ハンチントン『分断されるアメリカ』(訳者あとがき)

かつてアメリカのものは、コカコーラから自由の精神にいたるまで、すべてが輝いて見えた。第二次世界大戦で疲弊した国々にとって、アメリカは豊かさの象徴であり、見習うべきお手本だったのだ。そんなアメリカに翳りが見えてきたのは、いつごろからだろうか。同時多発テロのあと、アフガン攻撃、イラク戦争とつづくにつれて、アメリカは急速に変貌していった。アメリカは変わってしまった、それは現在のブッシュ政権内のネオコン勢力のせいだとよく言われる。だが、本当の問題はもっと根深いところにあることが、本書『分断されるアメリカ』を読むとよくわかる。

著者サミュエル・ハンチントンは、『文明の衝突』で冷戦後の世界を衝撃的に予測したことで有名だが、本書ではその鋭い視点を自らの国アメリカに向けている。この本の原題は “Who Are We?: The Challenges to America's National Identity”という。つまり、アメリカ人とは誰なのか、という国民の定義を問いかけるものだ。「われわれ」とは誰なのか、と改めて問い直さなければならないほどにアメリカの現在は変わりつつあるのだ。「われわれ」は誰かが定まらなければ、国の進むべき方向も決まらない。

ハンチントンは17世紀の入植者の子孫であり、サミュエル・ハンチントンという同姓同名の祖先が独立宣言に署名しているほどに由緒ある家柄の出自である。それだけに、アングロ-プロテスタントの文化とキリスト教と英語という共通項に賛同する人びとこそがアメリカ人なのだという著者の主張は、WASP流の強引な理論づけと思われるかもしれない。

だが、あっさりとそう結論していいのだろうか。日本のようにほぼ同質の人で構成され、他の国々からは海によって隔てられ、ことさら努力しなくても統一されている国とは異なり、アメリカは目的を持って意図的に建設された国であり、存続するためにはつねに明確な方向性と正当性を必要とする。内外のさまざまな要因によって国が大きく変化しているいま、祖先が築いてきた国を守りたいという気持ちを人一倍強くもつハンチントンが、国の行く末を案じ、今後進むべき方向を見定めようとするのは無理からぬことだろう。著者の提起する問題は多岐にわたっていて、実に興味深い。

たとえば、「アメリカの信条」と呼ばれる、いわばアメリカのイデオロギーを奉ずることが、はたしてアメリカ人としての定義になるのだろうかという問題がある。アメリカがいまも世界中の多くの人を惹きつけるのは、一つには人種や民族とはかかわりなく、宗教的信条も問われることなく、誰でもアメリカ人になりうるからだろう。だがこうしたイデオロギーは、もともとアメリカが同じ民族であるイギリスから独立するさいに、それを正当化する根拠としてもちだしたものだ、とハンチントンは指摘する。

リベラルな傾向が強く、グローバリゼーションを推進するエリートたちは、こうした信条による定義を好む。だが、それがアメリカ例外論やアメリカを普遍的な国だとする主張につながり、民主主義やアメリカの文化を他国に押しつける帝国主義的思考へと発展した。それはまた、アメリカに毎年、何十万もの移民が推しかえる現状も生みだし、その結果、この国は多文化がひしめきあう世界主義的な社会となり、国としての統一性が失われつつある。その一方で、アメリカの大多数を占める一般大衆はもっと保守的で、それぞれの地域社会に深く根ざしており、保護貿易主義的傾向をもつ。

イデオロギーは国を一つにまとめる絆としては弱く、アメリカの信条だけでなく、文化や宗教という、理性では説明のつかない絆で結ばれなければ、国民としての結束ははかれないとも著者は言う。それは共産主義というイデオロギーでだけでくくられていたソ連があっさりと崩壊したことを考えればわかる、というハンチントンの主張は確かに的を射ているだろう。

移民問題に関して、著者は人種主義ともとられかねないほど忌憚なく自分の考えを述べる。だが客観的に読めば彼の立場はきわめて明解だ。移民そのものに反対なのではなく、問題はアメリカ社会に移民が同化しないことなのだ。アメリカ人になるからには、それまでの国民性や母国への忠誠は捨て去り、アメリカの価値観と生活様式に順応し、英語を話すべきだ、と著者は論ずる。過去の移民はそうやってアメリカ社会に同化していったのであり、同化さえすれば、その人間の肌色がどうであろうと同胞とみなされるのだ、と。

ハンチントンはここでアメリカがかかえる大きな問題を浮き彫りにする。南フロリダや南西部のヒスパニック化である。これらの地域では、スペイン語を母語とし、いわゆるアメリカの文化には染まろうとしないヒスパニック系の人びとが急増しており、マイアミでは英語を話す一般のアメリカ人が逆にマイノリティになってさえいる。とりわけ、陸続きのメキシコから合法的ないし非合法にじわじわと流入しつづけ、高い出生率ゆえにいっそう人口を増やしつづけるメキシコ移民に、著者は大きな不安を感じている。移民が各地に分散していれば、世代を経るに従って徐々にアメリカ社会に吸収されていく。だが移民が独自の社会を築き、そこへ新たな移民が流入しつづければ、巨大なスペイン語圏が形成されることになる。これらの移民は貧しく、教育程度の低い人が多いが、それでも彼らは安価な労働力を提供し、自らも消費者となり、いずれは選挙権を獲得するようになる。民主主義や消費経済においては、数こそ力である。しかも、これらの地域はつい150年ほど前までメキシコだった土地であり、彼らはそれを再征服(レコンキスタ)しているのだという。

『文明の衝突』でイスラム圏との対立を予測し、それを的中させたかたちになったハンチントンの新著とあれば、今後、イスラム世界との関係がどうなるかということに強い関心をもつ人も多いだろう。著者はここで、国として統一を保つためには敵や戦争が必要なのか、という本音にもとづく議論を展開する。オサマ・ビンラディンもサダム・フセインも、アメリカにとっては適度な驚異を与えてくれる恰好の敵だったが、イラク情勢が今日のように泥沼化してくれば状況は変わるだろう、というのがハンチントンの分析だ。

世界的な宗教復活のなかで、アメリカを今後、キリスト教国として再定義しようとする著者の見解には違和感を覚える人も多いのではあるまいか。宗教は個人の道徳性を高めるうえできわめて有益だが、宗教ほど人の心を容易に支配するものはなく、ときには恐るべき行動に人をかりたてもすることが、世界各地で日々示されているからだ。だが、キリストの受難を描いた映画『パッション』がアメリカで大ヒットしていることからしても、今後こうした傾向は間違いなく強まるだろう。

アメリカは普遍的な国になろうとするのをやめ、アングロ-プロテスタントの文化を中心にした固有の国として発展すべきだとする著者の見解に対しては、賛否両論があるだろう。だが、本書のなかで著者が展開するさまざまな議論は、アメリカとの関係を見つめ直すうえでも、われわれの今後を考えるうえでも大いに役立つにちがいない。「2050年(ママ)になってもアメリカがまだ2000年と同じ状態の国でありつづけることのほうが、驚くべきことなのかもしれない」という著者の言葉は、多くの人の心に警鐘を鳴らすものとして受け取られるだろう。

2004年4月 鈴木主税

〔参考文献〕
『分断されるアメリカ』 サミュエル・ハンチントン 2004年  ※文庫版が出ています ◆楽天 ◆Amazon