「日本語強制」を日本人はどのよう誤解してきたか

「日本語強制」を日本側はどのように誤解してきたか。 (→在日や本国人が「日本語強制」をどのように説明してきたか

「私は二度程、ソウルに行ったことがある。重たい気分で、私は日本人だというだけでドキドキしていた。人が日本語で笑って話しかけてくると、心がでんぐり返って、ごめんなさい、日本語が話せるのは帝国日本のせいですよね、ごめんなさいという気分で、ノーテンキに観光なんかしちゃいけないのだと思った。(中略)三十年位前だった」
佐野洋子(絵本作家) 2010 『役に立たない日々』 ~鄭大均『韓国のイメージ』

私の祖母の弟にあたる人は、戦前朝鮮で日本語を教えていました。私が若かりし頃は、そのおじいさんが朝鮮で日本語を教えていたという事実を恥ずかしく思っていたのですが、この本を読んで心が洗われました。36年におよぶ日本統治下の朝鮮で、日本人は決して嫌われていたわけではなかったのです。おじいさんが亡くなる前に、この本に出会い、もっとお話しを聞いておけばよかったと悔やまれます。
日本人 2014.9.2 http://www.amazon.co.jp/review/R2WKBYGWEM61M3/

1910年に韓国を併合して以来、日本の子孫たちは一般に、朝鮮人を無学で原始的な民族、とみなしてきた。朝鮮の文化など学ぶ価値はない、と。
実際、日本の占領時代の後半に、いわゆる「大東亜共栄圏」の推進者たちは、朝鮮人に自国語で話すことさえも許さなかった。非征服者をきわめて軽視した扱いである。しかも、百五十万人以上の朝鮮人を日本に連れ帰り、強制労働させている。戦後、そのうちの六十万人が日本に残ることを選択した。
ロバート・ホワイティング 2000 『東京アンダーワールド』 ~鄭大均『在日・強制連行の神話』11頁

こういうことを弱腰だと言う人に言いたいのは、「声高に非難して帰ってくるんですか、道が開けるんですか?」ということ。国交正常化の中では、戦後補償が出てくるでしょう。日本は、かつて朝鮮半島を植民地にして言葉まで奪ったことに対して、北朝鮮には補償を何もしていないのだから、あたりまえの話です。そのこととセットにせずに、「9人、10人返せ!」ばかり言ってもフェアじゃないと思います。
辻元清美 2001.11.12 http://web.archive.org/web/20050309021651/http://www.cafeglobe.com/special/01_nov/girls/g011112.html

「おかしなこと、口ばしらないでくださいよ。もしこの運転手が日本語を知っていたら、どうするんですか」
「中国人じゃあるまいし。韓国人は、日本語を知ってたらベラベラしゃべるに決まってるよ」
「そんなことありませんよ。母国語を捨てさせられ、強制的に日本語を覚えさせられたんですよ。誰が日本語を使いたいもんですか」
つかこうへい 1990 『娘に語る祖国』96頁 つか4

(引用者注:戦後「朝鮮人」という言葉が侮蔑的で使いにくかったときに、総連系の人が「ぼくたちは朝鮮人ですよ。だから朝鮮人と呼んでください」と胸を張ったという文脈で)こうした態度は「われわれは日本人とは違う。日本人と同一視するな」ということを強調するもので、戦前の日本が朝鮮人の皇民化というスローガンのもとに、朝鮮語を禁止したり日本名を強要したこと(創氏改名)に対する反感を受け継いだものである。「同化主義反対」が彼らの合言葉であった。
田中明(韓国・朝鮮研究者) 『諸君!』1991年2月号 ~鄭大均『姜尚中を批判する』223頁

日本の学校の教師の多くは、当時の朝鮮では日本語が強制されて、家で親と話しする時も朝鮮語を使えば警察に捕まったというような話を信じており、これを子供たちに教えています。
これは十年以上前に、ある教師と話をしたなかで、私が「当時の朝鮮では学校のようなところでは日本語が強制されたが、一旦校門を出ると、家庭や親戚、近所、友人間の会話は朝鮮語だった」と言ったら、その教師が「え!それはウソでしょう。そんなこと、学校では教えていない」ということで、こちらがビックリしたことがありました。
おそらく今でもこのようなことを教えている教師は多いと思います。

(中略)
なお戦時下でも朝鮮でのラジオの第2放送では朝鮮語の番組がありましたし、朝鮮語の演劇も1942年までは確実にありました。それ以降もあったはずですが、ちょっと分かりません。おそらくパンソリなどの伝統音楽・演劇は朝鮮語のまま継続したと思います。
私的空間における朝鮮語の使用は自由であったということは、もっと強調されていいと思っています。
辻本武 2015.2.28 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/02/15/7572811

日本は同化政策を取り、朝鮮人を日本人にしようとした。日本語を強制し、氏姓の改変まで行なわせ、両民族の結婚を奨励した。朝鮮人も同じく天皇の赤子であった。(中略)

