資料・櫻井義秀・中西尋子(統一教会問題)

櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』(2010)より

誤解を恐れずにいえば、戦後の外来宗教の中で統一教会ほど日本社会に深く刺さりこんだ新宗教はない。社会的評価があまりにも低いために社会的影響力が軽視されがちがだが、政治家との強い関係や経済組織を持つこと、数十万人の日本人を活動に巻き込み、現在も数万人もの篤実な日本人信者を獲得したことなどは特筆に値する。統一教会をキリスト教系と捉えれば、他の度の国のミッションよりも教勢を拡大している。しかも、韓流ブームなどが起きるはるかに前に日本に入った韓国系宗教である。在日韓国・朝鮮人の人権、社会権の確立が長らく政策課題となるような社会において、どのようにして宣教に成功したのか。これは大きな宗教学的・社会学的問いになるだろう。(vi頁)

韓国の農村における男性の結婚難は1980年代から社会問題化した。それに呼応するかのように統一教会は1988年から韓日祝福・日韓祝福を本格化した。実態としては、韓日祝福で嫁いだ日本人女性達は農村花嫁にほかならない。それを彼女たちに納得させているのは、祝福の意味づけである。韓国を36年間にわたり植民地支配した日本は人類を堕落させたエバと同じであるから、エバ国家の女性としてアダム国家の男性に嫁ぎ、夫や夫の家族に尽くして贖罪すべきであると教える。韓国の農村に男性の結婚難がなければ、そして日韓の歴史的関係に植民地支配―被支配の関係がなかったならば、韓日祝福は成り立っておらず、7000人もの多くの日本人女性信者が結婚して渡韓することはなかった。結婚したいという韓国人男性と、教えを内面化することによって韓国に贖罪せねばと思う日本人女性信者とが夫婦になって韓日家庭を築いている。この点で韓日祝福は韓国社会の社会構造的な歪みの上に日韓の歴史的関係を結び合わせたところに展開された布教戦略であるといえる。(447頁)

一般に女性は結婚に際して上昇婚を望む。自分や自分の父親よりも学歴や職業的威信の高い相手と結婚することで階層上昇を図るというものである。韓日祝福で農村の男性と結婚するとなると上昇婚は望めず、下方婚になる。(中略)A郡の女性で「スーパーのおばちゃん」に次のように言われたという人がいた。「旦那さんはお給料をたくさんもらってくるの?どうしてそんな人と結婚したの?日本で結婚していたら、そんな生活はしなかったでしょ」。近所の「スーパーのおばちゃん」は日本人女性たちが統一協会信者と知っていてもやはり不可解なようである。(492頁)

統一教会の教化プログラムでは信者に日本が韓国を36年間にわたり植民地支配し、数々の蛮行を行ったことを教える。この罪を日本人は償うべきだとして一般の人々の財産を霊感商法や万物復帰で神の側に戻すという理屈になるのだが、韓日祝福で韓国に嫁いだ信者には夫や夫の家庭に尽くすことが求められる。前者の語りにある「嫁に来るのは、恨みを解くため」の言葉に贖罪意識が窺われる。(498頁)

韓日祝福家庭は、教義上は理想家庭とされながら、実際は日本女性達が経済的・精神的にぎりぎりの生活を続けている。その暮らしを甘受させているのが、女性は人類を堕落させたエバという教説と、日本は朝鮮半島を植民地支配したという歴史である。日本字女性信者は女性で日本人という属性から逃れることはできない。いったん統一教会の教えを内面化して祝福を受ければ、こんなんだ状況は堕落したエバゆえの蕩減と受け止め、耐えることに価値を置く。渡韓後は日本での信仰生活とは異なり、家族を形成して家庭生活を送るというものだが、家庭生活そのものが信仰を強化させる場になっている。
信仰の自由のもとにいかなる教説であれ尊重されなければならないし、日本人と韓国人が国際結婚をして家庭レベルで日韓のわだかまりを解消しようというのはわかる。しかし統一教会の教説は日本人女性信者にとってはあまりに過酷なものではないだろうか。(550頁)

★本書の感想★
本書冒頭に次のような一文が置かれている。「誤解を恐れずにいえば、戦後の外来宗教の中で統一教会ほど日本社会に深く刺さり込んだ新宗教はない」(vi)。
つまり本書は統一教会が「他の外来の宗教」とは異なり、なぜここまで日本社会に深く刺さり混んだのか、その原因をさまざま分析している本である。

ただ筆者(私)は、本書は、歴史認識問題の心理作用についての評価が小さすぎるように感じている。たとえば日本人が洗脳(帰依)から抜けられない理由として、本書では、フィリピン人などはキリスト教徒が多いゆえに文鮮明の個人崇拝的な信仰に不信感を持つため洗脳が解けやすいが、日本人は宗教色が薄いためそれが解けにくい(425頁)などという説明がされている。しかし筆者が思うに、日本人にとって洗脳(帰依)が解けなかった原因の本質は、日韓に特有の「歴史認識」の問題があったからではないだろうか。 つまり「日本が韓国を36年間にわたり植民地支配し、数々の蛮行を行ったことを教える」といった、(フィリピンと韓国の間には存在しない)歴史認識の問題があり、その洗脳(贖罪意識)から抜けられなかったからではないだろうか。

筆者の関心は「歴史問題とは何か」でも説明したように、統一教会が利用した歴史問題(贖罪意識)にある。
しかし本書では歴史認識の問題が影響していたことについては言及があるものの、その歴史認識の内容が具体的にどのようなものであり(たとえば「数々の蛮行」とは何か)、それによって日本人女性にどれくらい強く贖罪意識が喚起され、どれくらいその贖罪心理が利用されたのかについての分析がなく、そこが残念なところである。

筆者からすると、韓国での教育内容が日本の戦後歴史教育の内容とどのくらい似ているかの分析が欲しかった。
もし統一教会が教えている(教えていた)「蛮行」の内容が、日本の一般的な歴史教育と似ている(似ていた)のだとしたら、そしてそれが「深く刺さり込んだ」ことの重要原因を占めているのだとしたら、日本で戦後ながらく左派史観を喧伝してきた人間の責任が、厳しく問われなければならないだろう。