ところで『国民とは何か』が発表された時代とは、どのような時代であったか。
ルナン『国民とは何か』は、フィヒテ『ドイツ国民に告ぐ』とよく似た状況の下で出されている。
○フィヒテの『ドイツ国民に告ぐ』が発表されたのは、1807年、ナポレオン1世占領下のベルリンにおいてである。
○ルナンの『国民とは何か』(1882年)は、ナポレオン3世がおこした普仏戦争でパリ・ヴェルサイユがプロイセンに占領されるという屈辱(1871年)を味わった後の講演である。
つまりどちらも民族的・国家的な屈辱のあと、国民的結束を呼びかけるという状況下において出されたものである。 両者はあたかも対照的な国民概念であるかのように思われているが、こうした時代背景からも推定できるように、彼らが念頭に置いている国民の「範囲」については、じつはそれほど大きな相違はない。(どちらも民族主義的で内向きの国民定義である)
再度ルナンの言葉を引用しよう。
国民とは魂であり、精神的原理です。実は一体である二つのものが、この魂を、この精神的原理を構成しています。一方は過去にあり、他方は現在にあります。一方は豊かな記憶の遺産であり、他方は現在の同意、ともに生活しようという願望、共有物として受け取った遺産を運用し続ける意志です。人間というものは、皆さん、一朝一夕に出来上がるものではありません。国民も個人と同様、努力、犠牲、献身、からなる長い過去の結果です。祖先崇拝はあらゆる崇拝のうちでもっとも正当なものです。祖先は私たちの現在の姿に作りました。偉人たちや栄光(真正の栄光です)からなる英雄的過去、これこそその上に国民の観念を据えるべき社会的資本です。過去においては共通の栄光を、現在においては共通の意志を持つこと。ともに偉大なことをなし、さらに偉大なことをなそうと欲すること。これこそ民族となるための本質的な要件です。人は自ら同意した犠牲、耐え忍んだ苦痛に比例して愛するものです。自分が建て、譲り渡した家を愛するものです。スパルタの歌謡「われらは汝らの過去の姿なり、われらは汝らの今日の姿たらん」は、その単純さにおいて、およそすべての祖国の簡潔な讃歌なのです。
過去においては共有すべき栄光と悔悟の遺産、未来に向けては実現すべき同一のプログラム。ともに苦しみ、喜び、望んだこと、これこそ、共通の税関や戦略的観念に合致した境界線以上に価値あるものです。これこそ、種族と言語の多様性にもかかわらず、人々が理解することです。いま私は、「ともに苦しみ」と申しました。そうです、共通の苦悩は歓喜以上に人々を結びつけます。国民的追憶に関しては、哀悼は勝利以上に価値のあるものです。というのも、哀悼は義務を課し、共通の努力を命ずるのですから。
国民とは、したがって、人々が過去においてなし、今後もなおなす用意のある犠牲の感情によって構成された大いなる連帯心なのです。それは過去を前提はします。だがそれは、一つの確かな事実によって現在のうちに要約されるものです。それは明確に表明された共同生活を続行しようとする合意であり、欲望です。個人の存在が生命の絶えざる肯定であると同じく、国民の存在は(この隠喩をお許し下さい)日々の人民投票なのです。
国民とは長い過去の結果であり、私たちの祖先がたどってきた英雄的過去は、国民の基礎をなす社会的資本である。 そして現代、個人が、自分の過去およびそれが現在に要約された価値観・生き方を肯定しながら存在するのと同じように、国民とは、その国の歴史、文化、慣習、季節の行事、国家的記念日等々とともに生活する(肯定する)存在なのであり、そうした日々の何気ない「生活」(肯定)を、ルナンは「日々の人民投票」に喩えたのである。*1
Joël Roman(*2) はこの「生活」について次のような説明を加えている。
彼が提示する国民と個人との比較を受け容れるなら、国民はその一体性を準-生命的な原理の永続性に負わなければならない。(中略) 先に見た冒頭の一節の冒頭でのルナンの言い方はより明確である。
「国民とは魂であり、精神的原理です。実は一体である二つのものが、この魂を、この精神的原理を構成しています。一方は過去にあり、他方は現在にあります。一方は豊かな記憶の遺産であり、他方は現在の同意、ともに生活しようという願望、共有物として受け取った遺産を運用し続ける意志です」
どんな種類の契約であれ、契約というものには、そのときだけの、一回限りの決定が伴うのだが、共に生活しようというこの意志を、そうした決定と同一視することは絶対にできない。ルナンがわれわれに提示する[一見]現代的で選択的な国民の定義は、このように、議決ではなく形成済みのハビトゥスに属する伝統、意図的なものではなく継承されてきた伝統に訴えかける一要素を隠し持っている。 (Joël Roman「二つの国民概念」~『国民とは何か』30頁) ※[]は当方で補足
