小林よしのりが語る「天皇の価値」


2004年6月『朝まで生テレビ』 2分59秒 (3.28MB)  http://www.tv-asahi.co.jp/asanama/video/0406/program.html
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田原:
小林さん。小林さんはやっぱり天皇というのは続いた方がいいと思う?

小林:
続いた方がいいと思いますよ。
それは何故かというと、
たとえばわしは伊勢神宮に行ったことあるけれどもね、
でまあ、あそこは20年に一度、式年遷宮やって、天照大神が移ってしまう、
そのまん中のところまで入れてもらって、見たこともありますけれどもね。

で、あそこで、豊受大御神(とようけのおおみかみ)と、内宮と外宮があって、外宮の方に、豊受大御神というのがいて、
そこで、大御饌祭か、大御饌祭を毎朝毎朝やってるわけですよ、神官が。*
それは単に、食事をね、火をおこすところから、作って、その食事を、豊受大御神と天照大神にお供えするんですよ。

たったそれだけのことを、毎日毎日お祭りなんですよ、それが。
お祭りっていったら、なんかものすごくハレとケがあって、ハレの時だけだとかいってね、ものすごく大騒ぎするところだっていう話じゃないわけ。
それが何故お祭りなのか。ただ毎朝ご飯を作って、お供えするということが。

考えてみればよ、この日本の古代の中から、ご飯をちゃんと作って、食べられるということがどれほどありがたいか!
そうでしょ。他の国のどこに、いろいろ飢餓もいっぱいあってよ、イラクもあんな状態でよ、
ただ毎朝本当にありがたくご飯がいただけるってこと、
そのことが、お祭りに匹敵するほどのめでたいことだというその神事をね、ずっと伊勢神宮では毎朝毎朝やってるわけよ。
その毎朝毎朝やってるその公の感覚、無私の感覚というものが、皇室の中にもちゃんとありますよ、そういう行事がね。

それがその、そういうことの大切さ、そこをちゃんと考えておかないと、日本人が、
民主主義がいい近代社会がいいっていいながらね、合理主義がいい近代がいいと言って、
どんどんおごり高ぶっていってしまっていることの、歯止めの部分、というのが、
本来日本人は何に感謝し何に畏怖して生きていくのかっていうものを守っている、というね、
そこに天皇の価値があるわけですよ。
我々はもう一度そこに立ち返って考えてみなくてはいけない。

田原:
近代主義も、民主主義も、いま相当あぶないというか、曲がり角に来てるんですよ。
そこから天皇問題というのは考えないといけないと思う。

小林:
だから、民主主義が普遍的で、この普遍的な民主主義を世界中に広めなければいけないというアメリカに
(田原:あんなものは侵略だよ一種の)
みんなでついて行こうとか言ってるような連中に、伝統のことを語る資格なんか、あるわけないんですよ!

*) 日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)