パトリック・ブキャナン『超大国の自殺』(2012)より

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○ヒトラー体制の設計士、アルバート・シュペアは回想録『第三帝国の内幕』の中でヒトラーがしばしば口にしたことを書いている。(81頁)

わかるかね、間違った宗教を持っていたことがわれわれの災いのもとになっている。なぜわれわれは日本人の宗教を持っていないのだ?かれらは祖国への犠牲が最高の善だと思っている。イスラム教もキリスト教とは比べ物にならない。どうしてキリスト教徒はかくも軟弱で無気力でなければならないのだ?

○キリスト教を毛嫌いするものでも、おおむね人は宗教なくして生きられないことを認めている。山上の垂訓的キリスト教を嫌ってはいても、ヒトラーは『我が闘争』で、宗教は社会に必要不可欠であることを認めている。(81頁)

宗教的信仰が実在していない人間世界は考えられない。一国の大衆の大部分が哲学者で構成されているわけではない。大衆にとっては、特に信仰が唯一絶対の生活上の道徳的基盤となっている。もろもろの代替物があらわれてはくるものの、既存の宗教に取って代わることができると思えるほどの実を結んでいない。

○T・S・エリオットは80年前に予言した。「世界は、キリスト教精神によらない文化人を創造しようとしている。しかし、その実験は失敗するだろう。しかしその失敗を待つには大変な忍耐を必要とする」(84頁)

○社会評論家で歴史家のラッセル・カークが書くように、あらゆる文化は宗教信仰から生まれている。(91頁)

人類の文化(カルチャー)の多くは何から生まれたか? なんでそんなことを? 祭式(カルト)からにきまっている。カルトとは礼拝のために一緒に集まること――ということは、超越的な力と親しく交わる人々の試みのことである。人間のコミュニティは、崇拝するものたちの一団、カルトの集まりから発展した。

○何世紀にもわたって、キリスト教は西洋と世界中に共通のグラウンドを提供してきた。(中略) キリスト教のない世界では、個々人は、人種、部族、党、イデオロギーなどでまとまるコミュニティを求めはじめる、そして否応なしに人々は分離してゆくに違いない。(92頁)

○文化の戦争は、何が正しく何が正しくないか、何が道徳的で何が道徳的でないか、絶対妥協を許さぬ信念に根ざしている。(中略)何が正しくて何が間違っているか、についてもはや合意ができないのであれば、われわれはもう、一つの国民にはなれない。(92-93頁)

○なにゆえ、イスラムは西洋社会を再編して、それに取って代わる有力候補となるのか。 ①第一に、より強い出生率があげられる。西洋の人口が減少しつつあるのに対比してイスラム人口は増加しつつある。 ②第二は移民である。スペインから追われた五百年後、バルカン半島から後退した三世紀後、イスラムはヨーロッパに回帰しつつある。高齢化、死亡、中絶によって空いたスペースを百万単位のイスラム教徒が埋めている。 ③第三、かつては先鋭的な教会があったが、今は先鋭的なモスクがある。
④第四にイスラムは、信者の基本的な設問に、説得力のある筋の通った答えを用意している――わたしはだれに創られたのだろうか? わたしがここにいるのはなぜか? どうすれば正しく生きられるか? 神はわたしに居場所を与えてくれるか? イスラムの「強さは、個人の不滅、単一で無限の権威を持つ神、神の公正と慈悲、創造主が見届ける魂の平等――これらの教義にある」とベロックは記した。(108頁)

○ヨーロッパでイスラム住民が激増すると、イスラム圏からの移民禁止、西洋の価値観保持を標榜する大衆政党が雨後のたけのこのごとく現れはじめた。2009年11月、スイス人は、モスクにおけるミナレット(尖塔)と祈祷タワーの建設を国民投票で禁止した。2010年の調査では、フランス大統領のニコラス・サルコジがブルカ(イスラム女性の一部が身につける全身を覆う長衣)の禁止をしたことについて、70%のフランス人と、ドイツ、イギリス、オランダ、イタリア人の過半数がそれを指示していることがわかった。(109頁)