国民が過去の遺産とともに「生活」する存在なのだとすれば、それは単なる「意志」だけで実践できるようなものではない。 なぜなら日々の生活の中で遺産とともに生きるためには、それが自分たちの祖先の行為の所産であるという「感情的な結びつき」が必要となるからである。 「感情を伴わない意志」が持続することはない。 たとえば外部からやってきて、その土地の歴史文化に民族的な共感もなく、「他人事」としか思っていないような人が、「賛成投票」し続けることはない(それとともに生活することはない)。 もちろんそういう人でも、問われたときにだけ、政治的に「賛成投票」を表明することはできようが、それは「日々の投票」ではない。 Romanいうところの「一回限りの決定」、筆者に言わせれば「それが問われたときだけの投票」は、「日々の投票」(生活)とは次元が異なるものなのである。
ここでルナンの例示を思い出してみよう。フランス国民の「範囲」としてルナンの念頭にあったのは、「ケルト系、イベリア系、ゲルマン系」などであり、また「カトリック、プロテスタント、ユダヤ教」の人々であった。 これらの人々は、適当な「忘却」によって、フランスの歴史に自らの抽象的祖先を感じられる範囲の人々(Ⅰ)、そしてその遺産とともに生活しうる範囲の人々(Ⅱ)なのであって、今日の多文化主義者がいうような、外からやってきた「多様な人々」ではない。 結局ルナンが想定していた「国民」も、祖先との感情的な結びつきを必要するという点で、進歩的で開かれた概念ではなく、一定の種族的な制約のかかった内向きで閉鎖的な概念なのである。
『ネイションとエスニシティ』の著者、A.D.スミスによると、フランス革命(1789年)の後、イデオロギーによって決まるかのように見えた国民の「範囲」は、のちに「歴史的な、血統的でさえある」ものへと軸を移した。
ルナンのいう「毎日の国民投票」に加わる意欲は、土地への愛着と共同体への帰属、つまり両親が(またおそらく祖父母や祖先たちさえも)そうであったように、彼らの間でしか見られない兄弟の愛の感情を基礎としているという想定が、発展してきた。
いいかえれば、新参者は、たとえ正式な市民であっても、本当の住人、つまり生まれながらの住民による連帯共同体の一員とは、けっしてなりえなかった。古代アテネにおいては、両親がアテネ人であった者だけに市民権を制限する法律が、制定されていた。イデオロギーが同じかどうかにもとづいて市民権を与えるというフランス革命の初発の一時的感情は、のちになって、古代アテネの場合と同じように、居住期間やエスニックな祖先にもとづく歴史的な、血統的でさえある共同体の感覚の発展に、道をゆずった。(『ネイションとエスニシティ』160頁)
人々を「世代を超えて」結びつけられるものはそこで共有されている歴史である。その共同体の構成員はいわば主観的な血統集団なのであり、この人間の本性に沿った共同体だけが安定的に存在できる。
ルナンが提示した国民概念もこれと同じものである。 時代背景からしても、精神的原理からしても、ルナンのいう国民とはフィヒテとさほど変わらず、主観的血統集団となりうる程度に種族的で、非選択的な要素を前提とする概念だったのである。*3
それゆえ「ガリア人が祖先になる」という冒頭のサルコジの言葉も、科学的見地から揶揄するのではなく、その意図を汲まねばならない。 共有物として受け取った遺産を運用し続ける「意志」をもてるのは、日々の生活の中でそれを実践しつづけられるのは、その国の歴史に民族的共感をもつ人々に限られる。 だから「そう思うように努めよ」と彼は言ったのである。 *4
しかしそう思うためには種族的な限界があり、またそう思えないからといって権力者に人の心まで強制する力はない。 では実際問題「そう思っていない国民」が増えたらその国はどうなるのか。 サミュエル・ハンチントンは『分断されるアメリカ』(2004)の中で、「日々の人民投票」を次のような文脈で(正しく)用いている。
エルネスト・ルナンが言ったように、国というものは「日々の国民投票」なのかもしれないが、それはこれまでの伝統を存続させるかどうかを問う国民投票である。これまたルナンが言ったように、それは「昔からの努力と犠牲および献身が成就したもの」なのだ。 その伝統なくしてはどんな国家も存在せず、国民投票でそれが否定されれば、国家の命運は尽きる。(『分断されるアメリカ』469頁 ※ページ数はハードカバー版)
