朴裕河氏の再謝罪の提案は受け入れられない

朴裕河(1957-)。『帝国の慰安婦』著者。ソウルに生まれ、高校卒業後訪日。慶應義塾大学文学部国文科を卒業後、早稲田大学文学研究科で学ぶ。2003年、「日本近代文学とナショナル・アイデンティティ」で、早稲田大学博士(学術)。現在、韓国・世宗大学日本文学科教授。(wikipediaより)

慰安婦、日韓のもつれ解くカギは 『帝国の慰安婦』著者・朴裕河さん

(朝日新聞 2015年02月04日)

昨年末に出版された『帝国の慰安婦』(朝日新聞出版)は、慰安婦をめぐる日韓それぞれの「記憶」を再検証することで、感情のもつれを解く糸口を探った意欲作だ。慰安婦問題をどう考えるか、来日した著者の朴裕河(パクユハ)・世宗大学校教授に聞いた。

【個人の痛み、互いに想像を】

朝鮮人慰安婦について、韓国側は「少女時代に暴力的に連行された性奴隷」、日本側の否定論者は「ただの売春婦」と主張し、真っ向から対立してきた。朴教授は「元慰安婦たちの様々な証言をもとに、その像を描き直すことを試みた」と話す。

そうして見えてきたのが、朝鮮人慰安婦たちの境遇、経験の多様さ。そして、「帝国と植民地」という構図だったという。

先の大戦当時、朝鮮半島は大日本帝国の植民地だった。日本にとって自国の一部であり、そこでの慰安婦の集め方は、日本兵が直接暴力的に連行した記録の残るフィリピンなど戦地、占領地とは異なったとみる。

「朝鮮人慰安婦の多くは、朝鮮人を含む売春業者にだまされたり、親に身売りされたりして集められたとみられる。『軍人に強制連行された』という証言もあるが、仮にあったとしても例外的と考える

それでも「本人の意思に反して慰安所に連れて行かれ、痛ましい経験をした慰安婦に対して、日本は責任を免れない」と指摘する。

帝国と植民地の構図

朝鮮人慰安婦の背景に帝国と植民地の関係をみるからだ。帝国だった日本の膨張主義が戦争につながり、兵士の性の巨大な「需要」を戦地に生む。そこに「供給」されたのが、貧しく権利の保護も不十分な植民地の朝鮮人女性だったという構図だ。

「なにより、朝鮮人慰安婦は日本人女性を代替する『準日本人』だった」。朝鮮人慰安婦の証言からは、日本名を名乗り「大和撫子」として振る舞うことを求められた様子が浮かぶ。慰安所での数少ない休日、雪の日でも日本兵の墓の掃除をして、手を合わせる慰安婦もいたという。

朝鮮人としての言葉や名前を失ったまま、性と命を捧げなければならなかったことにこそ、植民地の悲惨さがある。彼女たちは帝国支配の被害者であり、戦争遂行に『協力』させられる立場でもあった」

しかし韓国社会では、こうした慰安婦の姿は忘れられてきたという。「植民地支配に抵抗した姿のみが、ナショナル・アイデンティティーを形づくる『公的記憶』となってきた」からだ。

その象徴が、2011年、ソウルの日本大使館前に設置された少女の慰安婦像。韓国社会では「強制的に連行された20万人の少女」が「公的記憶」だという。しかし、朴教授は「歴史の研究に基づき、見直す時期に来ているのではないか」と話す。

合意前提に議論の場を

その主張を盛り込んだ韓国版が13年夏に出版されると議論を呼んだ。「韓国では『公的記憶』に反する意見を言うのは困難。『日帝の娼婦』と非難されたこともある。ただ若い韓国人ほど理解してくれる人も多い」

「少女」と「売春婦」という主張は対立し、日韓両政府の関係も膠着状態だ。打開の糸口はあるのだろうか。朴教授は「ナショナル・アイデンティティーの話にせず、個人の痛みに目を向けること」を提案する。

朝鮮人慰安婦が慰安所に至った経緯はそれぞれ異なるが「慰安所での経験の過酷さは強制連行か否かとは全く関係がない」。日本版では、痛ましい経験をした慰安婦一人ひとりが、顔も個性も異なる人間だったことが伝わるよう、表現に心をくだいたという。一方、韓国人には、「日本人も国家の戦争に協力したが、結果として多大な犠牲者を出したのは事実。個人としての痛みや加害者としての苦痛を想像してみると心に余裕ができるはず」と言う。