○国勢調査局の数字をこまかく眺めると構図がよくわかる。2004年、調査局は、ヒスパニック、黒人、アジア人、インド人、先住ハワイ人、太平洋諸島人のマイノリティが白人の数と交差する年は2050年である、と発表した。2008年、ニューヨーク・タイムズは、白人がマイノリティになるのは2042年の予定、そして2050年には総人口の46%になる、そのときの18歳以下のものは38%にすぎなくなると報道した(168-169頁)

○「似ている……ということが愛の原因である」アキナスは書いた。(中略)アキナスは、人種として同じ人々が引き合うのは自然で、当たり前のことだと言う。このことが、オバマの勝利に喜んだアメリカ黒人にあてはまるのだとすれば、白人にもあてはまることとなる。そして、白人の人種意識が目覚めつつあり、政治の世界でそのことは示されはじめている。数千万のアメリカ人にとって、この国はもう生まれ育った国ではなくなってきたからである。(173頁)

○ラテン・アメリカのカソリック国からの移民が増えると、伝統的価値観のテコ入れになるのではないか、と多くのものが期待した。が、この期待は裏切られた。(中略)メキシコは表向きカソリック国を標榜し、中絶を制限しているが、いまやメキシコ女性の中絶率はアメリカ女性より高い。(中略)「悪びれるところのないラテン系家族は、黒人家庭に似てきている」。ラトガース大学の社会学者、デヴィッド・ボブノーもその意見に賛成する。(175頁)

○(メキシコ系は)かつてのヨーロッパ移民のような同化をしようとはしない。16歳から25歳のヒスパニック移民の若者に、その帰属意識を訊ねると「アメリカ人」と答えるものは3%に過ぎなかった。第2世代のヒスパニック――アメリカ生まれのアメリカ市民――で、まず第一にアメリカ人とするものは33%のみ。第三世代にいたるまで、アメリカ人と答えるものが50%には達しなかった。それでも半分は、ヒスパニックないしラティノと呼ばれることを好むか、祖父母の国にアイデンティティを求めていた。(181頁)

○2010年の、企業にとって一番良い州、悪い州の調査で、チーフ・エグゼクティブはカリフォルニア州を最悪にランクし、それに関連して問いかける。「この3700万という全国最大の人口を抱える、世界で8番目の経済力を持つ……1950年代と1960年代、民主党のパット・ブラウン、共和党のアール・ウォーレンとロナルド・レーガンが知事を務めていた時代に最高の成長率を示した州が、北アメリカのベネズエラとなってしまうのか?」(183頁)

○「カリフォルニアはヒスパニックの州になろうとしている。それを望まないものは立ち去るべきだ」。白人がそれを好まないとすれば、「ヨーロッパに戻らなければならない」とオベルドは言い足した。オベルドはビル・クリントンから、メダル・オブ・フリーダム(訳注、民間人に与えられる最高位の勲章)を授与された。(185頁)

○2008年6月、イースト・ロスアンジェルスで叩き上げ、十年間の郡長官に選出されたリー・バッカは、LAタイムズに、「LAでは人種が人殺しをする」というタイトルで寄稿した。「この群では、黒人とラテン系を巻き込んだ深刻な人種間の暴力事件が発生している」。(中略) 互いに悪い歴史があったわけではない。黒人とヒスパニックの間には歴史の関係が何もない―奴隷制度もなかったし、ジム・クロウ法(訳注、1876-1964年まで存在した、アメリカ南部の人種差別的州法)もなかった。メキシコ国民が国土の半分を奪われた戦争でも、アフリカ系アメリカ人はなんの役割も果たしていない。このおたがいの憎悪の感情は人種以外、何で説明できるのだろうか?(187頁)

○養育放棄、父なし、などによって、究極的に家庭、コミュニティ、アイデンティティを模索する欲求が、マイノリティ社会への暴力団の浸透の背後にある。いまやこの現象は、その親達が合衆国市民としてもっとも遵法精神の高いアジア系の青年層にも拡がっている。(188頁)

