて来られた女性の存在は世界の各地を探してもほとんど見つからないとのことです。(全文→つか1前半参照)

この「つか1前半」からもわかるようにつかこうへいは、本書『慰安婦編』のために取材を始めるまでは、今日の我々が思い浮かべるような普通の戦地売春婦のことはまったく念頭になかったのである(=前提イ)。
だからこそつかこうへいは、そもそも従軍慰安婦(慰安所)というものがどういう存在(施設)だったのかというところから取材をはじめているのである。(→つか2

もしつかが最初から戦地売春宿(ようは戦地にある普通の売春宿)の存在を知っていたとすれば「つか2」の聞き方には違和感がある。 彼はそれを意識していなかった(=前提イ)からこそ、女の子の様子にしても、部屋の様子にしても、まるで「従軍慰安婦」という未知のものを探るような聞き方をしているのである。

答える方からすれば単なる遊び女であるから、そりゃあ女の子はお化粧はするし、部屋は吉原みたいだったとか、娼婦としてのあたりまえの日常を答えているにすぎない。
(この部分、慰安婦というものを理解している現在の我々が読むとどうにもチグハグなやり取りではないだろうか。もっとも当時私がつかの立場で聞き取りしたとしても間違いなくこのように探るような聞き方になっていただろう)

さらに、もし彼が最初から戦地にある売春宿の話だと理解していたとすれば、そこに日本人がいたことで驚くはずはないし、恋愛があっても驚くはずはない。あるいは最初は驚いたとしても、 常識を働かせればそこではたと全体像、すなわちBが本筋で、その中にひどい事案があったにすぎない(せいぜい「事件」の範疇である)という構造に気づいたにちがいない。

事実、戦地売春宿の実態、さらには当時日本人と朝鮮人がどういう関係だったかまで知っている管理者H氏のような人にとっては、せいぜい末端の軍人が誘拐事件をおこすくらいのところまでは考えられても、当時の「従軍慰安婦」報道には違和感しか感じなかっただろう。その困惑が現れているのが次の部分である。

だから、今みたいな従軍慰安婦の報道されちゃうと、よく分からなくなるんですよ。もっとも、あの頃はとにかく何かが狂ってましたから、そういうこともあったかもしれないとは思いますし、日本兵だってね、そこまで悪者じゃないって思うし。

(むろんH氏でなくとも、何らかの理由で左派史観に染まらず等身大の日本統治のイメージを知っていた人、日本軍の戦地売春宿の様子を知っていた人は、当時の報道にH氏と同じような違和感を感じていたに違いない)

つまりこのインタビュー部分(つか2)というのは、従軍慰安婦Aというものに最初から違和感を感じている人(H氏)と、話を聞けば聞くほど1990年以来もっていた先入観Aとの齟齬をきたして意味がわからなくなっていく人(つか)とのやりとりとなっているのである。
そのちぐはぐさは、全体像を知った今からすると滑稽にみえるかもしれないが、しかし当時びまんしていた左派史観や報道が、いかに実態と乖離した慰安婦A像をつくりあげ、つかこうへいもそれを信じこまされていたかがわかるだろう。 また当時の報道などが、実際の経験者ですら自分の体験の方に自信がなくなるくらい圧倒的なものだったということも、H氏の発言から読み取れるのではないだろうか。

ここまでの話を整理すると、つかこうへいは当時の報道などを通じ、まず前提(イ)の下でAの線で従軍慰安婦をイメージした。その後、取材を通じてB的な情報を目にしながらも、それらの情報はあくまでも(イ)の下で形成されたA的慰安婦像にどのように繋がるのかという方向でしか思考できなかった。執筆の時点で、形式的には(イ)を喪失していたにもかかわらず、すなわち形式的には「売春宿と同じ」ことに気づいていたにもかかわらず(→つか1後半) 、実質的には気づいていなかった。このときの彼は、いったん(イ)の下で形成されたA的慰安婦の世界観そのものを見直す(AB)という発想にまでは至らなかった。 ゆえに物語はAの線のままで組み立てられているのである。