日本人は、おのれを恐ろしい攻撃者である欧米人と同一視して日本を欧米化し、朝鮮を日本化することによって、欧米と日本との関係を、日本と朝鮮との関係にずらして再現しようとした。欧米との関係で自己同一性を危うくされた日本人は、朝鮮人の自己同一性を奪うことによって、おのれの自己同一性を立て直そうとした。日本語を廃して英語を国語にすることを本気で考えた大臣がいたほどだから、朝鮮語を禁止して日本語を強制することも平気だった。おのれの自己同一性を失った者は、他人にとっての彼の自己同一性の重要性に無感覚になるのである。実際、日本人は、祖国の言葉と祖先からの氏姓を奪われた朝鮮人の気持ちに驚くほど無感覚で、植民地人を奴隷化するヨーロッパ人と違ってむしろ温情的に扱ってやっているつもりであった。
岸田秀 1977 『ものぐさ精神分析』16-17頁

朝鮮学校はもともと、第二次世界大戦後、朝鮮語を話せない在日朝鮮人子弟に言葉を教えるための「国語講習所」として設けられた民族教育の場が、学校の形に発展したものだ。
ではその人たちはなぜ朝鮮語を話せないのか。それは、朝鮮半島が日本の植民地となり、親や祖父母が日本にやってきて定住してから生まれ、日本で育った子どもたちだからだ。植民地ではなくなった後も、さまざまな事情で祖国に戻れない在日朝鮮人が、「日本での暮らしを続けながらも、自分たちの言葉や文化を取り戻したい」と願って生まれたのが朝鮮学校なのだ。
たとえばいま、日本では北海道を中心としてアイヌが自分たちの言葉を守るためにアイヌ語教室を開いているが、その人たちの多くもアイヌ語を禁じられた後に生まれた世代だ。好きで自分たちの言葉や文化を捨てたわけではない人たちが、時がきてそれを取り戻したい、守りたいと願うのは、自然なことではないだろうか。
香山リカ 2018.10.4 https://imidas.jp/josiki/?article_id=l-58-257-18-10-g320

※朝鮮語が話せなくなった理由について、以前は「皇民化政策によって禁じられた」という説明がされていた。しかしここでは「日本で育ったから」という正しい説明に修正されている。 しかしその後に「アイヌ語が禁じられた」という別の話を配置することで、間接的に、「皇民化政策で朝鮮語が禁じられた」という風味は残るような言い方になっている。

まだ、感想が言葉にならない。
日本統治時代の朝鮮半島で、禁止されていた朝鮮語の辞典を完成させるため、命がけで奔走した人々の、実話に基づく物語。『タクシー運転手 約束は海を越えて』で脚本を担当したオム・ユナ氏の初監督作品。多くの人に届いてほしい。
安田菜津紀 2020.7.11 https://twitter.com/NatsukiYasuda/status/1281860164694339586

日本では日帝強占期に日本語を強要したという事実自体も知らない人が大部分だろう。植民地支配の歴史さえ知らない人もいるほどだからだ。3・1独立運動100周年だった昨年に韓国で公開された映画『マルモイ ことばあつめ』は1940年代に日本語を強要される中で危険を冒して朝鮮語辞典を作ろうとした人たちの話だ。正直、日本では公開するのが難しいと思いながらも、こうした歴史もあったということを伝えようと日本メディアに『マルモイ』を紹介する記事を書いた。ところが予想ははずれた。いま日本で『マルモイ』が公開され話題になっている。
『マルモイ』の日本のホームページを見ると、俳優佐野史郎のコメントがある。「数年前、韓国の方とドラマで共演した際、韓国語の中に日本語と同じ単語がいくつもあることを知った。けれどそれらは朝鮮半島が日本統治下にあった時代に、強制的に日本語を覚えさせられた結果残った言葉だったのだ」。
成川彩/元朝日新聞記者 2020.7.12 韓国映画「マルモイ」日本で公開され話題…改めて知った「朝鮮語抹殺」の痕跡(2) https://japanese.joins.com/JArticle/267991

数年前、韓国の方とドラマで共演した際、韓国語の中に日本語と同じ単語がいくつもあることを知った。けれどそれらは朝鮮半島が日本統治下にあった時代に、強制的に日本語を覚えさせられた結果残った言葉だったのだ。母国語を奪われるということは、その音でしか、表し、受け止めることができない感覚を奪われるということだろう。ならば言葉を奪われるということは、身体を奪われるのと同じことかも知れない。
果たして、私たちは母国語を話せているのだろうか?
佐野史郎 2020 https://www.marumoe.com/ 『マルモイ ことばあつめ』画像

※追加随時  (→どう語られてきたか

(参考)日本統治末期である1942年の調査によれば、日本語を解するものは全人口の二割弱。男子三割弱、女子一割強である。(中略)そもそも朝鮮の総人口に占めるエスニック日本人の数は3パーセント程度。(中略)つまり、この時代の朝鮮半島において、家庭内や近隣・職場での会話は、基本的に朝鮮語でなされていたのであり、支配者である日本人は実は、朝鮮人がなにを考えなにを噂していたのかを十分に把握していなかったのである。(鄭大均『在日・強制連行の神話』52頁)