○部族主義の政治というあり方は異常ではないし、いつもあり得る。ジョン・F・ケネディがカソリックでなかりせば、カソリックの78%という票を取れるはずはなかった。ヒラリー・クリントンは、きわどい状況でなかったら、ニューハンプシャーの女性表をかき集められたなかっただろう。ミット・ロムニーがモルモン教徒でなければ、ユタ州で圧勝し、また南部で燃え上がることもなかっただろう。マイク・ハッカビーは福音はクリスチャンでバプティストの伝道師でなかったら、バイブルベルトで旋風を起こすことはできなかっただろう。故人となった市監察官のハーベイ・ミルクがサンフランシスコのカストロ通りでうまく仕事ができたのは、かれが「ぼくたち(ゲイ)の仲間」だったからだ。(189頁)

○1964年、上院議員のバリー・ゴールドウォーターが大統領選に立候補したころから、アフリカ系アメリカ人は9対1で共和党に投票しなくなった。しかし、トニ・モリソン(引用者註:アメリカ黒人初のノーベル文学賞受賞者)が「我が国初代の黒人大統領(ビル・クリントンのこと*)」と呼ぶものの妻(ヒラリー)に対抗したオバマに、黒人票が9対1で集まった事実は、人種以外の要員でどう説明すればよいのか。ニューヨーク・タイムズですら黒人有権者と黒人放送局との連帯関係に呆れている様子だ。「トム・ジョイナー・モーニング・ショウ」「マイケル・バイデン・ショウ」「スティーブ・ハーベイ・モーニング・ショウ」、あわせて2000万の視聴者となるが、ジム・ルーテンベルグはこれらの番組には「バランスのひとかけらもない……オバマをまるでホーム・チームのように応援している」と書いた。(189頁) *引用者註:黒人大統領…クリントンは(白人だが)多くの黒人に支持されたという意味

○マルチン・ルーサー・キングが、自分の子どもたちが「肌の色ではなく、そのなかみで判断される」日がくることを夢見てから半世紀後、有色人ジャーナリストたちは、雇用と昇進を肌の色で決めてくれと要求している。ジム・クロウ(人種差別)法は復活した。肌の色の受益者と肌の色の犠牲者が入れかわったのである。(192頁)

○彼女(ソトメイヤー)はかつて「アファーマティブ・アクションの申し子」と自称した。もし「プリンストンとエールの法学部卒」としての「伝統的な成績順」で選ばれるとすれば「わたしで良いと言われたかどうか、はなはだ疑わしい。わたしの点数はクラスメートに比べるとかなり劣っていた」と彼女は語った。(200頁)

○マンハッタン研究所のヘザー・マクドナルドは、そのことの確証を提示する。「2006年のSAT(大学進学適性試験)では、基本読解力の平均点は、黒人で434点、白人で527点、アジア人で510点だった。数学では、黒人429点、白人536点、アジア人587点だった」(270頁)

○人類の経験が何を教えているかを受け入れない度合いは、イデオロギーを測るよすがとなる。(276頁)

○2005年1月の学術会議で、ハーバードの学長ラリー・サマーズは、数学と自然科学で女性の終身教授がなぜ少ないかを問われた。サマーズは男女の能力に違いがあるからだろうと正直に答えた。科学とか工学などの特別な部門では、生来の素質といった問題がある。なかでも変化に対応できる素質の問題が」。(中略)一年後、サマーズは「信頼感欠如」に問われ、学術教授会の不信任投票可決となり、大学を去った。平等主義とは、異端者に決して甘くないイデオロギーである。
サマーズが辞めさせられた一年後、フランシス・クリック博士といっしょにDNAの二重螺旋構造を発見したことで1962年にノーベル賞を受賞したジェームス・ワトソン博士は、サンデー・タイムズに寄稿して述べた。「わたしはアフリカの将来について、まことに悲観的に考えている」「あらゆる試験のデータが、そのことを真実でない、とつたえているにもかかわらず、社会政策のすべてが、かれらの知性がわれわれと同じであるということを事実として前提にしているからである」(276頁)

