つかこうへい作『娘に語る祖国 満州駅伝―従軍慰安婦編』(感想編)

※この「感想編」は、筆者が『娘に語る祖国』を誤読したときのことが書かれています。 本作品を一度誤読したことで、正しい読み方を解説する必要を感じ、本編(前編~補足編)を書くに至りました。

はじめに

本稿で取り上げる『娘に語る祖国 満州駅伝―従軍慰安婦編』(1997)は、蒲田行進曲などで有名な劇作家・つかこうへい氏によって書かれた、従軍慰安婦をモチーフにした物語である。

私は2013年6月産経のweb記事でその存在を知り、入手して読んでみた。 昨今従軍慰安婦についてのいろいろな言説があるが、本作品はその慰安婦問題を考え直す上でとても役立った。お話としてもとてもよいものなので、機会があれば読まれたらいいのではないかと思う。

ところで本作品については、ちょっとした誤解が広まっているように思う。 すなわち産経新聞などの右派は「つかこうへいは従軍慰安婦の嘘を見抜いていた」と解釈しており、また左派の一部には鬼塚の台詞(後述)などを根拠にして「つかは従軍慰安婦を強制連行的なものだと考えていた」と主張している人もいる。

本作品はそのように正反対に解釈している人々がいるのだが、じつは私はどちらの解釈も正しくないと考えている。

その理由を含めた、本作品の詳細な解説については、本編つかこうへい作『娘に語る祖国・従軍慰安婦編』で振り返る「従軍慰安婦」問題の原点に譲るが、本稿では、私が本書をあまり深く考えずに読んだときのことを「感想編」として述べてみたいと思う。

※以下は、過去にツイッターに投稿したものをブログ向けに一部リライトしたものです。
※はじめましての方はプロフィールをご覧ください。

(あらすじ)
朝鮮・慶洞うまれのスンジャは、15才の時に友達と遊んでいたところを日本人とその手下らしき朝鮮人(いずれも身分は書かれていない)によって誘拐され、部屋に閉じ込められたような状態で日本軍相手の慰安婦の生活を始める。 スンジャに恋をした日本兵池田は、年に一度開催される駅伝大会の隙に逃げ出すことを持ちかけるが…

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私がつかこうへいが従軍慰安婦についての作品を書いていることを知ったのは、2013年の産経新聞のWeb記事で氏のインタビュー記事である。(ちなみに、つかが在日であることも、このときはじめて知った)

「僕は『従軍』という言葉から、鎖につながれたり殴られたり蹴られたりして犯される奴隷的な存在と思っていたけど、実態は違った。将校に恋をしてお金を貢いだり、休日に一緒に映画や喫茶店に行ったりという人間的な付き合いもあった。不勉強だったが、僕はマスコミで独り歩きしているイメージに洗脳されていた」

「悲惨さを調べようと思っていたら、思惑が外れてバツが悪かったが、慰安婦と日本兵の恋はもちろん、心中もあった。僕は『従軍慰安婦』という言葉が戦後に作られたことや、慰安婦の主流が日本人だったことも知らなかった」 (全文→2013年6月産経のweb記事

この記事は、本作品が刊行された1997年当時のインタビューを再録したものである。つかは当初、慰安婦は性奴隷的な存在だと思っていたが、取材をすすめるにつれて、それが嘘であることがわかった、という彼の認識の変遷が書かれている。

私はこの記事を読んだとき、つかこうへいのような有名劇作家が慰安婦についての作品を出していたことにまず驚き、そしてまた1997年の時点でその虚構性に気づいていたかのような発言内容をしていたことにも驚いた。

そして私は同時にこのとき、「従軍慰安婦」について氏と同じ誤解(性奴隷的慰安婦)を共有していたという事実を知って、一種の安堵感を得た。

安堵感というのは、あの1990年代という時代に、人々が従軍慰安婦をどのように認識(誤解)していたかについては、断片的な証言はあるものの、その具体的な内容については、私はいまひとつ確証が持てないでいたからである。 つまり、もしかすると自分だけが極端な誤解をしていたのではないかという不安が漠としてあったからである。

私はこのインタビューで氏と「誤解」を共有していたことにまず安堵した。そしてその後、(私の場合は2004年以降のことになるのだが)知識が増えるにつれて、慰安婦に日本人がいたことに驚いたり、兵隊と慰安婦の間にはお金のやりとりもあったことを知るなどして、気がついてみれば、要は(民間の)花街・売春宿に過ぎないという極当たり前の事実に気づいていく、そうした道程も私と同じだなと思った。この時は。

「この時は」の意味はいったん横において、まずこの作品が出された当時の日本社会はどのような雰囲気だったのかについて、簡単に説明してみたい。

本書が刊行されたのは1997年3月である。当時は歴史観のパラダイムシフトが始まりつつあったといっても、メディアの論調は依然としてほぼ左派一色であり、またメディアの影響力も今よりもずっと大きい時代だった。

