「従軍慰安婦」問題の黎明期 ―― 20万人強制連行という虚構に拡大した理由

「従軍慰安婦」の問題の核心は、軍の一部で強制連行(事件)があったか否かといったような些末ところにはない。
1990年代にもなって「20万人説」のような荒唐無稽な話が信じられてしまったというところにある。
20万人説とは、日本軍によって強制連行され強姦されていた朝鮮人女性が20万人もいたという荒唐無稽な説である。これが1990年代の日本社会でかなりの規模で信じてられてしまっていたのである。(→「20万人説」については「従軍慰安婦」問題とは何か

なぜ20万人説のような荒唐無稽な話が信じられてしまったのか。

まず時代背景を説明すると、1980年代およびその前後というのは進歩的知識人が全盛の時代であり、戦前のことを少しでも肯定的に言おうものなら、「軍国主義者」「右翼」「頭のおかしい人」扱いされるような時代だった。 今思えば異様な時代であるが、かくいう筆者もそうした弁解をする「右翼」らを軽蔑にする側にいた。*1

また「歴史教育」の効果で、「植民地支配」されていた朝鮮人は非同胞(一種の奴隷階層)であったかのような社会構造上の誤解が生じていた。(→「朝鮮人は一種の奴隷階層だった」…このような世界観をここでは世界観Aと呼ぶ)

さらに当時は日本軍について、南京大虐殺、731部隊などの犯罪をおこすような組織だというイメージがかなりの規模で定着しており、そうした過去の悪行を率直に認め、真摯に反省し、それを「アジアの国々」に謝罪することではじめて日本は信頼を得られるのだという雰囲気があった(むろん筆者もそう思っていた)。 ゆえにメディアは功を争うように旧軍の問題点を探していたように思う。

このような歴史認識(世界観A)および日本軍のイメージを前提に、従軍慰安婦の問題は、はじめは事件的なニュアンスではじまったと思う。 つまり朝鮮人の女をさらってきて強姦していた日本兵(部隊?)が一部にいた―というような話だったように思う。

ところが1992年に「軍関与の資料」という新聞記事が出た頃から、(なぜか)女子挺身隊と混同されていき(*2)、世間一般的なイメージが「朝鮮人女性20万人の強制連行」へと拡大する。 日本軍が20万人規模で(つまり日常的に)朝鮮人女性を拉致誘拐などして性奴隷にしていたという話に印象が変化するのである。

(1)朝鮮半島で日本軍が慰安婦狩りをしたというような話がでてきた。(1980年代中盤?)

(2)金学順会見(1991年)*3

(3)「軍関与 示す資料」(1992年新聞記事=動かせない証拠)画像

(4)「官憲等が直接これに加担したこともあった」(1993年、河野談話)全文(外務省)*4

(従軍慰安婦問題が、このように複雑で曖昧な変遷を辿ったことにより、当時の新聞記事には「事件的な記事」と「20万人説的な記事」が混在している。時系列も前後している。たとえば、朝日新聞以外にも、読売新聞は1987年に20万人説の記事(外部サイト)を出しているし、産経新聞ですら1991年に「強制連行」的な意味の記事(外部サイト)を出している)

この20万人説への変質は、なんとなく、地滑り的に、印象論的に進んだため、合理的に説明することはむずかしい。 時代の空気や「植民地支配」について、世界観Aを念頭に置きながら、時系列順に出来事を思い浮かべながら想像してもらうしかない。

いうまでもなく実際の歴史的事実(世界観B)としては、朝鮮人は日本人の同胞だったのであり、20万人もの同胞を拉致誘拐し性奴隷化することなどありうるはずがないのだが、戦後いつしか朝鮮人=奴隷階層であるかのような社会構造上の誤解(世界観A)が定着していたために、荒唐無稽な「従軍慰安婦」が信じられてしまったのである。(→朝鮮半島を「紀伊半島」に置き換えるとわかる「従軍慰安婦」問題のおかしさ

今日、慰安婦問題と言えば朝日新聞や植村隆氏ばかりがやり玉に挙がるが、彼らの記事だけで「20万人説」が信じられるはずがないのであって、つまり従軍慰安婦問題の真犯人は世界観A(朝鮮人は奴隷階層)が日本社会に定着していたことにあるのである。

説明してきたように、もともとの「従軍慰安婦」問題は、今日言われているような、強制連行(事件)の存否や女性の人権といった「些末な」次元の問題ではなかった。 朝鮮人女性を20万人規模で拉致誘拐し「性奴隷」にしていたという「国家犯罪」の話だった。 そしてそれを半島勢力は政治利用していた。(→「朝鮮半島をめぐる歴史問題」とはなにか

しかし今日、こうした「従軍慰安婦=国家犯罪」という構図が虚構であることがわかってくると、こうした一連の「戦後の経緯」を無視して、論点を強制連行(事件)の存否や女性の人権に矮小化して継続しようとしているのが国内左派であり、また相変わらず「20万人説」の線で国際喧伝しようとしているのが朝鮮半島という様相になっている。

このように「歴史問題」にも歴史的経緯があるのであり、今日、歴史問題に関する各種言説を検討する際には、この「戦後の経緯」を踏まえておくことが必須である。 こうした経緯を踏まえず、単に「女性の人権問題」などに矮小化して誤魔化している左派言論には注意してほしいと思う。

(終)

↑このページの先頭に戻る↑

*1) こんな筆者ではあったが、では進歩的知識人のすべて言いなりであったかというとそうでもない。というのは筆者は1980年代にはすでに、当時主流の意見(九条墨守)に反して、憲法九条改憲派の方に立っていたからである。尤もそれは深い考えがあったというより、単に主流の意見に反発してみたかっただけのかもしれないが、しかしこと歴史問題に至っては、当時主流であった左派史観に完全に取り込まれていた。
*2) 私はこのとき「女子挺身隊」を女子の徴用ではなく「従軍慰安婦」の婉曲表現だと思っていた。日本の女子供が「勤労奉仕」で飛行機の部品などを作っていたことは、漫画などのなかで描かれていたので当然知っていたが、それとこれとは結びついていなかった。 報道当時は戦中世代がいくらでも存命な時期であり、挺身隊が女子の戦時徴用(勤労奉仕)であること事を知っている日本人記者はたくさんいたはずだが、なぜその話が混同されたのか、今思えば謎である。なお植村隆氏によると、韓国においては慰安婦のことを挺身隊と呼んでいた(外部サイト)とのことである。
*3) 金額順本人が会見で何を言ったかは憶えていない。本人が饒舌にしゃべるわけではなく、一言二言述べて、辛い思いをしたと言ってあとは泣いているだけの映像だったように思う。そして会見に出ていた付添人や番組のキャスターが彼女の思いを代弁するといったような感じであったと思う。 なおこのときは当時言われていた「従軍慰安婦」のストーリーに沿ったコメントがなされていたことを自分なりになんとなく確認しただけで、付添人やキャスターが何を言ったのかを一言一句注意して吟味したわけではない。(その必要性を感じていなかったため)
*4) 河野談話を当時の筆者は素朴に「20万人説」を認めたものと解釈してしまっていた。今の歴史知識を使って読めば、慎重に工夫された表現であることを理解できるのだが、当時の筆者にそんなことはわからない。