朴慶植

朴慶植(1922-1998)。元朝鮮大学校教員。『朝鮮人強制連行の記録』(1965)の著者。

『朝鮮人強制連行の記録』 〈序〉

私は日本語で話したり、書いたりすることについて常に不自然さを痛感している。

朝鮮人が日本語で話すということは、思想交流の手段として一つの外国語をマスターしているという技術的な問題に解消しえないなにかをもっている。それは朝鮮人が日本語を話すにいたった事情が、帝国主義と植民地、圧迫と被圧迫という関係から切りはなしては考えられないからである。

私と同じ世代の人々や、更に年をとった人達は、日本語を強要され、また日本語を話せないために、さまざまな苦しみを直接身にうけてきたし、また、日本で生まれた子供達は、母国語を十分に話せないために民族的虚無主義におちいる危険性をもっている。いま在日朝鮮人が日本語を話すということには、過去において、朝鮮人が被圧迫民族として身に受けた苦しみや、現在日本に住むことによっておきてくるさまざまな問題がからまっているのである。日本では、日本語を話す朝鮮人のこうした歴史的な背景ないしは朝鮮人の民族的感情を深く考えてみるような見方、ないしは研究課題がほとんどないのではないかと思う。

過去日本帝国主義下の被圧迫民族であった朝鮮人のこうした気持ちを理解することなしに朝鮮問題を論じても、魂の抜けた形骸にとりくむのと同じであり、国際的連帯をより強化することはむずかしい。

最近「韓日会談」を契機にして、朝鮮問題にたいする関心が高まり、雑誌などでもしばしばとりあげられているが、それらの多くは、朝鮮人からみて、日本人の主体性において言わねばならず、またしなくてはならない重要なものがぬけおちて、チグハグなものを感じる。
~鄭大均『在日・強制連行の神話』149頁