○「きみの言うことは認めないが、死ぬまできみにそう言う権利があることは守る」とヴォルテールはルソーに言った。「真実が議論されることは自由だから、意見の間違いは許される」とジェファーソンは言った。アメリカの偉大な科学者の一人がむち打たれ、くびになり、障害の学問と経験から形づくった自らの信念を捨てるよう強制されたことを、21世紀のリベラリズムはどう説明するのか、21世紀のアメリカはどう説明するのか?(277頁)

○ジョージ・オーウェルの『動物農場』がそのあたりを正確に描いている。「すべての動物は平等である」、革命はこのスローガンではじまった。しかしいったん権力が確立されるや、豚たちが農家を占領した。スローガンは読み替えられた。「みな平等だが、ある動物たちはほかのものより、もっと平等なのだ」。平等を標榜する革命は例外なく、少数の独裁権を確立して終わるのである。(279頁)

○150年前、トクヴィルは、平等主義を見透かし―その背後に権力への意志があることに気づいた。(279頁)

民主主義社会で最高権力の集中に唯一の条件は、平等を愛する、また人をして自分が平等を愛していると信じ込ませることにある。かくして、専制主義の理屈は、むかしは難しいものだったが、きわめて単純なものとなり……たったひとつの原理に集約される。

○イタリアの哲学者、ヴィルフレド・パレート(1848-1923)は、平等とは、「自分たちに不都合な不平等から逃れようとする個人の直接的利害に関するものである。そして自分たちに有利な別の不平等をつくりあげようとし、そのことに力点が置かれる」と書いた。 クイ・ボーノ?―だれが得する? これは永遠の問いである。新たな階層が平等の福音を説きはじめるとき、権力の座にあるのは誰なのか?(281-282頁)

○われわれが育ってきた国以上に多人種、多民族であって、ずっと良い国がどこかにあるのだろうか?まわりを見渡すと人種的、民族的に多様な国家はみな分裂しつつある。(296頁)

○多様性が分裂の原因にはならないのだろうか?言語の多様性は力になるのだろうか? カナダ人とベルギー人に聞いてごらんなさい。かれらは永遠に言語の相違で分断されている。(296頁)

○ホールダーとパターソンの言いたいことはこうだ。放っておくと、黒人と白人は分離、隔離される。その証拠はある。2010年、ニューヨーク・タイムズは、アフリカ系アメリカ人に、国立公園を子どもたちに見せるため、連れてくるように運動したが失敗したことをつたえた。

393の国立公園の観光客――2009年は2億8550万人が訪れた――は圧倒的にヒスパニックを除く白人だった。グループとしては黒人が最小だった。この問題が最初に問題となった1960年代から現実は変わっていない。公園当局は、問題は公園の生死にかかわると言っている。アフリカ系アメリカ人ほど国立公園を忌避するグループはいない。

国立公園という国家遺産に有色アメリカ人が興味を示さないのであれば、減少していく白人マジョリティはそれを維持し得なくなってくる。(299頁)

○ジャーナリストのビル・ビショップと社会学者のロバート・カッシングが、アメリカ人は所得と人種だけで自ずから分裂しはじめているだけでなく、社会的価値観と政治的信念でも分かれつつあると報告する。(中略)「人々は自分たちと同じ人間と一緒にいることを好んでいる」とワシントン・ポストのコラムニスト、ロバート・サミュエルソンが書く。(300-301頁)

「多様性」が崇められてはいるが、支配しているものは同一性である。ほとんどのものは、同じ環境、同じ興味、同じ価値観をもつものとの友情をたいせつにする。そうしておけば経験を共有できるし、会話もはずむし、もっと良いのは沈黙の快適さが味わえることである。例外もいろいろあるだろうが、こういう衝動はきわめて一般的である。人間の本質といってもよい。

