創氏改名・姜徳相(民団による説明B)
本名消された通信簿 - 幼い心に創氏改名強要
掲載の写真は友人の李茂炯氏が「こんなものがあるが役にたつだろうか」と提供してくれた。東京市立稲田尋常高等小学校「昭和十五年度」、第三学年一組李茂炯の、個人成績表で、一見なんの変哲もないただの通信簿である。
しかし「李茂炯」という朝鮮名が2本の線で消され、その右側に「武田茂」とあるのをみると日帝支配下の創氏改名の史資料になってくる。(後略) (2005.6)
http://www.mindan.org/front/newsDetail.php?category=0&newsid=5103 リンク切れ(魚拓)
この記事は滋賀県立大学名誉教授・姜徳相(1932年生)の創氏改名の思い出話として書かれたものである。
「創氏改名」について、日本の教育では長年、皇民化政策の一環として朝鮮人の民族名を抹消し、日本名で上書きすることによって日本人化を強要したものとされており、その苦しみから自殺する者まであらわれたという説明がなされてきた。
本記事もこの「日本名強制説」の線で書かれている。「本名消された通信簿 - 幼い心に創氏改名強要」「朝鮮名が2本の線で消され」という表現からは、掲載写真とあいまって、民族性否定のイメージが強烈に伝わってくる。「幼い心」の時代に、創氏改名についてこのような説明をされ、「証拠史料」を見せられた日本の子供たちは相当なショックを受けるに違いない。
しかしながら、この記事は重要な事実を隠している。
それは内地における創氏届出率が14.3%だったという事実である。
つまり民族名のまま日本の学校に通っていた朝鮮人がたくさんいたという事実が書かれていないのである。
少なからずの朝鮮人が民族名まま登校していたということを知れば、この「証拠」も一歩引いた視点から冷静に見ることができるようになる。するとショッキングな2本線も単なる訂正記号にすぎないということに気づく。つまり創氏(や改名)した朝鮮人の通信簿を新氏名で作り直さずに、そのまま流用したという意味でしかないということに気づくのである。
本記事は、こうした重要な事実(名前の変わらない朝鮮人が多くいたこと等)を隠蔽することによって、あたかもこれが「日本名強制の証拠」であるかのように読み手を錯覚させているのである。姜徳相は重要な事実を隠すことで(あるいは曖昧にすることで)印象操作しているのである。
(終)