『朝日新聞』昭和35年3月31日付記事より
法的地位については、いわゆる永住許可の範囲と退去強制の二点について交渉がまとまり、いったんは協定の仮調印が合意された。ところが、韓国側がこの合意をくつがえし在日韓国人の処遇問題をも併せて一挙に解決すべきことろ要求した(略)。韓国側のいう「処遇」とは、参政権と公務員になる権利だけが除かれるに過ぎないような広範囲で包括的な内国民待遇だといわれ、また永住権の問題でも許可の範囲をさらに広げるような要求がむし返されているという。
率直なところ、この韓国側の主張は、余りにも重大なものを含んでいる。子孫の代まで永住を保証され、しかもそのように広範囲な内国民待遇を確保することになると、将来この狭い国土の中に、異様な、そして解決困難な少数民族問題をかかえ込むことになりはしまいか。出入国管理上の、一般外国人の取扱に比してあまりにも〝特権的〟な法的地位を享受することが、果たして在日韓国人のためになると、一概に決め込むことが出来るのかどうか。民族感情というものの微妙さ複雑さはいまさら言うまでもなく、その意味で将来に禍根を残さないよう、法理上のスジを通しておくことがとくに肝要だといいたい。
(中略)
だが、例えば韓国併合といった歴史も、これから二十年、三十年の先を考えた場合、それは大多数の日本人にとって、遠い過去の一事実以上のものではなくなるだろう。独立国家の国民である韓国人が、なにゆえ日本国内で特別扱いされるのか、その説明にそれこそ苦労しなければならない時代が来るのではないだろうか。
『朝日新聞』1965.3.31 ~ 鄭大均『在日韓国人の終焉』31頁 (中略は引用者)