そして池田さんは目を伏せながら、 「私は慰安婦を抱くなんてとんでもない、いや、そんなのは人間がやることじゃない、と思っていました。娼婦を金で買うならまだしも、閉じ込められて慰みものになるためだけの女性を存在させていることがとても許せなかったのです。(後略)」(→つか3の1)

この引用からもわかるように、作品の「従軍慰安婦」は売春婦ではなく性奴隷なのである。

そして「性奴隷」のはずなのに、なぜか金銭の授受やそれどころか恋愛話まであったりするのは、いったいどういうことなのかをつかみきれず、先ほど見たように、その戸惑いを娘に語る場面からこの作品は始まっていくことになるのである。
(世界観Bへと発想を転換できていれば、つまり朝鮮人慰安婦は日本人遊女と同じものであるということを理解できていれば、金銭の授受や恋愛話があることはなんら不思議ではないのに、その発想の転換をつかこうへいは最後までできなかった)

――さて、つかこうへいのこうした内心の経過(世界観Aから脱却できなかったこと)についてはもちろん推測の域を出ない。が、それなりに根拠がある。なぜなら私もほぼ同じ経験をしているからだ。

「真実」は見えていても、なかなか解けない「世界観A」

1990年代の金学順会見(1991)をはじめとする従軍慰安婦報道のインパクトは極めて大きいものだった。ちなみに1991年というのはバブル崩壊がはじまる頃で、ジュリアナ東京がまだ活況を呈していたような時代である。 (→こんな時代(外部))
当時二十歳前後の私でも、軍に売春はつきものであり、戦地にそういうものがあったということは、言われれば気がつく程度の常識は持ち合わせていたと思う。が、このときの「従軍慰安婦」はまったくそれとは次元の異なる話、すなわちAの線で話が展開されていた。(→前提イ)
金学順らの証言(*1)は、それを聞く者(私)にとっては目の前にあるまぎれもない「現実」であり、しかも左派史観を信じていた私にとって従軍慰安婦Aの方こそが違和感のないものであったため、このとき私は完全に従軍慰安婦=Aと思い込むことになる。*2

そしてこのようにAを信じ込んでいる状態にあるときに、「売春宿と同じ」「日本人もいた」などとB的要素を言われても、それをどう理解すれば矛盾なくAと統合できるのかという方向でしか考えられない。A自体が間違っている(AB)という方向に発想を転換することはできなくなっていた。
なぜなら、具合の悪いことに、この従軍慰安婦が単独の問題であればまだしも、「植民地支配」のイメージ全体が左派史観でゆがめられていたために、つまり朝鮮人=一種の奴隷階層と思っていたために、少なくとも私にとってはむしろ慰安婦Bの方にこそ違和感を覚える状態になっていたためAB転換が非常に困難になっていたからである。
(※今でこそABという2つの世界を認識できているが、左派史観の住人(私やつかこうへい)にとってはA的世界がすべてであって、B的世界、すなわち日本人と朝鮮人が同胞であり、そこそこ仲良くやっていたなどという世界は想像の範囲外にある。 だから日本人と朝鮮人が同次元で売春婦をやっているという慰安婦Bというものがそもそもイメージできない(発想の範囲外)。)

従軍慰安婦についての反論が私の耳にちらほら入るようになったのは2000年前後からだったと思うが、その頃の私はB的立場から反論されても、
  ・軍は保健に関わっていただけ → (捕まえてきた慰安婦の)健康管理くらいはするでしょう
  ・女衒が集めた → それを軍が利用したのでしょう
  ・金を払っていた → 兵士が個人的に少々金を払っていたからといって、それが何なのか? (※「金を払っていた」を、性奴隷状態を気の毒に思った兵士が個人的にいくらか金を恵んでいるにすぎない―というような意味で理解している。「本当に・単なる・売春」であることを理解していない)

という具合に、その場でいくらでも再反論が浮かび、ほとんど聞く耳を持たなかった。いわゆる「右翼妄言」として却下してしまう状態である。 この状態でA的慰安婦にまったくそぐわない情報、たとえば日本人もいたなどと言われると、今度はAと整合性が取りきれず、どういうことなのかわからず思考停止してしまう。

