文化多元主義教育がもたらすもの

シュレジンガー『アメリカの分裂』(1991)より引用 ※少し読みにくいですが原文ママです

「いったん民族の誇りと自尊心が歴史教育の基準にされてしまうと、いくつかの事柄は教えることができない」と書いたのはダイアン・ラヴィッチ(Diane Ravitch)である。そうなると、言わば外聞をはばかる秘密は家庭内に隠してしまって、子孫たちに不愉快な感じを与えないようにする、というのだ。

この国の歴史カリキュラムで、カリフォルニア州におけるそれほど、その文化多元主義という点で慎重に作成され均衡のとれているものはない。しかし、州の教育委員会での聴聞は、民族性重視が学問を押しのけて自由な振る舞いをするときどんなことが起こるかを教えてくれる。 討議の対象は、新しいカリキュラムに即した教科書ということであった。ポーランド系アメリカ人は、もしもヒトラーの大虐殺に言及するのであれば、ポーランドのキリスト教徒たちが受けたような同じような集団虐殺の記述が同時になされるべきだ、と要求した。アルメニア系アメリカ人は、トルコによる大虐殺について教科書は述べるべきだと主張し、トルコ系アメリカ人はそれに反対した。 黒人の歴史家たちは、黒人歴史の取り扱いは立派にできていると証言したが、アフリカ中心論者たちは、学校で読まれる本が「虐殺の教科書」になってしまうだろう、と言った。回教徒たちは、三日月刀を振りかざしたイスラム勇士の挿絵を使うことは、回教徒を「テロリスト」として型にはめることになる、と言って抗議する、といった調子だったのである。

ラヴィッチの回想によると、「各集団は次々と、その先祖が歴史の中でほかの誰よりも被害を受けたと主張した」という。 アメリカ・インディアン、ヒスパニック、中国系アメリカ人、同性愛者たち、復活説信仰の正統派キリスト教徒、無神論者――これらの集団すべてが、学校教科書は彼ら特有の文化ないし考え方を賞賛する上で不十分だったと言って抗議した。 ラヴィッチは更に続けて次のように書いている。 「聴聞の場で執拗に続けられた一つの共通論点は、批判者たちが、それぞれの集団構成員を怒らせるようなことは一切教えてほしくない、としたことであって、何が教えられるにせよ、それは彼ら集団の自尊心または誇りにプラスの効果をもつものでなければならぬ、と主張するものが多かった。……〝自尊心のための歴史〟運動における唯一の悪役は……これまでのところ代弁者を持たぬ白人男性である」と。

ニューヨーク州における第11学年用のアメリカ史学習指導要綱によると、合衆国憲法には三つの「基盤」があって、それは、ヨーロッパの啓蒙思想と「ホーデノソーニー政治体制」〔訳注――アメリカ原住民イロクォイ部族の象徴で「共同長屋の民」の意〕と独立以前の植民地経営の体験であったという。ホーデノソーニー政治体制だけには説明的な小見出しが付け加えられていて、それは、「(a)植民時代のリーダーシップやヨーロッパ知識人(ロック、モンテスキュー、ヴォルテール、ルソー)への影響と、(b)オルバニー連合計画、十三州連合規約及び合衆国憲法への影響」がそこにはあったとされている。

いったい何人のアメリカ憲法の専門家がこの「ホーデノソーニー政治体制」にたいしての感動的賛辞を支持するであろうか。そもそも何人がこの体制について聞いたことがあると言えるのであろうか。イロクォイ連合が憲法の起草者にどのような影響をおよぼしたにせよ、それは些細なものであったし、ヨーロッパ知識人への影響にいたっては、およそ判別できるようなものではなかった。憲法起草についてのこのような分析は、どのほかの州のカリキュラムにも見られないが、ニューヨーク州におけるほどイロクォイ族院外団が効果的に動いた州は他になかったことも事実である。

ニューヨーク州での歴史カリキュラムについての論争は、同州の歴史教師のあいだに思慮深い反応を生んだことも指摘しておくべきだろう。教師の中の或る一人は、歴史は「いずれかの社会集団を喜ばせたりなだめたりするための手段であるべきではなく、また教師は、特定の主義主張のための広報役をつとめるものであってはならない。歴史の記述は、主題についての批判的分析を必要とするのであって、その功業をいたずらに賛美するようなものであるべきではない」と書いた。州立大学であるブロックポートのニューヨーク・カレジの史学部は、全州内の史学部宛に回章を送り、問題を次のように要約したのである。すなわち、「われわれは、たとえ過去の不正が真実であっても、それを償うことを主なねらいとする手段としてカリキュラムを利用すべきではない、と主張する。カリキュラムはむしろ、われわれが共有する過去について真実を追究するための道具なのだ」と。

ハワード大学のジェニファー学長は、同大学のような「歴史的な黒人教育機関」には若い人たちに彼ら特有の歴史や文化を教える責任のあることを認める一方で、「われわれは公立学校について語るときにはきわめて慎重でなけばならない。……公立学校は、その定義により、すべての人びとに開かれた学校であって、人びとすべての必要を認識すべきであり、……実在せぬ歴史の創作があってはならない」と付言したのである。

どの民族的・宗教的集団もが公立学校で教えられるなにもかもを承認したり否認したりする権利を主張するとなると、文化多元主義と民族中心主義とのあいだの決定的な境界線がうやむやになってしまう。そうなった場合、失われることが明らかなのは、その民族的基盤が何であるにせよわれわれすべてが一蓮托生のアメリカ人だという旧来の理念である。

そのうえ更に、人をいい気にさせる歴史というのは、高潔な専門職にとっての背信である。ゴア・ヴィダールがいみじくも言ったように、「私が嫌うのは善良な市民なるものの歴史である。それが歴史書のすべてを台無しにした。今じゃ言われることは〝ヒスパニックの人たちは心あたたかく陽気ででわれわれの生活を大きく変えた〟のだそうだ。その前はユダヤ人だったし、そのまた前は黒人の話だった。そして今度は女性だというのだが、もうやめてほしい」と。

ぜひとも黒人の歴史、アフリカの歴史、女性の歴史、ヒスパニックの歴史、アジアの歴史を教えようではないか。だが、それらを、祖先崇拝を記念するためではなく、歴史として教えよう。歴史の目的は、集団の自尊心を高めることではなく、世界および過去の理解、感情を抜きにして自由な歴史的探求を可能にする寛容と民主主義と人権の統合理念をあくまで護りぬくことでなければならない。 (118-122頁)

〔参考文献〕
『アメリカの分裂』 A.シュレジンガーJr (訳)都留重人 1992年(原著1991年)