皇統の正統性について
○宮台――但し書きをつけますと、遺伝子を持ち出すと、皇統の継続という点では、命取りになる可能性があります。ミトコンドリアDNAからみると、800年位前、つまり鎌倉時代までさかのぼるとたいていの日本人に血縁があることになります。(中略)遺伝学的には皇族とそうでない人たちを区別する根拠がかえって消えます。Y遺伝子(ママ)の継承線だけ特別視するのは恣意的で意味がない。ミトコンドリアDNAを特別視してもかまわないのです。(中略)
皇統というのは、そういう問題ではない。十親等離れても八親等離れても大丈夫だというのは、血の濃さではなく、系譜線という幻想です。継体帝が武烈天皇から十親等離れた血筋だと言っても、それは「そう言われている」だけで、十親等離れた点を結びつける系図をまともに信じる人などありえない。百地(章)先生がおっしゃったように、「そう言われている」のを信じるしかない、ということでいいんです。近いところでは孝明天皇暗殺説や大室寅之祐替え玉説と同じで、事実かどうかを証明することは、いまでは不可能なんですから。
それが血縁カリスマというものの本質なんですよ。遺伝学的な血の濃さを優先してしまうと、厳密な科学的検証が必要になり、科学的検証を経ないものはプロージブルではなくなって、かえって血縁カリスマの継承を阻害することになります。
(28-30頁)
○宮台――社会学の答えははっきりしています。正統な継承線をきわめて限定することで、継承線をめぐる鍔迫り合いの混乱を回避する。それが社会学的にみた「男系原理」や「女系原理」の機能となります。実際、正統性と訳されるレジテマシーとは、もともとの語源は「正統な継承線」という意味です。社会学の伝統的思考によれば、正統性=レジテマシーとは、社会的承認可能性――正確にいえば「皆が承認するだろうと皆が思えること」――にすぎません。社会的承認が期待可能であれば、科学的根拠を含めた合理的根拠が、あろうがなかろうが関係ない。
それを知らない、社会学的基礎教養を欠いた連中が「遺伝子がどうのこうの」と、かえって社会的承認可能性を阻害するようなホラを吹いているわけ。(34頁)
○宮台――僕がよく冗談で言うのは、もし女系天皇がOKになれば「愛子さまが学習院に入学した途端に、学習院の偏差値があがるだろう」ということです。意味わかりますよね。「自分の息子が愛子さまのお婿さんになれるんじゃないか」つまり「自分の男系孫が天皇になれるんじゃないか」というので、次から次へと学習院に入ってくると(笑)。(中略)女系相続を認めれば、継承線をめぐる田吾作の鍔迫り合いが必ず生じます。いままではなかったはずの現象が起こるということです。現実に学習院の田吾作子弟からお婿さんを見つけるかどうかとは関係なく、国民がこうした動きをすること自体が、シンボル操作上、由々しき事態だと考えられます。(34-35頁)
女性宮家創設について
○宮台――つまり最初は、運用において、民間人といっても皇室となんらかの関係があるような家柄の方を、配偶者にしたり養子にしたりする可能性があるわけですね。
百地――そうです。いま女性宮家を創設せよと主張する人も、そういう可能性を述べている。しかし問題は運用にある。一旦制度を変えてしまえば、ちゃんと運用される保証はないのです。
宮台――本当の一般人が天皇家に入った場合を危惧されると。血縁カリスマの維持という観点から言えば当然の危惧です。(21-22頁)
ヨーロッパの王室と天皇家の違い
○神保――しかし、イギリスでは現に王朝交代が起こっている。それではいけないのですか。
宮台――ヨーロッパの場合には、王室同士の結婚が基本です。テューダー朝からスチュアート朝に移動しても王家は王家。スチュアート家はもともとスコットランドの王家でした。現在のエリザベス2世の旦那、エディンバラ公フィリップ殿下も、ギリシア王家の出身です。王女の婿としてパンピー(一般人)がやってくることは原則的にありえないんです。パンピーがやってくることがありうるのは王家の嫁としてだけです。(23頁)
伝統主義とは何か
○宮台――(前略)もう一度言いますが、保守主義とは再帰性を特徴とする近代主義の一種です。
その意味で、内容的に合理的だか非合理的だか知らないが伝統だからこそ従うという伝統主義こそが正統性調達原理として最高のものだという保守主義の思想は、したがって、合理的に説明できるところがあります。今回の女系天皇論がわかりやすい例です。すなわち、女系天皇を認めたとき何が起こるかという付帯効果を、十分に予想しきれない。なにが起こるかわからないならば、なにが起こるかわからないような重要な政治的選択を、勝手に行う権利が誰にあるというのか、と。(36頁)
天皇の権威と伝統の関係
○神保――俗人でないとすると、何なんですか?