「左派史観」「金学順らの証言」「反論として提示されるB的要素」・・・これらがぐるぐる回ってどう解釈すればこれらすべてを統合して矛盾なく理解できるのだろうか、という方向でしか思考できない。このとき前ニ者が間違っているなどとは夢にも思っていない。そのためこのループから抜けられない。この時の私はそんな状態にあった。

そして本書を書いたときの作者つかこうへいは、この私と同じような状態だったと考える。
まず作者は、従軍慰安婦A(性奴隷)そして世界観Aを正しい姿だと信じている。
そしてインタビューを通じて知り得た知識(金銭の授受、恋愛関係、日本人もいたなどのB的要素)を事実と受け止め、その形式的同質性から「売春宿と同じ」であると字面では書くに至るのである。(→つか1後半)

しかしこの時の作者は、字面ではそう書いているものの、現在の我々が考えるような意味で「売春宿と同じ」と思っていたのではない。すなわちB的世界観における「ごく普通の戦地売春宿の話だ」と思っていたのではない。(→前提「イ」)
このときの作者は「売春宿と同じ」と書いてはいるものの、世界観はAのまま変わっていない。
(→つか1の記述も思い出してほしい。作者(と私)は従軍慰安婦は売春婦ではなく「性奴隷」だと思い込んでいる)
つまり金銭の授受や恋愛関係など、形式としては(普通の)「売春宿と同じ」だと評価しているものの、彼の中では世界観(実質)としては依然Aのままであり、そしてAであるかぎり日本兵との恋愛など到底ありえないはずのものである… *3

こうして「売春宿と同じ」(B的要素)と、正しい姿であるはずのAの世界観との整合性に苦しんだ彼は、本書冒頭でそのとまどいを次のように表すのである。

これらのことを一体どういうふうに理解すればいいのだろう。どちらかが正しい、ということではなく、おそらくどちらも少しずつ真実で、どこかが微妙に本当のことからずれているのです。

これが、つかこうへいが取材を通じて四つの誤解を認識し、「売春宿と同じ」であることに(形式的には)気付いたあとの言葉であることに注意してほしい。

ここでも状況を把握できない彼は「どちらも少しずつ真実で、どこかが微妙に本当のことからずれている」と一般論的・抽象的な言葉で判断を棚上げしているが、今思えばなんのことはない、少しでも微妙でもなんでもなく、慰安婦Aという世界観自体が間違っているのである。

もしつかこうへいが世界観Bが正しいと気づいていれば、すなわちAB転換できていれば、「これらのこと」は何ら不思議なことではない。すなわち金銭の授受があり、なかには恋愛関係もあった等々はなんら不思議なことでなく、完全に消化され、そこでこの問題の謎は完全に解けてそこで一件落着である。

しかし「これらのこと」という「真実」は見えているのに慰安婦Aの世界観からは抜けられない。Aという世界観が間違っているとは考えずに、B的要素をどのように考えればAと整合性が取れるかという方向でしか考えられない、それがこのときの彼のつかこうへいの状態だった。

本作品が出たのは1997年3月のことである。当時はまだまだ左派の論調が支配的で、数々の「証言」もあったような状況下で、慰安婦AからBへと抜け出ることは、情報的にはもちろんのこと、道徳的、つまり「証言」を疑うことへの心理的抵抗的にもほとんど無理であったと思う。当時の私の感覚からするとそう思える。

ちなみに私が完全にAB転換できたのもインターネットの時代に入ってからのことであり、さらに年単位の時間がかかっている。情報が増えるにつれてまず「植民地支配」全体のイメージが徐々に修正され、それでも半信半疑の状態がつづき、どうやら自分は全く違う話を信じこまされてきたらしいという事実をうけとめるまでに時間がかかり、その最後の最後に慰安婦についてやっとAB転換が受け入れられるという有様だった。