朴教授は、日韓関係を前に進めるため、合意を前提に期限を設けて議論する「協議体」を、両国政府がつくることを提案する。意見が対立する学者や関係者たちを含めた議論をメディアが報じることで、両国民の理解を深め、最終的には「日本政府が責任を認めて謝罪する国会決議がなされるのが望ましい」と話す。

「両国にまず必要なのは、互いの痛みについて、いま少し理解しあうことではないでしょうか」 (上原佳久)

【韓国内では記述めぐり訴訟も】 【朴教授側「誤読だ」と反論】

朴教授に対しては、元慰安婦らが昨年、韓国版の『帝国の慰安婦』の記述によって名誉を傷つけられたとして刑事告訴したほか、出版や販売などの禁止を求める仮処分申請と、損害賠償を求める民事訴訟も起こしている。

元慰安婦らは、朴教授が同書で、慰安婦が「売春婦」であり、「日本軍の協力者」だったという誤った認識を広めたと主張。名誉を傷つけられ、精神的苦痛を与えられたとしている。

朴教授側は、「全体の文脈をとらえていない誤読だ」などと反論している。朴教授は検察の事情聴取を3回にわたって受け、仮処分申請をめぐる審理も進んでいるが、いずれも結論は出ていない。

韓国メディアの論調は、同書に対する元慰安婦らの反発を踏まえ、批判的なものも多い。また、朴教授が05年に出版した『和解のために』が文化体育観光省の「優秀教養図書」に選ばれていることについて問題が提起され、同省が選定の経緯を調べる意向を示すなど余波も起きている。

一方で、『帝国の慰安婦』の日本版を肯定的に評価する日本での書評記事を一部の韓国紙がそのまま紹介したほか、同書を題材として慰安婦問題や日韓関係を改めて考える討論会なども開かれている。

朴裕河氏は韓国国内で慰安婦問題を、比較的公平に扱っている少ない研究者の一人である。
その意味で彼女は、一定の評価ができる人物なのだが、しかし彼女は2014年のインタビューで、日韓和解のためには、「1990年代は日本人の中にも一般的に謝罪の気持ちがあった。それを国民の代表である国会がもう一回、代表して行うこと」が必要だとも述べている。

国会決議も、すぐには難しいと思います。まず1990年代のやり直し。そして世界の日本批判決議への批判的応答。さらにこれまでの「戦後日本」を支えてきた認識の作り直し。この3つの意味があります。1990年代は日本人の中にも一般的に謝罪の気持ちがあった。それを国民の代表である国会がもう一回、代表して行うことの必要性です。そしてアメリカや韓国など、各地で出ている日本批判の決議に応答して、言うべきことは言う。「帝国日本」を経た共同体の一つの落ち着く場所として、望みたいところです。http://www.huffingtonpost.jp/2014/12/30/park-yuha-interview_n_6395822.html

しかし筆者はこの提案を到底うけいれることはできない。
なぜなら、朴裕河氏は誤解しているが、1990年代に謝罪の気持ちがあったのは、本サイトでもさんざん説明しているように、歴史問題について、筆者も含め、少なからずの日本人が騙されていたからである。

そして今日、日本人が怒っているのは、「植民地支配」「従軍慰安婦」が虚構であっただけでなく、未だにその虚構を世界に向けて韓国人が喧伝しているからである。

(――実際、慰安婦問題ではほぼ正しいことを述べている朴裕河氏も、「創氏改名」や「日本語強制」については、引用のなかで青字で強調したように、未だに名前や言葉を奪われたという種類の虚構を喧伝している)

朴裕河氏は記事の中で「互いに想像を」と書いているが、彼女は「歴史問題」の本質を理解していない。

まず彼女自身が、「朝鮮半島をめぐる歴史問題」とはなにかを正しく認識すべきだ。

そして在日や本国人が、戦後「植民地支配」の虚構を吹聴し政治利用してきたこと、またカルト宗教(統一教会)はとくに日本人女性に対して取り返しのつかない被害を与えてきた純然たる加害者であるということを自覚すべきだ。

在日や本国人が「歴史問題」を正しく認識したとき、和解に必要なのはむしろ朝鮮半島による日本への真摯な謝罪であって、日本側が今後何かすることは一切ありえないということが理解されるだろう。(了)