宮台――聖なる存在だということです。(中略)
「開かれた皇室」=「ヨーロッパ型の王室の類似物」にするのは、皇室を俗人化すること、つまり「俗なる人間のなかでもっとも位の高い存在」として扱うことを意味します。「貴賤カテゴリー」の頂点として扱うということです。ところが天皇や皇室はそもそも「貴賤カテゴリー」ではなく「聖穢カテゴリー」に属します。それは日本社会のルーツにあるシャーマニスティックな構成に由来します。それが、大和朝廷以降、聖徳太子の仏教導入などにより、「聖穢カテゴリー」と「貴賤カテゴリー」を重ね焼きする形で社会の階層的構成化が図られた結果、今日につながるような両義的な存在になったわけです。
両義的というのは、俗なる世界は幕府、聖なる世界は天皇という具合に、西ローマ帝国的な聖俗に世界論に近いようにも見えつつ、しかしその政治的発言が俗なる世界に過剰な波紋を呼ぶところを見ると、東ローマ帝国ないしビザンツ帝国的な神政政治(テオクラシー)、すなわち祭政一致に近いようにも見えるからです。ところがそこに「開かれた皇室」論がやってきて、皇室を俗なる世界の王室と同じに扱えという。もし皇室を俗なる王室と同じにしたいのなら、男系の皇統譜が絶えて女系が混在しても構わないでしょう(40-42頁)
○宮台――というよりも、皇室の聖性は「血縁カリスマ」に由来するので、もし血縁カリスマ継承線を薄めてもいいという選択――女系相続容認――をすれば、自動的に「開かれた皇室」路線、つまり天皇家を俗人化する方向を事実上選択したことになるのです。皇室は、西ローマ的な聖俗二世界論における聖性なのか、東ローマ帝国的な聖俗合体的存在なのか、西ローマ的な聖俗二世界論における俗性なのか。だとすれば聖性はなにが担うのか。
ちなみに岩倉使節団系の人たちは、欧州事情と水戸学的伝統を勘案しつつ、西ローマ的な聖俗二世界論における聖性を皇室に担わせて統合のシンボルとして活用しようとしました。かりに、天皇や皇室を俗性にシフトするならば、社会に必ず存在する聖性を統合するシンボルは何になるのでしょうか。それともどこの近代社会にも前例がない、聖性をほぼ完全に欠落させた社会を目指すということでしょうか。結局、どういうソーシャルデザインを、徹底したフィージビリティ・スタディの上に打ち立てるのか、という話になるのです。(42-43頁)
聖なる存在の社会学
○百地――(前略)したがって日本では「開かれた皇室」なんて目指してはいけない。天皇皇后両陛下や皇族がいつもおっしゃるのは「国民とともにある皇室」です。開いてはいけない部分があるのです。
宮台――完全に同感いたします。皇室は開いてはいけません。ちなみに僕は社会学者なので、憲法学の「建前」には関心がなく、社会システムが実際にどう回っているかに注目します。天皇が聖なる存在か俗なる存在かも、法的にどう規定されているかではなく、天皇が政治的発言をした時に実際にどう扱われるか、天皇が崩御した時に社会になにが起こるかといって社会的現実だけが、インデックス(目印)になります。
ヨーロッパについては、ローマの初期まで遡ると共和制だったし、君主は機会主義的だった。だからこそ、叙任権闘争後の手打ちもありえたし、ウェストファリア体制もありえた。それらがありえたからこそ、政教分離と立憲君主制が成り立ちえた。政教分離と立憲君主制があればこそ、王室が支持的発言をしても教皇が政治的発言をしてもその影響を極小化できます。こうした因果的経緯が西ヨーロッパの近代社会を支えてきています。
しかしヨーロッパにはビザンチン(東ローマ帝国)の伝統もあります。東ローマ帝国の伝統では、皇帝は教会の長として聖なる存在でありながら、法を制定して人々を支配する力を持っていました。これを神政政治(テオクラシー)と言いますが、社会学の業界ではよく知られているとおり、東ローマ帝国のテオクラシー的伝統が、思わぬ帰結をもたらします。すなわち「社会主義国化」ということです。
