「日本語強制」がどのように説明されてきたか

「日本語強制」を在日や本国人はどのように説明してきたか (→日本側がどのように「日本語強制」を誤解してきたか

(前略)また「国語(日本語)常用」が進められ、1943年からは「国語普及運動」が大々的に展開されました。役所などでは日本語でなければいっさい相手にされず、陳情書も日本語でしか受けつけられず、学校では朝鮮語を使うと罰を受けたり減点されたりしました。このような日本語強要=朝鮮語抹殺政策の結果、日本語を解する朝鮮人の人口は、1923年に全人口の4.08%、38年に12.38%、43年には22.15%に増加しました(「やや解しうる者」を含む)。

1942年から43年にかけて、朝鮮語の編集にとりかかっていた朝鮮語学会の会員33人が治安維持法で検挙され、二人が拷問のため獄死されられました。このため朝鮮語辞典の編集は、日本敗戦後まで中断させられました。
徐京植 1989 『皇民化政策から指紋押捺まで』 32頁

朝鮮学校は、戦後朝鮮半島が植民地から解放されたあと、日本に留まった朝鮮人の子供たちのために作られた「国語講習所」が元となっている。
なぜそのようなものが必要だったのか。朝鮮半島が植民地であった当時では、皇民化政策の中、朝鮮語教育は排除されて行き、日本語教育が徹底されたために、朝鮮人の子供たちは、朝鮮語が話せなくなっていた。また、皇民化教育により、「日本人」としての教育しか受けられなかった朝鮮人の子供たちは、「朝鮮人」としての精神を育むことすらできなかった。
そのため特に解放後、祖国である朝鮮へ帰国することを希望していた朝鮮人たちが、子供たちに朝鮮語を教えるための場が切実に必要だった。
2014.1.12 在日 https://muzigetari1984.tumblr.com/post/72765010025

「なにより、朝鮮人慰安婦は日本人女性を代替する『準日本人』だった」。朝鮮人慰安婦の証言からは、日本名を名乗り「大和撫子(なでしこ)」として振る舞うことを求められた様子が浮かぶ。慰安所での数少ない休日、雪の日でも日本兵の墓の掃除をして、手を合わせる慰安婦もいたという。

 「朝鮮人としての言葉や名前を失ったまま、性と命を捧げなければならなかったことにこそ、植民地の悲惨さがある。彼女たちは帝国支配の被害者であり、戦争遂行に『協力』させられる立場でもあった」
朴裕河 2015.2.4 http://digital.asahi.com/articles/DA3S11584796.html (全文

※日本語強制や創氏改名のことを指しているのかどうか今ひとつはっきりしないが、読み手にはそれらを連想させる。

伊藤博文は日本人にとっては明治の元勳ですが、韓国人にとっては侵略の元凶です。 私はここで日本の過酷な朝鮮半島統治を思い出させないわけにはいきません。 日本人は創氏改名することで、韓国人が命のように大切にしていた姓を奪いました。ハングルを使えないようにしました。日本は本当に民族の魂を抹殺しようとしました。
(中略)
創氏改名や韓国語抹殺政策への言い訳、強制動員された従軍慰安婦の存在の否定、徴兵・徴用された人々の無視、韓中両国に苦痛を抱かせた戦犯の位牌がある靖国神社への日本国指導部の参拝、独島領有権の主張、日帝の侵略行為について言い訳している教科書の採択問題など、日本の一部の指導者は、いまだに東アジアの人々の心の癒えていない歴史的な傷をかきむしる行動を続けています。
金鍾泌「日本人に求めたいこと」 2005 http://oboega-01.blog.jp/archives/1071753232.html

「日帝の民族抹殺計画」として挙げられているのは、内鮮一体・皇国臣民化の名の下に、韓国人を日本人にして韓民族をなくそうとした、韓国語を禁じ日本語の使用を強要した、韓国の歴史の教育を禁じた、日本式の姓と名の使用を強要した、各地に神社を建てさせ参拝させた、子供にまで「皇国臣民の誓詞」を覚えさせた、というものだ。しかし、そう列挙されているだけで具体的な内容は一切書かれていない。「高等学校国史教科書」も同じことである。そのため、強く刺激された情緒が知識の媒介をほとんど受けることなく、身体にストレートに浸透するのである。 小学校でも同様に、日本によって民族が蹂躙された、奴隷のように扱われた、人間の尊厳に大きな傷を受けたといった形で反日教育が教室のなかで行なわれている。幼い時期はより多感なものだから、「ひどすぎる」「絶対に許せない」という思いで心がいっぱいになる。
呉善花 2015 https://ironna.jp/article/1307

日本統治時代の中で監視と弾圧が最も激しかった13年間。私たちの言葉と文字を守るという志だけで「朝鮮語学会」が完成させた私たちの言葉の辞典、その原稿には、全国各地から言葉を贈ってくれた数多くの名もなき人々の協力があった。
朝鮮の言葉と文字が禁止された時、不可能だと思われた朝鮮語辞典を完成させるために、できる限りのやり方で、作業に参加した多くの人々の心情を思い描きながら感じた感動をそのまま映画に込めたかった。映画『マルモイ ことばあつめ』を通じて、現実という壁にぶつかって夢見ることさえ贅沢になった今の世の中に、共に夢を叶えていく人々のぬくもりが伝わり、厳しい世の中を辛うじて一人で耐えている人たちへの小さな慰めになればうれしい。
見回してみれば共に歩んでくれる人が隣にいるんだと。
映画監督 オム・ユナ 2020 https://marumoe.com/

※追加随時 (→日本側がどのように「日本語強制」を誤解してきたか