張景子 「私は日本国籍の中国人」

張景子。日本国籍取得者。


2010年3月14日『そこまで言って委員会』より 1分19秒 (1.48MB)

「私は日本国籍の中国人。日本人ではない」

こうした発言からも明らかなように、日本の帰化要件は緩すぎであり、厳格な要件に変更すべきである。
どのような要件にすべきだろうか。

「国家への忠誠」を要件にすべきだという主張がある。しかし「国家への忠誠」はほとんど意味がない。
なぜなら「国家への忠誠」では、出身国の宗教や文化がそのまま維持できてしまうため、アメリカのような○○系ごとの分断社会になるだけだからである。(→アメリカの多文化主義の歴史(1)

ではどうすべきか。

(Ⅰ)まず帰化というと、一定の条件を充たした「外国人」に国籍を認める制度だという思いこみがある。しかし古代アテネでは、長期間居住して事実上、現地人化している者に限って市民権を認めるという制度だった。*1
100%外国人が日本の有権者になれてしまう現行制度は「国民主権」の原理からしても問題があるので、ゆえに古代アテネにならって、帰化を少なくとも二世以降に限るべきである。

(Ⅱ)そして帰化要件としては、「国家への忠誠」ではなく「日本史への忠誠」(日本史に帰属意識をもつこと)を要件にすべきである。 (この要件の必要性は、日本史を「われわれの歴史」と思う人間がいなくなったら日本がどうなるかを想像すればわかる←ぜひ一度やってみてください)
そのために外国文化の放棄の宣言、および日本名を義務づけるべきである。 *2
なぜなら、過去日本に渡ってきた渡来人も、代々日本名を名乗ることで自分のルーツ(祖先)を忘却して、日本史と日本文化にのみ帰属意識をもつ「普通の日本人」となったからである。(→『国民とは何か』―E・ルナンの国民概念(1)

以上のことから、帰化要件は次のように改めるべきだと考える。

1)二世以降であること
2)日本名に改名すること
3)日本史を「われわれの歴史」と思い、日本文化にアイデンティティを持ち、外国文化の放棄を宣言すること

もし(2)と(3)ができないということであればそれは「日本人」になりたくない人だと見なせるので、日本国籍を付与しない正当な事由とすることができる。

「日本人」になりたくない人間を「同胞」として受けいれる(しかも選挙権を与える)必要はない。これは当然のことだろう。

張景子氏は(一世だが二世だと仮定して)、もとから名前が日本人風なので(2)はクリアしているが(*3)、発言からもわかるように(3)を満たしていないので帰化を認めるべきではなかったと思う。

(終)

*1) 古代アテネでは両親がアテネ人の者にだけ市民権を認めていた(→『国民とは何か』―E・ルナンの国民概念(2)) 。これは要するに現地化している人にのみ帰化(市民権)を認めていたということである。
*2) この「外国文化放棄」の趣旨は、日本史にアイデンティティをもてないような文化を捨てるということである。よって、食習慣や宗教など、俄に放棄しにくいものでも、日本の歴史文化へのアイデンティティ意識に反しないものであればかまわない。 (正確に言うと、日本の「規則」に従う限りにおいて自由)  なお国籍取得後、宣言の趣旨に反するような言動をとるような人には、国籍の剥奪や選挙権・公務就任権の停止等、厳しい措置を用意しておくべきと考える。
*3) 本来は苗字も日本風に変えるべきであるが、「張」という苗字は日本にもあるようなので、ここでは「クリアしている」とした。