かつてのいわゆる「東側社会」は、彼らが標榜するところでは西ヨーロッパ先進地域における近代資本主義のあとに来るマルクス主義社会であるはずなのに、実際にはそうならず、皇帝が聖なる存在として崇められるテオクラシー的伝統がある場所でだけでひろがる。俗なる政治権力の頂点が聖性を帯びるのは、ビザンチン皇帝も東側各国の○○書記長やら○○議長やらも同じです。最近で言えば北朝鮮の金正日も同じ。こうした前近代的体制がマルクス主義の名のもとで実現したのは、近代を支える西ヨーロッパ的伝統がないからで、西側からみればマルクス主義社会は先進性どころか著しい後進性の表れです。
社会システム理論の定番図式でいえば、政治機能を、法機能や経済機能や宗教機能や教育機能などと横並びの機能的分掌のひとつへと囲い込む、機能的に分化した「進んだ西側社会」に対し、政治機能が、法機能や経済機能や宗教機能や教育機能を無限的に飲み込む、機能的に未分化な「遅れた東側社会」。あるいは、政治機能が囲い込まれているがゆえに、政治が介入できない行為領域(人権)とそれが可能にする政治が介入できない尊厳(自己価値)が確立した「進んだ西側社会」に対し、政治が介入できない行為領域がなく、ゆえに政治が介入できない尊厳がありえない「遅れた東側社会」ということになります。
これこそが社会学の発想で、建前が「進んだマルクス主義社会」でも、社会システムの回り方の内実では「ビザンチン帝国と同じ」ということになるのですね。まったく同じことで、憲法学が大日本帝国や日本国憲法をどう理解しようとも、社会現象の観察から見えてくる社会システムの作動は、天皇や皇室が立憲君主ごとき俗人ではありえないということを示しているとするのが、社会学の立場です。
なのに、陛下や殿下が一所懸命政治的発言を控えられるので、一見すると立憲制や政教分離が「制度として」成り立っていると見えてしまう。そう見えてしまうので、実際には社会システムの機能的分化が制度的=構造的に担保されていないのに、日本が機能的に分化した社会システムであるかのようにギリギリのところで作動しつづけてきた。ギリギリというのは何度も言うように陛下や殿下の(不作為を含めた)事実行為に依存してということです。そのためにかえって日本社会のかかえる本質的問題に気づきにくくなっていて、女系天皇をはじめとする皇室問題の重要性が認識できなくなっているのだと思います。(48-51頁)
天皇から日本社会をふりかえる
○宮台――ところが残念ながら、自明であるはずの空気がどんどん薄くなっています。それでは耐えられないとおっしゃる百地先生のような方もいれば、空気が薄くなっても俺は平気だという人々も出てきています。そういう分岐が生じていることを、われわれはあまり意識してきませんでしたが、今回の女系天皇の騒動で、問題を意識するよいきっかけが与えられたんじゃないかと思います。(中略)
日本人のなかにも、百地先生のように博学で皇室の伝統や歴史に詳しい方もいらっしゃいますが、それは例外中の例外で、伝統に関する知識もなく、ワイドショー的な気分で「女系天皇賛成」あるいは「反対」と言う人々が大半なんですよ。これはまずい状況です。若い人も巻き込んで、そもそも皇室とはなんであり、戦後体制とはなんであり、日本国家とは何であるのか、という議論をやらなくちゃいけません。そうでないと、われわれがどんなに議論をしようとも、若い人はますます空気の薄い状態で生きるのが当たり前になっているので、そう遠くない将来に天皇や皇室をめぐる大きな制度変更が行われる可能性があります。(89頁)