例えば95年には江藤隆美が「日本は良いこともした」と発言しただけでメディア総出で糾弾され、長官職を辞職させられるくらい、日韓併合を少しでも肯定的に言うことは許されない空気が日本社会をおおっていた。今日のように総理大臣が慰安婦問題について「狭義の強制はなかった」などと堂々と反論できる時代とは社会の空気が根本的に異なっていたのである。

ゆえに当時の空気の中でこうした内容の本を出すのは、彼自身が在日であったということが多少有利に働いたとしても、かなり勇気の要ることだったのではないかと思う。

(当時の雰囲気を知らない人のために補足すると、つかが記事のように思っていたという事実から、1990年代の空気について説明できることは2つあると思う。ひとつは、今であれば荒唐無稽の嘘話だと一蹴されるであろう悲惨な従軍慰安婦を「ありうる」と思ってしまうような日本軍と朝鮮統治=悪のイメージが当時定着していたということ)
(もうひとつは、在日の身内がいるつかですら、従軍慰安婦を信じてしまうような圧倒的な報道がなされていたということである。在日の知り合いのいない私にとっては尚更、植民地収奪史観も相まって、完全に従軍慰安婦のことを信じていた。これが当時自分が置かれていた(自分の視界から見えていた)日本社会の空気だった)

さてそんな時代に出版された本作品にはどのようなことが書かれているのか。まずこの本の冒頭2章に渡って、11歳の娘との会話という体裁をとって、次のようなやり取りが書かれている。

「パパは今どんなご本を書いているの」「うん、従軍慰安婦のこと」「うまく書けたの」「いや、書けなくて、困ってるんだよ」「あんまり悲惨すぎるから?」「うん、それもあるんだけど……」
たしかに従軍慰安婦に関する情報はどれも恐ろしいものばかりです。
(中略)自殺した女の子もいっぱいいたし、抵抗して殺された女の子もいたと言います。女の子たちは夢や希望という言葉を一切捨て、ただなすがままに抱かれ続けていたのです。「私も新聞とかで読むよ。ほんと、ひどい話だよね」お前は目に涙をいっぱいためています。

この、辛い現実に立ち向かっていくのが、パパの仕事です。でも、今回はそんなに単純なことではないのです。(中略)

パパは立ち止まり腕組みをして眉間に皺を寄せながら、渋い顔をしていました。
「どうしたの、パパ」「実はね、パパはいろんな人に取材をしたんだけど、従軍慰安婦の人たちは必ずしも悲惨じゃなかったんだ」「えっ、悲惨じゃなかった?」「そうなんだよ」「兵隊と従軍慰安婦が恋に落ちたという話もあるんだよ」「ほんとに?」「ああ」「そんな、全然違うじゃない」
おまえはほんとに信じられないというふうな感じでした。 (→つか1

つかこうへいは、どんなに悲しいことでも希望のある話にしたい、なぜなら人間はどんな時でも希望を持って前を向いて生きていかねばならないのだから、どれほどの悲惨なことであっても、どこか一か所でも希望を見つけないと書いてはいけない、それがご自身の作家としての信念だったらしい。本書にはそのような彼の作家哲学も書かれている。

そんな彼が「従軍慰安婦」のことを書こうと思いたち、本腰を入れて調べはじめたら報道その他で聞いていたイメージとは全く異なる話に遭遇する。引用した部分はそのとまどいをそのまま素直に娘に語っている場面だ。

当初つかが従軍慰安婦をどう思っていたか、本文(→つか1)にはより具体的で凄惨な描写があるが、私が覚えている限り、そこまでの話は当時のメディア、特に電波にはさすがにのっていなかったと思う。当時の私もここまで具体的に凄惨なイメージを抱いていたわけではない。しかし近いようなイメージは持っていたと思う。

(若い人には信じられないかもしれないが、『南京大虐殺』をそのまま信じていたような時代とはそういう時代だったのです)(逃げようとしたら刀で切りつけられたというような話は、当時から聞いていたと思う)

こうして作者のとまどいから始まるこの物語は、ある慰安婦と日本兵の恋話を中心に話が展開するのだが…さて、ここまで読んだ人で、つかこうへいは当時すでに従軍慰安婦問題の嘘に気づいていたのだと思った人は、私と同じ早合点ををしているかもしれません。(続)

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じつはこの作品を実際に入手して読んでみようと思ったのは、産経の記事のあとしばらく経ってから偶然見つけたあるブログの記事がきっかけである。 そのブログを見つけなければ、産経の記事だけで満足して原本は読まなかったと思う。

そのブログには、池田の上官である鬼塚の台詞を引用して、これこそがつかが抱いていた従軍慰安婦のイメージであり、産経の記事は作品の趣旨を歪曲していると書かれていた。 長くなるので先に結論を言うと、このブログの解釈が正しい。

