朝鮮人は氏制度に反対していなかった〔創氏改名〕

前頁で見たように、朝鮮人は創氏改名に対して、民族的な「抵抗運動」はしてはいなかった。
とはいえ実際、朝鮮人は創氏改名に対してどのように思っていたのだろうか。 本当に抵抗感はなかったのだろうか、それとも少しはあったのだろうか。
ここではまず創氏改名の中核である氏制度そのものについて、朝鮮人がどれくらい拒否感を持っていたか否かを検討してみる。

朝鮮の名前習俗は夫婦別姓であり、それは女を家系に入れない(夫と同じ姓を名乗らせない)という儒教思想にもとづく。
ゆえに、氏制度を導入して氏名が標準表記になると、見かけ上の習俗変更(夫婦同氏=上の名前が同じになる)がおこるので、もしそこにこだわりがあるなら相当に強力な抵抗があってもおかしくないはずである。

では当の朝鮮人はどれくらい抵抗していたのだろうか。
それを確認するために、水野直樹『創氏改名』(2008)に収録されている資料の中から民族派(とおぼしき人)を中心に、氏制度に言及しているものの典型例をひろってみた。(ただし「改姓である」という勘違いをしているものを除いてある)

1「氏制度創設に賛成だが(中略)なぜ金や李のままで忠実な日本国民たり得ないのか」(尹致昊)
2「貴下も他に率先して創氏するが如きことなく寧ろ従前通り李姓を襲用することとせらるべし」(李紀鎔)
3「創氏することに依り其の姓を分割することは、朝鮮民族の団結を破壊すること」(李種世)
4「朝鮮風習を保護すべし、氏制度を中止すべし」(総督府宛の投書)
5「創氏設定は徹底的に朝鮮文化の破壊と民族意識の絶滅を図らんとする日本政府の悪辣極まりなき圧政である」(閔泰崑ら)

この5つの発言は、表現はさまざまであるが、じつはひとつの考えで説明することができる。それは非姓創氏(姓とは違う氏を設定すること 〔例〕 姓金→氏金海)への批判である。

1は文字通りそのままの意味。2は非姓創氏せず李氏にしろという意味に解釈。3は金が金海と金本などに分割されるという意味で(氏制度ではなく)設定創氏への批判。4は氏制度そのものを批判しているようにみえるが、非姓創氏が増えていることを懸念した民族派が氏制度そのものを廃止することで非姓創氏阻止をねらったものと解釈。5は4と同じ趣旨で設定創氏に言及したもの。

このように表現は異なっていても、1~5は「非姓氏批判」として統一的な解釈が可能なのである。
(※例2からは、民族派ですら姓をそのまま氏にするなら許容範囲内だと考えていたことが見てとれる)

そして前稿「抵抗運動についての誤解」で検討した「過激な抵抗運動」とあわせて考えても、そこに通底している発想は、氏制度そのものに対する批判ではなく、非姓氏を名のることへの批判であると解釈できる。*1

また本書全体からさがしてみても、氏制度自体への批判に読めるもの、すなわち「夫婦同氏でおなじ苗字を名のること」への批判と明確に読めるものは、女性の感想(全5編)の中に妻の立場からの不満が2つ収録されているだけなのである。*2

○ 「毛允淑を安允淑と呼び変えたなら、その語感からくるなじみの薄い気分あるいは印象は、お粥でもご飯でもないような感じを起こさせます。日常の習慣になればわかりませんが、はじめはそんなものか、自分を忘れてしまったような寂しい事件のように思われます」毛允淑(詩人、夫は普成専門学校教授・安浩相)
○「今までの私の〝姓〟……。私の個性の小さな一つの表象がなくなり、夫の姓に従うのは、何か持っていたものを捨てるようで、寂しくはあります」(張文卿、医師)

こうして創氏制度に対する朝鮮人の反応を全体的にみてみると、朝鮮人は氏制度それ自体は習俗破壊だと思っていなかった=氏制度(夫婦同氏)自体への批判はなかったということが推定できるのである。 (おそらく夫婦同氏でも、姓は別姓として存続するのでとくに問題視されなかったのだろう)

※なお創氏制度導入に際して総督府は中枢院という朝鮮人貴族からなる諮問機関に長年にわたって諮ってパスしている

検討してきたように、朝鮮人は、氏制度自体についてはそれほど問題視はしていなかったように思われる。

では設定創氏についてはどうだったのだろうか。

*1) 民族派らが反対していたのは「創氏改名」のどの部分なのか
*2) 女性にとっての創氏改名。氏制度で強制的に名前が変わるのは「既婚女性の氏」だけであるので、既婚女性が複雑な思いを抱えるのは理解できる。(既婚女性の氏は、世帯主の決定に従わざるをえない)

〔参考文献〕
『創氏改名』 水野直樹 2008年  ◆楽天 ◆Amazon