『娘に語る祖国』―産経新聞・阿比留記者の誤解

慰安婦、つかこうへい氏の見方「歴史は優しい穏やかな目で」 阿比留瑠比 2013.6.24 産経新聞記事

日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長の唐突な問題提起をきっかけに、慰安婦問題をめぐり国内外で刺々(とげとげ)しい言葉が飛び交い、ぎすぎすとした対立が目立っている。

もとより、降りかかる火の粉は払わなければならない。「強制連行の証拠はない」「慰安婦は性奴隷ではない」など正当な主張は、百万回でも繰り返すべきである。

とはいえ、正しいことをただ生硬に訴え続けるだけでは、初めから旧日本軍に悪いイメージを抱き、しかも熱くなっている相手を説得するのは難しいだろう。

こじれにこじれたこの問題を、どこから解きほぐせばいいのか。そんなことを思うにつけ、16年前の平成9年にインタビューした直木賞作家で在日韓国人2世でもあった故つかこうへい氏の言葉を思い出す。

当時も慰安婦問題が日韓間で政治問題化していた。そんな中でつか氏は『娘に語る祖国 満州駅伝-従軍慰安婦編』という著書を書くため、元日本軍兵士や慰安所関係者らへの取材を重ねたという。

「僕は『従軍』という言葉から、鎖につながれたり殴られたり蹴られたりして犯される奴隷的な存在と思っていたけど、実態は違った。将校に恋をしてお金を貢いだり、休日に一緒に映画や喫茶店に行ったりという人間的な付き合いもあった。不勉強だったが、僕はマスコミで独り歩きしているイメージに洗脳されていた」

つか氏はこう語った。作家の偏見を排した冷徹な目で少し調べると、マスコミ報道とは異なる実態が見えてきたというのである。また、つか氏は自らの当初の「思惑」も「知識不足」も隠そうとしなかった。

「悲惨さを調べようと思っていたら、思惑が外れてバツが悪かったが、慰安婦と日本兵の恋はもちろん、心中もあった。僕は『従軍慰安婦』という言葉が戦後に作られたことや、慰安婦の主流が日本人だったことも知らなかった」

現代史家の秦郁彦氏の研究によると、慰安婦の4割は日本人であり、朝鮮半島出身者はその約半数だった。この事実についても、ほとんどのマスコミや左派系の政治家らは気付かないか無視している。

筆者は12年10月に当時、元慰安婦に一時金(償い金)を支給するアジア女性基金の理事長だった村山富市元首相にインタビューし、こう問いかけたことがある。

「慰安婦の多くが日本人だったことはどう考えるのか。今後は、日本人も一時金の支給対象とするつもりはあるのか」

すると、村山氏は「うっ」と言葉に詰まったきり、何も答えられなかった。同席した基金理事が、慌てた様子で「今の質問はなかったことに」と取り繕っていた。

話を戻すと、つか氏は「営業行為の側面が大きくても、人間の尊厳の問題なのだから、元慰安婦には何らかの誠意を見せ続けるべきだ」とも語ったが、歴史の見方はあくまで公正で透徹していた。

「常識的に考えて、いくら戦中でも、慰安婦を殴ったり蹴ったりしながら引き連れていくようなやり方では、軍隊は機能しない。大東亜共栄圏を作ろうとしていたのだから、業者と通じてはいても、自分で住民から一番嫌われる行為であるあこぎな強制連行はしていないと思う。マスコミの多くは強制連行にしたがっているようだけど」

そして最後につか氏が述べた次の言葉を、筆者は今こそかみしめたいと思う。

「人間の業(ごう)というか、こういう難しい問題は、自分の娘に語るような優しい口調で一つひとつ説いていかなければ伝えられない。人は、人を恨むために生まれてきたのではない。歴史は優しい穏やかな目で見るべきではないか」

つか氏のような視座が、もっと世界に広がることを願う。(政治部編集委員)
2013.6.24 http://www.sankei.com/life/news/130624/lif1306240016-n1.html

この記事は、つかこうへいは「従軍慰安婦」の嘘を見抜いていたかのような内容になっているが、じつはそれは誤りである。

なぜなら『娘に語る祖国』(1997)は、拉致誘拐・強制連行された朝鮮人慰安婦が20万人という朝日新聞的な「従軍慰安婦」の世界観で描かれているからである。

拙稿「つかこうへいが描いた従軍慰安婦」では、つかこうへいが「従軍慰安婦」をどのように誤解していたかを解説している。 つかの誤解の構造を理解すれば、なぜ彼の回答と作品内容とが乖離しているのか、その理由が理解できるかと思う。 つかはここで慰安婦の正体を掴んでいるかのような回答をしているが、じつは彼の頭の中は「従軍慰安婦」のままなのである。

『娘に語る祖国』(1997)は、つかこうへいが慰安婦の嘘を見抜いていたということを示す作品ではない。

むしろ、つかこうへいのような物事をフェアに見られる人でさえ、朝日新聞的な従軍慰安婦のイメージから抜けられなかった、1990年代とはそれほどまでに左派史観が日本社会を覆っていたことを示す証拠品と位置づけるのが、『娘に語る祖国』の正しい評価である。