○多様性が力となるのであれば、韓国とか日本という単色国家はなぜあれほど成功したのか?中国が数百万にのぼる漢民族をチベットと新疆に送り込み、チベット自仏教徒とウイグル人イスラム教徒を一掃しようとしていることは、「多様性こそわが力」を北京が信じているからか? 多様性が天の恵みであれば、メキシコはなぜ粗暴にグアテマラ人を扱って、メキシコに呼び込んだのか。(309頁)

○エリート大学の入試担当者と多様性の問題の話をしてみると、アフリカ系アメリカ人はキャンパス内で5から7%、ヒスパニックもだいたいおなじくらいになるように塩梅されている。この目標達成のために、白人とアジア系志願者には驚くような差別が行われている。ニエリは次のように伝える。「SAT1100点の黒人生徒と同じ入学チャンスを与えるために、ほかの面では同じ状況にあるヒスパニックには1230点、白人には1410点、アジア系には1550点がハードルとなる」
台湾、韓国、ベトナム移民を親に持つ少年少女がナイジェリアやハイチ系の1150点の子供たちと同じ取扱をされるためには、1600点満点が必要とされる。はたしてこれが公民権運動の成果なのだろうか?(324頁)

○2006年10月、FT(フィナンシャル・タイムズ)は多様性のもたらす社会荒廃についてのパットナムの研究を報告した。

民族的多様性のもたらす影響のすさまじい陰鬱な構図が、世界有数の影響力のある政治学者の一人、ハーバード大学のロバート・パットナムによって描かれている。かれの研究によれば、コミュニティが多様化すればするほど、住民は―隣人から市長にいたるまで、人を信用しなくなる。

「パットナム先生は」、FTがつたえる、「信頼感は、『人間の歴史の中でもっとも多様化された街』、ロスアンジェルスで最低だったことを発見した。多様化した都市、街で人々は、

仲の良い友達からも身を引く。コミュニティとリーダーたちからの最悪の事柄を想定する。ボランティア、慈善活動、コミュニティのプロジェクトへの参加、有権者登録などはあまりせず、社会改革の宣伝活動には熱心であるが、いかにも不幸せといった様子でテレビの前に群がるのである。

「パットナムはきびしい注釈をつける」、とコラムニストのジョン・レオは言う。かれの見つけたものは「社会活動と縁のない多様性の現実的な効果をまだ過小評価しているのではないか」、と。
パットナムを裏付けるように、2011年、旅とレジャー誌は毎年の読者アンケートで、ニューヨークがアメリカの「もっとも野蛮な都市」の座を、かつては陽光いっぱいでゆったりしていた南カリフォルニアの首都、ロスアンジェルスに奪われたことを明らかにした。そしてLAはアメリカ第二の都市であり、ここに本居を構えたNFLチームは一般のサポートが得られなくなり、とうとういずれも街を出ていった。LAラムズはアナハイムに越し、そしてセント・ルイスへ移った。LAチャージャーズはサンディエゴに行った。オークランドからきたLAレイダースはもとのところにもどった。(329頁)

○カリフォルニア大学のジュリアン・ベッツ、ロバート・フェアリーは「公立高校では移民が四人入学してくるたびに、一人の地元の子供が私立に転校する事実を突き止めた」(331頁)

○パットナムの引き出す結論は不吉である。――人種、民族グループの多様化は社会崩壊のリスクを内包する。そしてアメリカは今後四十年で、ほとんどが第三世界である移民とその子どもたちで1億3000万人の人口が増加する過程にある。アメリカの都市はどこでもいまのロスアンジェルスのようになる。ロスアンジェルスは、これまでパットナムが経験したレベルを超えた不信と憎悪でいっぱいの多人種、多民族、多言語のごたまぜの街になっている。(332頁)

○アメリカは人種のメルティング・ポットである、という考え方は、数年前、支配者層によって否定され、いまその国は、地上最大の多人種、多民族、多文化の国であると熱狂的に語られるようになった。しかしその社会は常時、自己破壊、分裂の危機の種を内包している。 ブラホは述べる。(339頁)