1882年のルナンは、投票によって「伝統を存続させるかどうか」の可否を実際に問おうとしていたわけではない。「人民投票」は実際の投票ではなく、また仮に当時それを問うたとしても否決されるという事態は考えてはいなかっただろう。 しかし「多様な人々」からなる今日のアメリカは、想定上の話ではなくまさに現実的な意味で、その「人民投票」が日々繰り返されている国である。 もしそこで「遺産を運用し続ける意志」が否決されれば、すなわち、「星条旗の歴史」に民族的共感を持たない人の割合が増えていけば、アメリカ合衆国の、星条旗の、命運は尽きることになる。*5
フィヒテの種族的な国民概念にくらべ、意志に重きを置くルナンのそれは選択的で進歩的な国民概念だと思われている。 それゆえにルナンは進歩的な人々によって援用されてきたのである。 しかし述べてきたように、その解釈は誤りである。 そして国民統合の原理において、個人の選択意志を偏重したことによる矛盾は、今日の「移民国家」において顕在化しているのである。
ロマンも注意しているように、「本質主義」的な、したがって 「危険」なナショナリズムの起源をもっぱらフィヒテに割り当て、その一方で脱「本質主義」的かつ多文化主義的な社会の統合原理をルナンに求める昨今流行の議論は、俗耳に入りやすいとはいえ、根本的に誤りであることに変わりはない(鵜飼哲「国民人間主義のリミット」~『国民とは何か』276-77頁)
(終)
*1) ルナンが過去と現在を一体とせず、「過去を前提とはするが、現在に要約される」というような持って回った言い方をしているのは、その間に「忘却」を挟んでいるからである。しかし彼のいう国民は、過去を切り離した存在ではない。それは「祖先崇拝」などの文言からも明らかで、ルナンのいう国民とは、現在に要約された過去の遺産を運用し続ける意志をもつ人々、歴史の遺産とともに日常の生活をおくる人々なのである。 「日々の投票」とは特段何か意志表明をすることではなく、この何気ない日々の生活のことである。
ところで、ルナンの「合意」という言葉には注意を要するのでここで少し補足しておく。
講演の背景を説明すると、当時のルナンには、普仏戦争の敗北でドイツに割譲となったアルザス・ロレーヌ地方を取り戻したいという欲求が強くあり、そのために彼はいくつかの論を立てている。その一つが〔住民の同意なき帰属変更は無効〕論である。「その境界に疑念が湧いたときは、係争地の住民の意見をおたずねなさい」はその意味の発言である(本稿では割愛)。アルザス・ロレーヌ地方といえば、『最後の授業』(1871-73)というプロパガンダ小説が有名だが、じつはここはもともとフランク王国崩壊後のメルセン条約で東フランク国(神聖ローマ帝国)に属した土地であり、ドイツ語圏である。(その後ウェストファリア条約などを経てフランスが領有した)
ルナンのこの講演のなかで、歴史が国民の「魂」だと言っておきながら、それよりも「合意」を重視しているかのような表現が度々あらわれるのは、歴史的には正統性が微妙な当該地域の領有の正当性を主張したいがためなのである。
つまり、ルナンが合意や同意およびその類の言葉をつかうときに念頭にあるのは、領土の帰属問題のような住民の集団的意志なのであって、今日の我々が素朴に想定するような、個人主義的な選択的な意味での社会参加の意志(合意)ではないのである。
『国民とは何か』は、このように強い政治的意図をもった極めて技術的な演説なのであり、ルナンの思想や思惑を知らずに素朴に読むと間違うことになる。(cf.「二つの国民概念」~『国民とは何か』31頁)
*2) 1955年生まれのフランス人哲学者、小説家。
*3) フィヒテの国民論もじつは必ずしも種族主義的ではないのだが、それについては省略して、ここではルナンの対概念としてのフィヒテのイメージを利用した。(なお逆にルナンが相当な人種思想の信奉者で、西洋至上主義者で、植民地主義者であることもわかっている)
*4) かつて低学年用の歴史教科書の冒頭には「我らの祖先ガリア人は…」という一節があり、フランスではガリア人が祖先とされていた。
*5) アメリカは星条旗の理念「自由・平等」が社会を作ってきた。フランスの理念「自由・平等・博愛」も、星条旗のそれとおなじく政治上の一般原則にすぎないが、フランス史に誇りをもつ国民の実践がその内実を具現化してきた。しかしどちらも、その歴史に民族的共感をもたない人々がふえていけば、その理念も形骸化し、実践されなくなり、やがて社会は変質していくだろう。
〔参考文献〕
『国民とは何か』 エルネスト・ルナン、Joël Roman、鵜飼哲ほか 1997年 ◆楽天 ◆Amazon
『ネイションとエスニシティ』 アントニー・D・スミス 1999年(原著1986年)
『分断されるアメリカ』 サミュエル・ハンチントン 2004年 ◆楽天 ◆Amazon
『エデンの園の言語』 モーリス・オランデール 1995年
『愛と欲望のフランス王列伝』 八幡和郎 2010年