なおつかこうへいは出版後のインタビューでは若干踏み込み、強制連行は考えにくいと答えてはいるが、ここでもまだA的世界観からは抜けられていないと思われる。(その理由を含め、補足編でも改めて検討する)

「常識的に考えて、いくら戦中でも、慰安婦を殴ったり蹴ったりしながら引き連れていくようなやり方では、軍隊は機能しない。大東亜共栄圏を作ろうとしていたのだから、業者と通じてはいても、自分で住民から一番嫌われる行為であるあこぎな強制連行はしていないと思う。マスコミの多くは強制連行にしたがっているようだけど」(同産経記事

(参考)「従軍慰安婦」について当時どう思われていたか

*1) この部分をもう少し正確に言うと、当時私は彼女らの発言を一言一句、注意深く聞いたわけではない。慰安婦来日のニュースは報道番組、たとえば筑紫哲也のニュース23でも大きく報道されており、そうした番組での取り上げられ方が「従軍慰安婦」的な方向だった。そして一視聴者である自分もすでにそういうストーリー(思い込み)で見ていたので、金学順氏らの発言を検証的に聞くという態度になっていなかった。無責任な言い方になるが、漠然とそう思い込んで見ていた。
*2) 今の人からするとこれをすんなり信じてしまうことに不思議を感じるかもしれないが、とにかくこの頃の私は左派史観の影響で旧日本軍は悪だと思い込んでおり、その悪事を悉く知ってやろうという方向性の頭しか持っていなかったからである。ちなみにケント・ギルバート氏も似たようなことを書いている(→従軍慰安婦がどの様の誤解されてきたか
*3) ゆえに本作品の恋愛話は、B的世界におけるごく普通の兵隊と遊女という組み合わせではなく、反戦平和主義者で従軍慰安婦制度に疑問をもっているという思想設定の人物(池田)を慰安婦の相手として設定しているのである。そのような思想の人物でないと、スンジャが心を開く展開にはならないからである。(→つか3の1)

本作品の評価

本作品については左右の人達からいろんな評価があるようである。

まず本作品は、作者つかこうへいの確固たる歴史観がその描写にあらわれているという読み方は正しくない。

作者は従軍慰安婦をAそのものだと捉えていたという左派の見方も、Bだと見抜いていたという右派の見方も、どちらも正しくない。B的事実をA的慰安婦の物語として織り込んだ苦心の作というのが正しい評価である。*1

もともとの「従軍慰安婦」は軍が直接、朝鮮人女性を拉致誘拐するという話であった。
しかし本作品ではFパートに女衒が登場し、そこに朝鮮人の介在も描かれているなど、軍の関与が間接的になっている。つまり「従軍慰安婦」の原型よりも「真実」の方に寄せた話になっている。これは在日であり有名人でもあった作者が、私のような一般人より多くの情報を持っていたからではないかと思われる。

しかしそうして多くの情報(B的要素)に接することのできた作者ですら、世界観Aからは抜けられなかったことは、説明してきたとおりである。 こうした事実から、本作品は、当時いかに左派史観が「主流」であり、それが歴史解釈の当然の前提(ドグマ)と化していたかを示す証拠だと言えるのである。

*1) このABという矛盾する世界観が奇妙に同居する構造は、慰安婦以外についての描写にも同様にあらわれる。(→補足編

前半まとめ

この前半では、本作品に描かれた従軍慰安婦はどういうものだったか、そして悩みながらも最終的にAB同居に至った作者の心理を説明した。

しかし、ここまで読んだ人の中には、検討すべき重要な要素をひとつ落としているのではないかと訝る人がいるかもしれない。

冒頭に書いたように、従軍慰安婦についてAだと誤解するには、左派史観による「植民地支配」全体の誤解、すなわち日本人と朝鮮人が一方的な支配と被支配の関係にあったという誤解も必要だからである。 この点、つかこうへいはどう思っていたのだろうか。

後編は別書『娘に語る祖国』(1990)の内容から、彼の歴史観を探るところからはじめることにする。

〔参考文献〕
『娘に語る祖国 「満州駅伝」―従軍慰安婦編』 つかこうへい 1997年