その台詞とは、朝鮮人慰安婦(スンジャ)と駆け落ち(脱走)を企てた日本兵(池田)を捕まえ木に縛り付けた場面に登場する次のようなものである。

「池田、いいか。嫌がる女を無理矢理連行し、抵抗したら傷つけ殺し、病気持ちにさせておきながら変な情けをかけた日には、大日本帝国は根底から揺らぐ。この戦争が終わったあと、〝あれは狂っていたんだ、だからあのことは仕方がなかった〟そう言い切らなければならんのだ。

それにな、愛だ恋だを芽生えさすだけの理性などあってはいけないんだ。でなければ、大日本帝国が根底から揺らぐ!! そこんとこを汲んでもう一度何か言ってみろ!!」(151頁)

これは、上官や憲兵などが戦争に非協力的な部下や国民に対し、激昂しつつ折檻するような場面によく出てくる、いわゆる「貴様それでも帝国軍人(帝国国民)として…」系の台詞で、それを慰安婦用に調整したものだ。

そしてこの周辺には、物語の中には登場させられなかった「言っておきたいこと」を詰め込んだような台詞が並ぶ(→つか3の(3)参照)。自分の感じ方の問題かもしれないが、とってつけたような、上滑りしているような感もある。

娘との会話のところで引用したとおり、この物語は「従軍慰安婦はA(性奴隷)だと言われているが、自分が直接話を聞けた範囲ではB(売春婦のようなもの)であった」という導入からはじまる。 そして本編は、映画に誘ったり運動会(駅伝)をしたり、日本兵と駆け落ちする場面など、兵士と慰安婦の「人間的な付き合い」の方が多く描かれていて、つまり本作品は全体としてはB的イメージで話が展開しているのである。

にもかかわらず、この鬼塚の場面はAのイメージ、つまり「性奴隷」のイメージで描かれているのである。 これは実際に本を読んでもらわないと伝わらないかもしれないが、この台詞の出し方にもやや唐突な感すらあり、どことなく違和感があるのだが、とにかくこの鬼塚の台詞は、慰安婦Bに相応しいものではまったくないのである。 これはいったいどういうことなのだろう??

産経の記事を読んで、「つかは従軍慰安婦問題の嘘に気づいていた」と思い込んでいた私は、なぜここにAの権化のような台詞が出てくるのか理解できなかった。 事実、ここに投稿するために再読するまで、ずっとわからないまま放っておいた。

ところでこの作品は、つかが創作した「お話」のパートと、元兵士らに話を聞いたインタビューのパート(実話)とが交互に登場するという構成になっている。

インタビューパートに出てくる人物は、ある会社の社長、H、K、Sなどの匿名になっており、創作パートの人物は池田、鬼塚、スンジャなどの名前が当てられていて、その区別は容易なのだが、この実話部分と創作部分が自然に組みあわさっているため、とくに気にかけないで読むと、それらが一体として一つのお話を構成しているようにも見える。

インタビューパートで出てくる内容は、あくまでも慰安婦と兵士とのB的な関係のみであって、恋に落ちて駆け落ちしたり将来の夢を語り合ったりするような話はでてくるが、そこにいわゆるA的な悲惨さはない。(→つか2

そして創作パートも池田と慰安婦(スンジャ)の恋話を主軸にして話が展開している。

こうして本書は全体としてはB的な雰囲気の作品になっているのである。

そこで私は、実際の取材を通じて慰安婦と兵隊の関係について誤解していたことに気がついたつかは、メインストーリーとしては彼の作家哲学である「救いのある話」にするためにBの線で組み立てながら、鬼塚の台詞などに「巷で言われているA的なイメージ」も織り込んでB+A型の折衷シナリオとしたのではないか。…と一端は結論づけた。

だからこそ逆に鬼塚の台詞などの方に(大劇作家に対して失礼千万な話だが)少し取ってつけたような浮いたような感じが出てしまっているのではないかと考え、ブログの方こそつかの意図を理解していないのではないか、と思った。

ここで物語(創作パート)の背景を少し説明すると、慰安婦であるスンジャは、友達と遊んでいる時に日本人とその手下らしき朝鮮人に騙されて誘拐され、そのまま部屋に閉じ込められて慰安婦になり、今も閉じ込められたような状態で慰安婦をやらされている、という設定になっている。

これを「つかは慰安婦問題の正体を見抜いていた」という先入観で読むと、鬼塚の台詞などに違和感を持ちつつも、スンジャを騙して連れてきたのは女衒で(65頁)、部屋に閉じ込めているのも業者であり(66-70頁)、普段お世話になっている民間の慰安婦を誘って駅伝大会を開催した、とも読んで「しまえる」。