多民族、他宗教の社会は、途方もないアイデンティティの問題を抱えている。この問題がより大きく、複雑になるにつれて……文化はより弱体化し、カルチャーとサブ・カルチャーの間にあるアイデンティティに引っ張られるようになる。それは社会の緊張をつくりだし、一層高めてゆく。そしてまたそのことが、誰のアイデンティティがより聖なるものなのか―より偉大なのか、をめぐる闘争を惹き起し、そのなかで、しばしば矛盾をつくりだすのである。

○西洋は自身の歴史を読み誤り、そこから間違った教訓を引きだした、とミュラーは主張する。二十世紀のヨーロッパ史で馴染み深い、影響なる説明は、ナショナリズムが、最初は1914年、二度目は1939年に、二度の大戦をひきおこしたというものである。そしてヨーロッパは、ナショナリズムが危険なものであると結論づけた。そしてそれを棄てた。戦後、西欧諸国は自ら国際機関の網の目をつむぎ、それが欧州連合に結実した。
しかし、この説明は違いますよとミュラーは書く。(342-343頁)

二つの大戦と民族浄化の結果として、ヨーロッパのいたるところに民族ナショナリズムの国家をつくりだしたことは、地域の安定、統合、平和の大前提となった。自国の中に競争相手の民族がいなくなったことで戦う必要がなくなり、隣人たちと平和に過ごせることなった。
民族の集団的混在が避けられたことで、民族ナショナリストの理想が大きく実現した。おおむねヨーロッパの国民はこれぞれの国を持つことができ、それぞれの国は排他的に一個の民族で構成されることとなった。冷戦時代、この規則の幾つかの例外が、チェコスロバキア、ソビエト連邦、ユーゴスラビアに見られた。しかし、その後、これらの国々には活発な民族ナショナリズムの示威活動が展開されるようになった。

チェコスロバキア、ソ連、ユーゴスラビアは共産党一党支配の独裁国家となった。警察国家でなかったとすれば、これらの国々はずっと前に解体されていただろう。(342-343頁)

○民族ナショナリズムは人間の本質に根ざしており、民族的同一性が自由民主と平和主義の前提条件となろう、とうミュラーの議論はロバート・パットナムの主張に共鳴するものである。そしてこの主張が正しいとすると、アメリカが多重民族化、多人種化すればするほど、bellum omnium contra omnes―すべてのものが、すべてのものを相手とする戦争―に近づいてゆくことになる。(344頁)

○百万人の命が奪われたナイジェリア内戦は、イボ族の分離をめぐる民族ナショナリズムの戦争だった。長年にわたる内戦のあと、ローデシアはジンバブエとなり、ロバート・ムガベのマショナ族がライバルのジョシュア・ンコモの部族であるマタベレ族を七千名殺戮して教訓を与えた。ルワンダではフツ族がツチ族を虐殺した。(364頁)

○同じ6月、ワールドカップの一次選に敗退したフランスのサッカーチーム、レ・ブルーの悲惨な結果に雑音が飛び交った。それは人種に絡む論議で、「チーム・メンバーの多くは黒人や褐色人種で移民の子孫である。かれらが愛国心を欠いていることや価値観、国家の誇りを共有していないことに焦点を当てるものだった」。サルコジ大統領はフィールド内外におけるレ・ブルーの実績を「最悪」と評したが、教育省のリュック・シャテルも尻馬に乗ってセネガル生まれのリーダーを批判した。「フランス・チームのキャプテンが『ラ・マルセイエーズ』を謳わなかったことは本当にショックだった……。ユニフォームを着ているなら、三色旗をまとっているつもりで誇りを持たなければならない」。(376頁)

