○○系日本人という表現をすべきでない理由

○○系日本人という表現をすべきでない理由、
それは「○○系」が、日本という存在を否定する呼称だからである。
このことは日本という国が存在している原理を考えてみれば分かる。

この国が日本として存在している原理――それはこの国の上に住む人々が日本史を「われわれの歴史」と認識しているからである。 日本史が「われわれの歴史」だからこそ、日本文化を「われわれの文化」として実践できる。 (日本史をわれわれの歴史と思っていない人が、雛祭鯉幟を「われわれの文化」と思うことはないし、世代を超えて実践することもない)

そうして日本文化が実践されているからこそこの国は日本に見えるのであり、そうした実践をしている人々が日本人に見えるわけである。

ところが○○系日本人という呼称は、自分の祖先は日本人ではないという主張である。
○○系にとって日本史や日本文化は「われわれの歴史文化」ではない。彼らは自分たちの歴史文化の方に親近感をもち、それを実践する。それが自分たちの「権利」だとすら考える人もいるだろう。 するとどうなるであろうか。 彼ら○○系が住む地域は日本ではなく○○民族の土地に見えるようになっていくだろう。(→アメリカの多文化主義の歴史―るつぼからサラダボウルへ(1)

以上の説明から、○○系日本人とは、日本を日本たらしめている実践的原理を否定するものであることがわかるだろう。

かつて日本に渡来した人々は、代々日本名を名乗ることで自分の祖先(○○系)を忘却し、日本史を「われわれの祖先の歴史」と思うようになって、普通の日本人となった。(cf.→E・ルナンの国民概念

しかし○○系は、「自分の祖先を忘れない」という主張であり、日本人には同化しないという主張である。*1

ゆえに「○○系日本人」という呼称は語義矛盾なのであって、用いるべきではないのである。(了)

*1) じつは○○系はアメリカのリベラル勢力が好んで使う呼称で、黒人でありながら積極的差別是正措置(affirmative action)に反対しているWard Connerlyは、○○系アメリカ人という言葉を引き出したいNYT記者の質問に対して、次のように答えている:「あなたはどういう人ですか?」「私はアメリカ人だ」「いえ、いえ、そうじゃありません!あなたはどういった人ですか?」「いや、いや、そうなんだ!私はアメリカ人だよ」「そういう意味ではありません。あなたはアフリカ系アメリカ人だと伺いました。 アフリカ系アメリカ人であることを恥ずかしく思うのですか?」「そんなことはない。ただアメリカ人であることに誇りをもっているだけだ」。Connerlyはそこで自分の祖先には、アフリカ人、フランス人、アイルランド人、そしてアメリカ先住民(インディアン)がいたことを説明し、対話は次の言葉で終わった。 「そうなると、どういう人になるんですか?」「生粋のアメリカ人だよ」。(『分断されるアメリカ』23頁)
アメリカでは多文化主義により○○系が強調されるようになった結果、かえって○○系ごとの社会分断が起きてしまった(→関連資料参照)。Ward Connerlyはそれに反対している一人なのである。

〔参考文献〕
『アメリカの分裂』 A.シュレジンガーJr (訳)都留重人 1992年(原著1991年)
『分断されるアメリカ』 サミュエル・ハンチントン 2004年(単行本) ※今は文庫版も出ています。 ◆楽天 ◆Amazon
『国民とは何か』 エルネスト・ルナン、Joël Roman、鵜飼哲ほか 1997年 ◆楽天 ◆Amazon