資料・新井知真(コリアン・ザ・サード)

コリアン・ザ・サード。ペンネーム新井知真。在特会発足時の副会長。会の過激路線に疑問を感じて?初期に脱退 ――

筆者が在日の「強制連行」が嘘であると思い始めたのは、2004年頃(*1)に『コリアン・ザ・サード』というブログに出会ったことがきっかけだった。タイトルからわかる通り運営者は在日の三世であり、筆者はそのコメント欄の匿名の参加者だった。

参加といっても、積極的に書き込みをするわけではなく、ただブログ記事を読み、コメントについても、主に眺めていただけなのだが、あるとき誰かがコメント欄に強制連行についての質問をした。それに対して彼は、自分のまわりでは強制連行されてきたという在日は聞いたことがない、と答えたのである。

強制連行問題については、いまでこそいろいろな資料や動画がすぐに集まるものの、当時のインターネットはまだ黎明期の状態にあり、動画はもちろん資料や個人の証言はいまよりもずっと限られていた。 ゆえに当時、強制連行の虚構性については、ネット上ではいろいろ書かれてはいたものの、筆者はまだ半信半疑の状態だった。

ブログ内容やさまざまなやり取りを見る中で、信頼できる人物だと感じていた筆者は、この発言ではじめて強制連行は嘘なのではないかと、やっと本気で思いはじめるようになった。*2

在日について、「強制連行」の犠牲者であり、また在日が日本語を話す、日本語しか話せない、ということ自体にも「戦争責任」を感じていた筆者にとって(→「日本語強制」がどのように誤解されていたか)、在日という存在はそれまで、大袈裟ではなく、本当に、恐懼を感じる存在だった。

筆者にとって歴史問題は、とても重大な問題だったので、在日が周りにいたとしても(*3)それを気軽に聞けるような心理にはなかった。 そのような筆者にとって、在日の、率直で素朴な意見をはじめてきけたのが、このコリアン・ザ・サード氏だった。 インターネットという媒体を間にひとつ挟むことで、やっとおそるおそる話を聞けたというわけである。

そうして彼は、在日にも辛淑玉氏のような人ばかりではないという当たり前の事実を気づかせ、また1980年以来、頑なに左派史観を信じ、右派の反論を「右翼妄言」として却下しつづけてきた筆者に、その歴史認識を修正するきっかけを与えてくれた人物の一人となった。

2000年代半ばという時代は、こうして筆者にとって、「強制連行」「創氏改名」「日本語強制」「植民地支配」そして「従軍慰安婦」が思っていたものとまったく違うということに徐々に気がついていく(確信していく)きっかけの時期となっていった。

なおコリアン・ザ・サード氏は、このブログ運営中に書籍を刊行し、ペンネーム「新井知真」をなのる。 「知真」という名前には「真実を知る」という意味が込められていた。

その彼が在特会設立に参加するとブログで公表したときはかなり驚いたことを覚えている。というのは新井氏はきわめて常識的で理性的な人物であり、一方桜井誠氏は過激発言(*4)で知られていたため、その組織の雰囲気になじめるとは思えなかったからである。新井氏には元在日(*5)として歴史問題を正さなくてはならないという義務感もあったのだろうが、案の定、早期に脱退することになる。

(終)

*1) 「2004年頃」というのは『嫌韓流』(2005年)の前だったという順序で記憶しているため。正確な年月はわからない。
*2) とはいうものの、それでもまだ半信半疑だった。なぜならそれは彼の周辺の限られたケースにすぎない可能性もあるし、メディアや教科書で言われていたものが、まさかすべて嘘であるとは、なかなか思えなかったからである。 しかし彼のこうした発言は、筆者がこれまで「右翼妄言」として片付けていた「植民地支配」の情報について、さらに中立的に見られるようになるきっかけとなった。(とくに慰安婦問題などは犠牲者の「証言」があったので、それまでまったく聞く耳を持てないでいた→なかなか解けない世界観
*3) 身近に在日(とわかる人)もいなかった。正確に言うと、90年代半ばに総連系(だったと思う)の知り合いが一人いたのだが、親しいというほどではなかったし、そもそも(ここで書いているように)気軽に聞けるような心理状態にもなかった。仮に訊いたところで「強制連行」「植民地支配」という歴史観を確認しただけという結果になっていたと思う。もちろん実際に訊けいていたら案外別の結果になっていたのかもしれないが、そもそもそれらを信じ込んでいた筆者は「確認するまでもないこと」をわざわざ訊ねる気にはならなかった。
*4) 在特会発足以前、彼は「不思議の国の韓国」というサイトを運営しており、今ほどの過激性はなかったものの、「ゴミはゴミ箱へ、朝鮮人は朝鮮半島へ」というような発言をしていた。
*5) ブログ運営中に帰化した。その手続きの様子もブログ上で公開していた。