○1998年のW杯で優勝したフランスは、その多人種の構成が称賛された――黒人、白人、アラブ人――そしてチームは、新しい多様化されたフランスの象徴となった。しかし2010年には、22名の選手の打ち有色人種が13名を数えることで、フランスのリーダーや議員たちから「くず」とか「子どもっぽい厄介者」とか「脳みその代わりに、ひよこの豆を持っている連中」とか「ごろつきギャング」などと悪口を言われているのである。(中略)
同じ2010年の夏、グルノーブルで北アフリカの青年が騒動を起こした。サルコジ大統領はこの事件で、フランスは「50年かけて移民を管理しようとしたが不完全だった、その結果、統合は失敗に終わった」と声明を発した。(376頁)

○民主党はしばしば、喧嘩好きが集まった利益共同体といわれる。FDR(ルーズベルト)以来、GOP(共和党)よりもずっとアメリカへの忠誠を誓ってきた党ではあるが、その集まりは不安定である。スティーブ・セイラーが言うには、民主党は、アフリカ系アメリカ人に指導されている4つの人種―黒人、白人、アジア系、ヒスパニック―の党であり、その民族的、思想的な縫い目は、リチャード・ニクソンがニューディール連合を引き裂いたように、つねにほころんでしまう脆弱性を孕んでいる。
2008年、オバマは白人票の45%、アジア系の64%、ヒスパニックの68%、アフリカ系の95%を得て登場した。しかし2010年秋には、白人の支持は37%に落ち込んだ。白人は反オバマ票で最大の勢力となった。(452頁)

○アメリカの都市で隣同士に住み合う4000万のアフリカ系アメリカ人と5000万のヒスパニックは獲物と領地をめぐってたびたび衝突を起こす。ニューオリンズでカタリーナ(※台風)の被害のあと、復興の仕事を外からやってきたメキシコ人労働者に持ってゆかれたとする黒人の怨みは、公共の場に激しく噴出した。カリフォルニアでは、黒人とヒスパニックのギャングたちが市街戦を演じた。刑務所内での黒人対白人の暴動は、黒人対ヒスパニックの暴動で影が薄くなってきた。
不法外国人に社会給付を削減する、また運転免許証を与えないということの住民投票で、黒人は共和党支持者のような投票行動をみせている。アメリカ最大のマイノリティの座をヒスパニックに奪われて、黒人たちはヒスパニックをアファーマティブ・アクションの恩恵を横取りするライバルと見ている。もともとアファーマティブ・アクションとは、ヒスパニックがまったく被害を被らなかった奴隷制と隔離の補償として考案されたものだったはずである。(454-455頁)

○われわれはアメリカを元に戻せるのか?それとも、われわれが育ったアメリカはすでに変わってしまっているのか?
われらが一生のうちにアメリカは変わってしまった、革命は起こった、同じ国だと思っているうちに、父たちがととのえてくれた国と、まったく違う国にわれわれは住んでいる――この本の争点はここにある。
アダムズ、ジェファーソン、マディソン、ハミルトンは「一人一票」の民主主義を信用していなかった。われわれはそれを崇めたてまつっている。かれら父たちは創造主を信じていた。われわれは創造主を学校から追い払い、進化論をあとがまに据えた。父たちはすべての人は、神の与え賜いし、生命の侵すべからざる権利を保有することを信じていた。ロー対ウェード事件でわれわれは生まれることのなかった、この事件後中絶された五千万の命に対して、この権利を認めなかった。ジェームズタウンの植民以来、二百五十年にわたり、われらが親たちはプロテスタントでイギリス人である国を築こうとしていた。1840年代のアイルランド移民到来から、1960年に最初のアイルランド系大統領が出現するまで、合衆国はクリスチャンであり欧州系である特質を維持するようつとめてきた。今日、このことを理想としようものなら、ヘイト・クライム(憎悪犯罪)を構成することになる。(498-499頁)

○わが国の知的、文化的、政治的エリートたちは、現在、史上最高に大胆で野心的な実験に手を染めている。かれらは西洋的なキリスト共和国を、地球のすべての部族、人種、宗教信者、文化の担い手からなる平等主義民主国家につくり変えようとしているのである。(499頁)

