つかこうへい 『娘に語る祖国 満州駅伝―従軍慰安婦編』(1997) 13-18頁 より引用
辛い現実に立ち向かっていくのがパパの仕事です
「パパは今どんなご本を書いているの」
「うん、従軍慰安婦のこと」
「うまく書けたの」
「いや、書けなくて、困ってるんだよ」
「あんまり悲惨すぎるから?」
「うん、それもあるんだけど……」
たしかに従軍慰安婦に関する情報はどれも恐ろしいものばかりです。
まず、性欲処理のための女性を戦争に連れていったというのは日本だけだと言われています。戦地に元兵隊さんたちの慰みものとしてだけ連れて来られた女性の存在は世界の各地を探してもほとんど見つからないとのことです。
また、日本兵には抵抗する女性を殺したり、首をはねて熱湯の釜に放り込んで煮て、その煮汁を他の慰安婦たちに飲めと、飲まなければ殺すと強要したりしたという話もあります。
他にも朝鮮から連れてこられたまだ十四歳の従軍慰安婦が、日本兵の相手をするのを断ったために、その場で縄で縛られ庭に引きずり出され、裸のまま平原に立つ高い木の枝に吊るし上げられたというようなこともあったと聞きます。
その日本兵は他のテントの中にいた兵隊や慰安婦たちを呼び集めてきて、彼女を笑いものにしました。
女の子はあまりのことに、
「チクショウ、犬のようなおまえたちの言うことなんか聞かない」
と怒鳴り、その兵隊に唾を吐きかけました。
その途端、その日本兵は目の色を変え、やにわに軍刀を抜き、女の子のガウンのような服の前をはだけると、逆さに吊られたままの女の子の右胸をムンズと掴み、乳房を抉りとったと言います。
そんな時代です。逃げようとした女の子たちが捕まえられ、熱した鉄の棒を突きつけられたり、日本兵が一人死ぬごとに慰安婦を一人ずつ殺したりなんて話まであるのです。
まだ十二、三なのに「初めて」を奪われ、次の日からは、日に三十人も、四十人も男の相手をさせられます。一日が終わる頃には女の子たちはみんな疲れきって、失神して寝込んでしまうほどだったそうです。
抵抗しようとすれば、気を失ったり骨を折ったりするほど殴られ、軍刀で首を斬られた女の子もいたと言います。兵隊がその斬った首をわざわざ見せたりもしていたというのです。
自殺した女の子もいっぱいいたし、抵抗して殺された女の子もいたと言います。女の子たちは夢や希望という言葉を一切捨て、ただなすがままに抱かれ続けていたのです。
「私も新聞とかで読むよ。ほんと、ひどい話だよね」
お前は目に涙をいっぱいためています。
この、辛い現実に立ち向かっていくのが、パパの仕事です。でも、今回はそんなに単純なことではないのです。
従軍慰安婦問題でパパが誤解していたこと
パパは立ち止まり腕組みをして眉間に皺を寄せながら、渋い顔をしていました。
「どうしたの、パパ」
「実はね、パパはいろんな人に取材をしたんだけど、従軍慰安婦の人たちは必ずしも悲惨じゃなかったんだ」
「えっ、悲惨じゃなかった?」
「そうなんだよ」
「兵隊と従軍慰安婦が恋に落ちたという話もあるんだよ」
「ほんとに?」
「ああ」
「そんな、全然違うじゃない」
おまえはほんとに信じられないというふうな感じでした。
「だから困っているんだよ、パパは……」
パパはいろんな兵隊さんと話して、いくつかの、今まで持っていた知識とはまったく違うことを知りました。
一つ目は、従軍慰安婦という言葉は、まるで軍隊が移動するたびに連れて歩かされ、奴隷のように犯されていたというイメージの戦後の言葉であって、戦時中は別の呼ばれ方をされていたということです。
二つ目は、従軍慰安婦というのは自由がなく犯されているだけの存在で、金のやりとりなどなかったというイメージがあったこと。
三つ目は、確かに強制的に連行されてきた女の人たちもいたのだろうけど、たいていは貧しさゆえにお金のために、たとえば日本の売春宿と同じように、身体を売ってお金を稼ぐということを自明の理としていたこと。
四つ目は、兵隊は犯す、慰安婦は犯されるという関係ではなく、けっこう人間的な付き合いがあったということです。
これらのことを一体どういうふうに理解すればいいのだろう。どちらかが正しい、ということではなく、おそらくどちらも少しずつ真実で、どこかが微妙に本当のことからずれているのです。
〔参考文献〕
『娘に語る祖国 「満州駅伝」―従軍慰安婦編』 つかこうへい 1997年