自分は最初はこの線で読んでいた。閉じ込められているような描写に違和感を持ちつつ、行動が制限されているケースもあったのだろうと適当にやり過ごしていた。

しかし、ふと1990年代当時の視点を思い出しながら読んでみると、スンジャは女衒に騙され部屋に閉じ込められ、その後軍が女を部屋ごと受け取って、売春を強要していると読むこともできる。 また「○○部隊で従軍慰安婦と兵隊の駅伝大会」(139,142頁)や、鬼塚が池田とスンジャを捕まえる描写(152頁)からも慰安所が軍の一組織だと解釈できる。

これを合わせて考えると、作品で描かれている「従軍慰安婦」は、日本軍が女衒なども利用して直接間接に人攫いなどして集め、その慰安婦たちを軍が監禁しているというものになる。……こちらが正しい解釈だ。

つまり朝日新聞的視点で読むと、インタビューパート(B的なエピソード)は気に入らないものの、創作パートはそのイメージと相反しない。兵士との色恋話があったからといって悲惨なのは変わらないし、鬼塚の台詞にはつかが考えていた日本軍と慰安婦の関係がそのまま現れている、と読める。 【正しい】

ゆえに、インタビューパートなどを根拠に、従軍慰安婦問題は朝日の捏造であるとつかこうへいが主張していたかのような印象を与える産経の報道には問題がある。ブログ主にはそう映ったのだろう。 【正しい】

じつは、つかこうへいはこの物語を書いたとき、産経新聞の言うように「従軍慰安婦」の嘘を見抜いていたのではなく、性奴隷A的な路線からあまりにも救いのない部分だけをB的な話に置き換えたに過ぎず、基本線は依然としてA(軍主導の拉致・誘拐・監禁・強制売春)だと思っていたのである。(すなわちA+B型

わかってしまえば当時としては極めて当たり前の読み方のはずなのだが、2013年の産経の記事を読んで「見抜いていた」という先入観を持っていたことと、「お話」部分も分量的には「人間的な付き合い」であるBの描写が(当然)多くなっていたことで、自分は誤読してしまった。(B+A型だと解釈してしまった)

解釈が自分の中で二転三転しながらも読み終えて印象に残ったのは、先入観に囚われず事柄や人間に真摯に向き合う氏の作家としての良心だった。また同時に、このように何かおかしいと思い始めた人でさえ、朝日新聞・吉田清治的な世界からは逃れがたいあの当時の強力な空気も思い出した。

最後に少し言い訳をすると、つかの線で読むと逆の意味で大きな矛盾が出てくる。個人的な恋話ならまだしも、拉致され閉じ込められている慰安婦と兵隊が親睦を深めるために駅伝大会をする(142頁)なんてさすがにおかしい。

(これをストックホルム症候群で説明するのは、犯罪心理学がテーマの作品ならともかく、そぐわないだろう)

その矛盾につかこうへいは気づいていなかったのかなと探してみると、兵隊と慰安婦たちが整列して大会の挨拶を待っているところに、「みんないつのどようにして手に入れてきたのか、真新しいランニングシャツと白いパンツに身を包んで、慰安婦、兵隊共々、和気あいあいとした感じです。まるで昨日までの、お互いに人間同士のような付き合いはなく、それでいて一番人間くさいことをしていた奇妙な関係嘘のように思えます」(143頁) とちゃんと書いてある。

肝心の駅伝の場面は「『おい蓮見、いつもお世話になっているんだからよ、少し手を抜いてやれや』『そうだ、そうだ』パクさんも調子に乗って『なんだ、蓮見が相手なら昨日腰がくだけるほど、やっておけばよかったね』『ハハハ』笑い声が飛びかっています」…と加害者被害者の関係のはずなのにまさに和気あいあいである。(→つか3の(2)

…というところからもわかるように、つかこうへいは鬼塚の台詞などに現れているような慰安婦像=Aをそのまま信じきっていたわけではないと思う。つか1の前半、すなわちA的な話の部分に「~と言われている」という伝聞推定の言い回しが多用されてところからしても、戦中世代にインタビューして以降は、腑に落ちない感覚がずっと付き纏っていたのではないか。 それがあのとってつけたような、羅列した感のある鬼塚の一連の台詞などに現れているような気がした。

本書には慰安婦のお話以外にも、氏がどういうところに興味があるか、どういう視点を大切にしているかも書かれている。機会があったら実際に読んでもらいたい一冊である。(了)

(後記)本稿で指摘したように、本作品にはABという2つの異質な従軍慰安婦像が同居している。しかしその同居の理由について、本稿ではほとんど説明できていない。次稿ではこの奇妙な同居の構造を解明し、詳細な説明をくわえたので興味があれば参照されたい。

〔参考文献〕
『娘に語る祖国 「満州駅伝」―従軍慰安婦編』 つかこうへい 1997年