○62%のアメリカ人が、中絶はもっと制限されるか非合法化されるべきと考えている。ウォード・コナリー(Ward Connerly)のアファーマティブ・アクション廃止運動は、ミシガン、カリフォルニア、ワシントン州で勝ち、アリゾナでは、2010年秋、60%の票を集めた。英語を公用語とする提案は滅多に負けることがない。投票にかけられると、同性婚は常に拒絶される。(509頁)

○文化戦争は終わらない。文化戦争は決して終わることがない。それは正しいものと誤っているものとの衝突だからである。それは神と現世、善と悪との戦いである。文化戦争は永遠にわれらとともに生きる。チルトン・ウイリアムソン・ジュニアは述べる。「先進的リベラリズムは、合衆国を新しいアメリカと古いアメリカに分ける。その分裂が近い将来に解決されるとは思えない。それはもっともっと固定化し厳しくなるのだ」(509-510頁)

オバマの時代のリベラリズムがオールド・アメリカの文化に与える影響は、イスラムがオールド・ヨーロッパの文化に与えるものと同じである……。
戦闘ラインは引かれている。アメリカはさまざまな世代によって分断される運命にある。分断される部分が統治しきれない、ともに住んでいられないものとなることは必定である。

○アメリカ人は「内戦に直面している。それぞれの側に固執するものたちの物理的な住み分けで解決する戦いではない。全大陸でどちらかが他方を統合してしまう」。1996年、『アメリカのきたるべき人種戦争』で黒人コラムニストのカール・ローワンは暗い結論に達した。
1960年代の革命主義者や急進派がアイゼンハワーのアメリカに住みたくないと思い、伝統主義者がかれらのアメリカに住みたくないと考えた時、社会の平和は棲み分けを望んでいたようだった。(510頁)

○文化革命の結果、アメリカは二つの国に割れた。その亀裂は幅広く、深く、そして永続的である。ものの味方、価値観が違うもの同士のトラブルに共通項を見出すことはますます難しくなってきている。一日が終わると、数百を数えるケーブルテレビのチャンネル、数百万のウェブサイトが存在するインターネットで、みなそれぞれの世界に入り込む。多分あるものは過去を忘れてしまっているだろう。しかし、人種的、宗教的、文化的、社会的、政治的、経済的な現代の亀裂は、われわれが育ってきた隔離都市でそのように見えたものよりも、遥かに巨大であるように思われる。
その頃を振り返ると、黒人と白人は離れて暮らし、違う学校と教会に通い、違う遊び場で遊び、違うレストラン、バー、職場、飲みものスタンドに行っていた。しかし国と文化は共通だった。われわれは一つの国民だった。みなアメリカ人だった。同じ言葉をしゃべり、同じ歴史を学び、同じヒーローを崇め、同じ祭日、祝日を祝い、同じ映画を見に出かけ、同じチームを贔屓し、同じ新聞を読み、同じ3チャンネルの同じテレビ・ショウを見、同じ音楽で踊り、同じ食べ物を食べ、教会では同じお祈りをとなえ、学校では同じ忠誠を誓い、正と不正、善と悪、神と国家について同じことを教わった。その頃、われわれは国民だった。
そんなアメリカはもうない。それを嘆くもの、喜ぶもの、それぞれに大勢がいる。しかしもうわれわれは国民ではない。国の現状、またはあるべき姿について、同じ信念、同じ文化観、同じ理想を共有していない。「われわれは自らをキリスト教国民ともユダヤ教国民ともイスラム教国民とも思ってない」とオバマは演説した。ということは、われわれがだれであるか、と言わず、われわれがだれでないか、と言ったのである。オバマは続ける。「われわれは、理想と一連の価値観によって定まる市民たちからなる国民であると考える」。しかし、結婚とは何ぞや、の問題ですら一致しない国民を、どのような一連の価値観で統合するつもりなのだろうか?(527頁)

(終)

※引用部分は暫定的なものであり、適宜入れ替える場合があります。

〔参考文献〕
『超大国の自殺』 パトリック・ブキャナン 2012年  ◆楽天 ◆Amazon